いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

2019-01-01から1年間の記事一覧

盗作と創作。

家を改修していると絵が描きたくなって、絵を描いていると、立体を作りたくなって、お酒とタバコを吸っていると何もしなくなって、これはヤバいと思って、お酒とタバコをやめた。習慣には、悪いのと良いのがあって、基本ぼくは自堕落だから、油断するとルー…

仕事が生まれる条件

明日は、日立市の海にいくと決めて寝た。翌朝目覚めて、妻チフミがコーヒーをポットに淹れて、7時半ころに出掛けた。 ぼくたちは絵描きだ。だから、よい景色を見たい。前回の展示で、注文された作品をコツコツと作っている。ぼくはアイディア、パネル、額、…

沖縄・国家・フェスティバル・生活者からのメッセージ(後編)

沖縄についてのトークのおかげで、どうしたらいいのか考えたら、花見で浮かれた代々木公園にいられなくなって、4時間かけて10km歩いて板橋の家に帰った。それでも答えは出なかった。(前編/沖縄のトークについて↓) norioishiwata.hatenablog.com 翌日は…

沖縄・国家・フェスティバル・生活者からのメッセージ(前編)

東京、代々木公園で、3月30日、31日にトークをした。春風というフェスで、ぼくは90年代から関わっている。もう20年もむかしのこと。大学生で音楽が好きで、まったくポップではないバンドをやっていて、シンセでノイズを出していた。とにかく音楽が…

毎日スタートラインに立ってる。

目的を持って書くことも必要だけど、何もないまま書くことも必要だ。例えば、右手も必要だし左手も必要で、いつも両側に気が届いているのが、もっとも安定したバランスだと思う。こう言い換えることもできる。社会はいつだって嘘を真実だと言い張るし、真実…

閉じたアートを開くためのアート

ぼくは、絵を描くことについて学んだことがないから、自分で探して、やり方をつくっている。「はっ」と心を動かされるものは、すべてアートの対象になり得る。自分の感性に従っているから、一般的なこれがアートだという基準とはズレている。けれども、そも…

ここから始まった檻之汰鷲(おりのたわし)の源流。

アートはどこにあるのか。ぼくがそう問い続けるのは、ぼくが信じるところのアートに育てられてきたからだ。 それは至るところにあった。ぼくがアートと出会ったのは音楽だった。いくつかのレコード・ジャケットは、有名なアーティストの手によるものだった。…

生活の中に芸術はあるのだろうか。

アートとは何だろう。生きるとは何だろうと考えてきた。あるとき、藝大の大学院に在籍するアーティストにその話をしたら「生きる」はカテゴリーが曖昧だから論文のテーマとして採用されないんですよ、と言われたことがある。 「アート」も「生きる」も確かに…

遠くへ行きたい。距離でもなく物理的なことでもなく。

そこにいると鳥の声が聞こえる。風が吹いている。川の流れが聞こえる。青い空、周りは木々が聳えている。ここはどこにでもある場所。誰も住みたいとは思わない場所。 心が動くことをしていたい。感動すること。その気持ちは子供心にある。日が沈むのも忘れて…

アートをアートの外へと連れていく旅

今回の展示で、やりたかったことが更新された。ぼくは芸術を生活の中に表現したかったのだけれど、そうではなくて、芸術やアートを、現在地よりもずっと離れた場所に連れ出したかったことに気がついた。 次の目的地が見つかった、と言い換えることもできる。…

ココニアルという理想。

ずっと生活と芸術の一致を目指してきて、北茨城市で改修してきたARIGATEEで、ひとつの理想を描けた。それを「ココニアル」と名付けた。 地方や田舎には「何もない」と言われるけれど、ここには、草や木、水、土、などの自然がある。何もないどころか生きるた…

北茨城市に暮らして、福島の原発から100km。ここから何が見えるのか。

ぼくは、2011.3.11の東日本大震災をきっかけに生き方を変えた。だって社会は正しさを基準にしていないことが分かったから。それは今も変わっていない。 沖縄の県民投票、その声が社会に反映されないなら、どうやってぼくたちの声を社会に届けて変えていける…

家が作品シリーズ ギャラリー・ウマイエ

とにかく古い家が好きで 最大の魅力は そのほとんどが 自然由来だということ。 世の中が 貨幣価値で埋め尽くされ 利用価値がなれければ 捨てられる。 けれども 自然がなければ 生きていけない。 すべては存在できない。 日本の伝統建築は 自然の摂理に適った…

光あるうちに光の中を進め

人間はひとりでは生きていけないと言う。ロビンソン・クルーソーは、無人島にひとり遭難した。けれどこれは空想の物語。ヘンリー・ソローの「森の生活」は2年間、森のなかでひとり自給自足した。一説によると洗濯はお母さんにしてもらっていたとか。 その手…

空き家は魔物

家を作品にしようと改修を繰り返している。家は恐ろしい魅力を放つ。とくに古い家は魔性だ。 家は生きている。家は人を選ぶ。家は人を働かせる。気をつけた方がいい。ぼくは、もうとっくに家の魔力に飲み込まれている。 この家に来てから1年半が経った。こ…

ひと粒の砂

途中なんだ。 ずっとどこかへ 向かっていて。 生きると死ぬの 間を歩いていて。 何を恐れるの? お金がなくなること? 夢が叶わないこと? 失敗すること? 1日は小さく 砂つぶみたいに。 でも砂つぶには ひとつひとつの 世界があって。 みんなとか 一緒とか …

嫌なことも、書いて記録して、ネタにして、言葉にして、放てば、それはユーモアに変わる。

「明日、大雪予報なのでトークイベントを延期するか検討してます。別の日の場合、ご都合はいかがでしょうか」 清澄白河にあるリトルトーキョーという場所で、トークをする予定になっていた。リトルトーキョーは日本仕事百貨という求人サイトを運営する会社の…

重いより軽いがいい。

友達が増えた。引っ越して新しい土地に住めば、新しい知り合いが増える。その中に、繰り返し何度も会う人たちがいる。それが「友達」だと思う。 北茨城市では、60代から70代の友達が増えた。友達なんて失礼かもしれないけれど。 今日は、北茨城市の日本…

モノと人間。古いモノには意思があり。

数日前、軽トラックで現れた老人が 「ここは古い物集めているんだっぺ?」と言ってきた。 「集めていると言うか、この家にあった古いものを並べているだけなんです」 とぼくは返事した。 見たことのないお爺さんだった。 「まあ、何でもいいや。ウチの妹の家…

とにかく表現することだ。息をするように。

最近は、文章を書いては途中のままで、ここに記録できないでいる。やりたいこと、やっていること、しなければならないことが、混沌としている。---世界はどんどん悪くなっている。1月30日---北茨城で作家活動する鈴木鈴(すずきりん)さんと話した。りんさ…

時間も思考も超えて没頭する日々。

とりあえず、新しい物語に突入しているようなので、何か分からないけど書いてみる。ぼくは、表現者として生きるのを目標にしてきた。 表現者とは、イメージをカタチする者と定義してみる。ぼくの場合は、アート作品を妻のチフミと制作して、それをするための…

新しいことに出会ったらゼロから始める気持ちが3年後に生きるための技術になる

新しいことを体験すると、言葉にならないことがある。それってほんとうに新鮮なことだ。きっかけは、昨年12月に有楽町マルイの個展で、お笑いの「よしもと」の芸人さんとコラボをさせてもらったとき。ぼくは、ずっと音楽に惚れ込んでいたから、正直なとこ…

「人間と技術ー生の哲学のためにー」

久しぶりに本を読み終えた。 「人間と技術ー生の哲学のためにー」O.シュペングラー1931年に出版。 昭和6年。この本は、工業化が進み、人間の暮らしが自然から離れていくような時代に書かれている。 「技術」とは何か。シュペングラー先生は、便利になるため…

貨幣経済への反抗生活

失ってから気づいたのでは遅くて、それが手元にあるとき、それを愛せるか。愛しているか。愛なんて言葉を口にしてないなら、それこそ、いま手元にある財産をまるごと捨てているようなことだ。 失ってから気がつくことばかりだ。ぼくは、交通事故で、動けなく…

馬小屋と冬の暮らし。生活のリズム。

アトリエにしているArigateeの馬小屋を改修していたら、元家主の有賀さんが様子を見に来てくれた。有賀さんに聞けば、この場所の歴史が分かる。むしろ有賀さんの記憶以外にその歴史が存在している場所はない。本にもインターネットにも載っていない。 馬小屋…

答えはない。だから、こうやって日々言葉を費やして、自問自答している。

朝起きて、成田空港へ作品を運んだ。作品はバリ島に送り届けられる。かなり初期から作品を購入してくれている友人が、バリの友人と共同購入してくれた。 作品を作ることと販売することは、作家として生きていくうえで、かなり重要な両輪だ。大きな作品を制作…

運動すると暖かくなる。冬は労働が適している。だから、家を改修する。

北茨城市の富士ヶ丘に古民家そのものを作品として制作している。家を作品にするのは、家を中心とした周辺のモノコトにこそ芸術が宿っていると睨んでいるからだ。 去年は赤い屋根の母屋をギャラリー兼滞在施設にして、今年は、その裏にある馬小屋を暮らせるぐ…

夜明け前

何かに偶然出会うことが繰り返していく日常を楽しくする。 ぼくの場合は、予定したことより、何かの拍子に出くわすことに興奮する。興奮すると、頭の中で創造のスイッチが働く。 1月3日。2019年になったけれど、チフミの実家で、チフミ姉妹の家族とそ…

2020年の今日まで残り362日

2019年。年が明けた。どれだけ年を重ねても、やったことがカタチになって、やらなかったことは、何にもならないで消えていく。今年で45歳になる。分かったこと。ほんの小さな日々の積み重ねが、今を明日を未来をつくる。 年末は、妻チフミの実家、諏訪…