いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

文章は目の前に広がる世界に表れているものと違うものを刻むため

さて書こう。文章は目の前に広がる世界に表れているものと違うものを刻むために書く。

アートの語源アルスとは技術の意味で、技術とはまたテクネーで、それは見えないものを見えるようにする意味だとハイデガーが教えくれた。哲学とは意味の最奥へと探検する技術だ。誰もが哲学できる。するべきだ。

つまり文章を書くのは、見えないものを見えるようにするためだ。社会とは解像度の低い映像のようなものだから。「なんとなくそうなっているからそうしている」という、とても危険なものに流されている総意を社会と呼ぶんじゃないだろうか。だとしたら、なんとなく見えているものを高解像度で見てみよう、という試みがアルスで、つまりそれが芸術だと解釈してみてはどうか。提案。芸術を哲学する。

社会と呼ばれる曖昧な設定を新しい眼差しで見みるための表現。見るという行為は、自分の目から広がる。SF作家カートヴォガネットはそれを「穴」と表現した。

わたしという穴から世界を覗いている。みんな世界を覗いている。その覗き穴が、誰かに仕掛けられたものか疑った方がいい。父や母、学校や常識。教育、システム。しかし犯人は特定できない。誰も悪気はないと言う。誰も悪いことをするつもりもないから。自然の法則に従って社会は腐っていく。当たり前だ。すべては崩壊へと向かっている。リンゴも腐るし、木も枯れる。マンションも朽ちていく。新しくなっていくものはないし、腐らないものもない。だから抵抗してみる。だから革命が起きる。新陳代謝。生と死と再生。

アートの原始アルスは、文字よりも貨幣よりも先にあった。国家よりも。だとしたらそれは何のための技術だったのか。運命だと諦めて受け入れられなくなった証。抵抗の旗。結果が見えない先の未来に対する祈りがあっだろう。悪い過去を断ち切るための祈りがあっただろう。続いてきた過去でもなく、この先に予想される未来でもなく、その両側を断ち切った今現在を立ち上がらせるための祈りが必要だ。

今を再編するため歴史を遡る。読書。50年、100年、500年は軽く超えて、かつての思索者たちの軌跡を辿ることができる。いいか、社会はどんどん便利になっていくようだけれど、複雑になってルールは増えて管理されていくばかりだ。ついには自己が身体から離れる。人間に番号が付いたマイナンバー。なんのためか。管理するためでしかない。

しかし、この世界をどのように見ることも自由なのです。穴から覗くだけなのです。穴から見える景色をつくるのです。理想の景色を。自分のイマジナリーな世界をトレースするために文章を書く。絵を描く。彫刻する。

想像してください。どんな生活が理想なのか。(400文字)