いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

モノと人間。古いモノには意思があり。

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数日前、軽トラックで現れた老人が

「ここは古い物集めているんだっぺ?」と言ってきた。

「集めていると言うか、この家にあった古いものを並べているだけなんです」

とぼくは返事した。

見たことのないお爺さんだった。

 

「まあ、何でもいいや。ウチの妹の家に貴重な衝立(ついたて)があっから、取りに来い」

 

「必要ない古いも」のと言われるとどうしても気になってくる。どうにも弱い。

 

案内された家は、すぐ近くだった。衝立はかなり大きくて、お爺さんと一緒に運び出した。妹さんの旦那さんは、癌で余命がないから身辺整理をしていて、妹さんが預かっていた衝立を処分したいと言うのでお爺さんは、捨てるのは忍びないと、ぼくに声を掛けた。

衝立は、娘の旦那のお父さんが亡くなるときに「価値がある」と言ったことからお爺さんが大事にしていたそうだった。

しかし、なぜ大事なものを妹に預けていたのかは、あえて詮索しなかった。

 

衝立のほかに囲炉裏の吊るし鉤が4本出てきた。貰えるものだと思っていたら、全部まとめて買わないかと交渉された。妹の家に長いこと衝立を預かってもらったから、そのお礼をしたいから買ってくれと言う。なるほど、くれるって話しだっけれど、そういうことなのか。

 

で、こう考えた。

そのモノに価値があるかどうかより、話の流れ、そのモノ自体がウチに来たがっている、と。

モノも長生きすると、そういう意思というか運命みたいなのが働くのだろう。こうやって衝立は明治時代から生き延びてきたのかもしれない。もしくはもっと前から。

 

結局、お爺さんと一緒にまとめて荷物を運んできた。得意げに妻のチフミに経緯を話すと

「え!?どうすんの?こんなに大きいの」

どうやら迷惑らしい。

 

それでもお爺さんに1万円支払った。

なんだか衝立のせいで

ウチは変な空気になってしまった。

 

ぼくは衝立と出会ったことをこう考えた。

ぼくが持っているお金は、絵を売ったりデザインしたりで、誰かが支払ってくれたお金だ。だから、その価値をできるだけ有効に投資したいと思う。社会に対して。よくわからないけど、お爺さんへの支払いは、社会貢献でもあり何かへの投資になると思う。きっと何かの作品の一部にできる。古い物だから、成り立ちが自然に由来する美しいものでもある。チフミの静かな怒りには、触れずに、そう納得することにした。

 

なんだか分かるものより分からない方がいいし、何かの役に立ちそうなことより、役に立たなさそうな方がいい。

これは、ぼくの悪い癖かもしれない。全然社会貢献じゃないと突っ込まれそうだ。

 

例えば、時間についても同じで、朝から晩まで創作に投資している。たぶん、もっとまともな時間の使い方もあると思う。でも、すぐにお金になる当てのないことをしたい。

こうすればお金になると見えていることは、それほど魅力を感じない。なんというか、オーダーがあるから結果が見えてしまう。

それより、楽しくて時間が過ぎるのを忘れるようなことに時間を投資したいと思う。

 

なんだかよく分からないことに没頭した方が想像を超えた創造力を発揮する。まったく予想しなかった方向に展開する。

で、衝立は何の役に立つのだろうか。

ウチに来てから10日ほどが経ったけど、まだ分からない。

 

生活をアートにする。それが何なのか。まだもう少し冒険できそうだ。

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