いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

夜明け前

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何かに偶然出会うことが繰り返していく日常を楽しくする。

ぼくの場合は、予定したことより、何かの拍子に出くわすことに興奮する。興奮すると、頭の中で創造のスイッチが働く。

 

1月3日。2019年になったけれど、チフミの実家で、チフミ姉妹の家族とその子供たちと両親と過ごしている。何もしない日々。

 

チフミの実家は長野県の諏訪湖の近くで、せっかく諏訪にいるので、朝6時に起きて、諏訪湖で日の出を拝んで、温泉に行くことにした。

 

諏訪湖の釜口水門に着くと、薄っすらと空がオレンジに色付いていた。
水面に反射した景色が美しい。寒いけれど、風はなくて、湖面はところどころ凍っている。

空はどんどん明るくなっていく。

明るくなるほどに、景色の深さが消えていく。
すっかり日が出ると、それは朝だった。

夜明け前の方がが美しかった。

明けてしまえば、魅力は感じられなかった。

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夕方、チフミとチフミのお姉さんがmont-bellに買い物に行くというので、一緒に行くことにした。欲しいものがあるわけではないけど、なんとなく、山に関する書籍がありそうだな、と狙っていた。

 

お店に行くと、やっぱり本棚があった。mont-bellは出版もしていた。

平積みしてあった「神々の頂ー創作ノート(夢枕獏)」を手に取ってページをめくった。

 

年末に入院している友達の差し入れに神々の頂のマンガを買って行こうと思って結局、お見舞いに行けてないのだけれど、そのときから、もう一度、読みたいと思っていた。で、その傑作は、どうやって書かれたんだろうか。

 

その話が書かれるまで20年もの月日が経っていた。

そこにはルネドマールの「類推の山」宮沢賢治の詩が引用されていた。

 

夢枕獏さんの文章は、とても読みやすい。
今年も本を書きたいと思っているので、参考書にと買って帰った。

 

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人とは、常に、どこかからどこかへ向かって歩いているものだ。
そして、死は、必ずその途上でその人の上に訪れる。
ひとつの頂を踏んだからといって、ひとつの場所にたどりついたからといって、その人の旅はそれで終わるものではない。
いやでも、到達した場所から次の一歩を踏み出さねばならない。

たぶん、真に必要なのは、頂を踏むというそのことではない。
今、どういう頂を目指して歩いているのか、そのことこそが重要なのだと思う。

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ぼくは、この文章に触れて、2019年の一歩を踏み出すような気持ちになれた。

 

日の出を見ることが目的ではなく

その過程にこそ美しさがある。

 

今年は「夜明け前」

をテーマに取り組んでみたい。

なんのことか、まだはっきり掴めないでいるけれど、その感覚こそが、旅の途中なんだと思う。