いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

閉じたアートを開くためのアート

ぼくは、絵を描くことについて学んだことがないから、自分で探して、やり方をつくっている。「はっ」と心を動かされるものは、すべてアートの対象になり得る。自分の感性に従っているから、一般的なこれがアートだという基準とはズレている。けれども、そもそもこのズレこそが個性でありオリジナリティになる。

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例えば、友達の家族が遊びに来て、一緒にモノづくりをして遊んだときのことだ。友達の子供は、六年生の女の子ノンと二年生の男の子ヘイで、妻のチフミが二人と色を塗って遊んだとき、ノンとヘイは、手形を岩に残した。誰かが命じることもなく、それは表現された。


子供にペンを渡すと、無邪気に線を描く。その線は意味を持たない自由で、また引っ掻いたような線だったりする。親や大人は、子供のそうした表現に心を奪われる。

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最古の現存するアートのひとつに、有名なラスコー洞窟の壁面がある。ここにも手形がある。それはノンとヘイの手形と同じ表現行為だ。この純粋さは、大人になるに連れて消えていく。もっとこうした方がいいとか、欲が純粋さを濁らせる。

 

この数年取り組んでいるプロジェクト「ガーランドづくり」では、純粋なアートが生まれる。参加者にペンやスタンプを使って絵を描いてもらい、その旗を繋げて10キロメートルを目指すプロジェクトで、イベントなどで参加を呼び掛けると、大人であるほど、絵を描くことを躊躇する。一方で、子供は、幼いほど頭に浮かんだイメージをそのまま旗に描くことができる。その絵には上手いも下手もない。


老人ホームでも、このガーランドづくりをやらせてもらっている。老人は、諺や詩や植物の絵を描いてくれた。ガーランドづくりを楽しんでくれ、ある施設では、日課のひとつになった。絵を描くことが、1日に彩りを添える。それもアートの為せる業でもある。

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障害者施設でもガーランドをやらせてもらった。施設の職員も驚くほど、個人差があるけれども、同じモチーフを何度も反復させたり、鮮明な記憶を再現するような動物や魚の絵が表現された。

ぼくは、アートとはどこにでも存在するものだと思っている。強引に定義するなら、アートとは、純粋さの発露だと思う。ぼくは、学校で学んだ訳ではないから、いろんな場所で観察して、心を動かされた対象を自分の作品に取り入れている。だから、純粋に表現する人たちは、ぼくの先生だ。社会の中で、枠に嵌められ、矯正され消えていく純粋さを、欲も迷いもなく表現する師匠達から学んでいる。

 

一度、あまりの純粋さに圧倒され、完全に心を奪われ、涙が止まらなかったことがある。

2013年、イタリアのビエンナーレで、作品を鑑賞していたときのこと。目が見えない人たちが海の絵を描くというプロジェクトの映像が流れていた。

目が見えないある人は、絵の具の色も判別しないまま、手に絵の具を載せて、キャンバスに手を滑らせ、手探りで何かを掴もうとするように海を描いた。それはまったく海ではないのだけれど、その人の感じる海がそこに確かにあった。目の見えないその人は、見たことのない海を、この世界に、ほかにひとつとしてない海を描いた。

 

表現するとは、奥深く答えのない行為だ。だからぼくは、考えて、行動して表現する。それは常に問いであり、投げた答えは、すぐに問いになって返ってくる。

ぼくは絵を描く表現だけでなく、また言葉を駆使して、このアートという不可思議を捕まえたいと思っている。

これはまったく独自の発想な訳でもなく、芸術の枠からはみ出しながら、その道を切り拓いてきた先人たちに閃きと進む勇気を受け取っている。次は、その話をしよう。