いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

2019-10-01から1ヶ月間の記事一覧

作品構想「D-HOUSE(災害の家)」

昼過ぎから雨が降ってきて、午後は施設の芸術による活性化についての会議があって、チフミにクルマで送ってもらい、終わって夕方、パソコンをアトリエに忘れたことを思い出して、迎えに来てくれたチフミと山のアトリエに戻った。 強い雨が降り続けて、北茨城…

日々起きていること。見捨てるのか拾うのか。糞なのか宝物なのか。

起きたことを書く。10月19日。依頼されたデザイン仕事の締め切りが近くなってきたので、廃墟の改修はお休みして、一日中デザイン仕事に費やした。そうするつもりだったけれど、疲労が溜まってたらしく、昼過ぎまで寝てしまった。 起きて、デザインのイメ…

失われていく「お祭り」のチカラ

昨日は、地域でお祭りだという話を聞いて、チフミは近所のおばあさんの家に手伝いに行った。何のお祭りかおばあさんに聞いても「お祭りだよー」としか話してくれなくて、別の人に聞くと「お祭りだけど何にもしないよー」と言う。 何もしない、ってことは縮小…

今いるべき場所、今するべきこと。

創作に没頭するための場所を作っている。ひとつ作ったけれど、それは公共の場所となったので、自分たちが暮らす場所も作ることになった。気がついたら場所を作ることに没頭している。 「場所」 今いるべき場所=in the place to beというヒップホップの名フレ…

ユースレスホーム。存在するだけで役に立っていることの証明。

もう終わらないんじゃないかと思うときもある。廃墟の規模が大き過ぎて、やってもやっても課題が出てくる。だけど、誰かのためでもなく自分のためでもなく、ただこの地域に廃墟があって、それを美しくしてみたい、と思った。だからやる。もちろん、閃きをカ…

この土地に生きるものたち

「ご苦労だね。いやいや、綺麗になった。俺のところに鶏小屋があって、もう使わないから、解体すればトタンや木材あげるから」 ぼくら夫婦が改修している廃墟の様子を見に来る猟師のお爺さんが言った。 ぼくらはお爺さんを地域のみんながシゲ坊と呼んでいる…

トルストイの民話、やば過ぎる。

トルストイを読んでしまったら、あまりに社会と距離ができてしまって、言葉が出てこなかった。トルストイの民話は危険な読み物だ。美し過ぎて、いまの社会にはまったく適していない。 昨日読んだ話はこうだ。 --- ある兄弟が、困っている人たちを助けながら…