いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

馬小屋と冬の暮らし。生活のリズム。

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アトリエにしているArigateeの馬小屋を改修していたら、元家主の有賀さんが様子を見に来てくれた。有賀さんに聞けば、この場所の歴史が分かる。むしろ有賀さんの記憶以外にその歴史が存在している場所はない。本にもインターネットにも載っていない。

 

馬小屋は、約60年前に建てられた。農家だった有賀家には、馬と牛がいた。馬も牛も農耕の動力として利用された。馬小屋の二階には、餌の草が保管されていた。有賀さんは子供の頃、裏山から切り出した木材をソリで運んで、大工さんが木挽きで製材するのを見た、と話してくれた。屋根の下地の杉皮も板材もすべて、地産地消土壁の砂や土や藁も、身近なところから集められている。完璧な日本建築。

どうやって二階の高さまで上げたのか今では想像もつかない、立派な梁が一本通っている。杉材だけなく、栗の木やミズの木も使われているらしい。ミズの木は、その名前にあやかって火事にならないことを願って、使われている。

 

朝起きて、アトリエに行き、馬小屋を改修して、チフミが料理したお昼を食べて、また作業して、夕方に明日使う材料の買い出しに行きつつ、帰宅する。その帰り道、美しい夕陽に遭遇した。

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ぼくは大地に足をつけて生きていて、そのずっと上には宇宙がある。全体、自然に包まれている。夕焼けは、そんなことを想像させてくれた。

 

帰宅すれば、風呂を沸かして、チフミが料理して、夕食を食べて、風呂に入って、20時くらいから、作品の制作をする。22時くらいまで。

 

朝目が覚めてから寝るまで、時間があって、すべての時間に対して何をするのも自由だ。本来、人間は自由なんだと思う。けれども人間は社会に生きる性質があるので、社会に接続する理由や価値が求められる。誰に?

いや、ほんとうは、要求されていないことまで、自らが要求して、窒息しそうになっている。

その点、ぼくなんかは、社会不適合者スレスレだと思う。アートです、と称してイメージや体験したものをカタチにして、社会的な身分を主張している。もっとも、とにかく没頭しているのが、快適で平和な時空間だから、それを保つことを最優先にしている。とにかく「つくる」ことだ。

 

冬の生活にはリズムが必要だ。寒いから身体を動かす仕事がいい。動いている間は、ストーブも使わないから燃料費を節約できる。

今週はずっと、家の改修リズムで生活してきた。北茨城市の奥地にあるアトリエだけど、たまに遊びに来てくれる人がいるから、まったく社会に適合してない訳でもない。

 

一昨日は、風が強くて、林業を休みにした古川さんが来てくれた。すかさずチフミは、アトリエの周りの木を切って欲しいとお願いした。木の扱いはプロだから、すっかり綺麗に切ってくれた。友達に仕事してもらってお金を払う。休みの日に持っている技術を提供してもらって対価を渡す。友達に経済を回す。ぼくの持っているお金も、そうやってぼくのところへやってきたのだから。

 

昨日は、古川さんが切った木をチフミが整理していると、近所の70歳中頃の松本さんが遊びに来てくれた。新年挨拶なんかをしていると、整理してある木が欲しいと言う。聞けば味噌を作るのに使うらしい。ちょうど、味噌を作ってみたいと思っていた。古川さんが切った木は、松本さんの味噌づくりに使われて、ぼくは松本さんの味噌づくりを手伝いながら、習うことになった。野菜をつくって、味噌つくって、魚なんかも釣れて、食器なんかも土器みたいに焼けたら、ほんとうに生活を芸術にできる。そんなのは、芸術ではない、と言う人もいる。そうだ。これは芸術なんかじゃない。社会的な上っ面だけ芸術と称して、その実は「生きる技術」だ。

 

今日は、午前中にチェンソーアートをやる70歳の平さんが遊びに来てくれた。平さんは、いまの世の中はカネカネばっかりで、余裕がないと嘆いていた。ぼくも、なんとなくそうは思うけれど、いまの世の中が酷かどうかは、ほかの時代を知らないので、正直、比較のしようがない。昭和は子供だったし、政治のことも知らなかった。そこで平さんに

所得倍増計画の時代はどうだったんですか?」

と豊かそうな時代の話しを質問してみた。

「その頃、ちょうど働きはじめた頃でね、所得倍増するぞ!ってみんな騒いでいたね。そのときのボスがね、これからの時代は、親分にならなきゃ、損するから、なんでもいいから親分になれ、と言ってね。泥棒だって親分じゃなきゃ意味ないってね」

 

「それで会社を興す気になってね。所得は倍増しても、結局、物価も上がっていくから金持ちにはならないよ。むしろ、どんどんお金が必要になっていくような感じでね。もっともっとお金を増やせー、ってやってたらバブルが弾けて」

 

「いまなんて、まだその熱から覚めないような時代だよね。ほんとうは、自然の循環のなかで暮らすのが一番いいんだよ。この馬小屋なんて立派な建物だ。全部自然に還るんだから。日本人ってのは、そういうことに優れた民族だったんだけどね、自然の扱い方を忘れつつあるね」

 

馬小屋の外の景色を見ながら平さんと話して、そうなんだよな、と思った。悪い時代なのかもしれないけれど、今目の前に起きていることを楽しんで、顔が見える人とお互いに、お金を払ったり貰ったりして、頼まれもしない作品をせっせと作って、それが何年後かに売れるような暮らし。出来ることは自分でやって、消費よりも生産の方が多いような生活。

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この先どうなるかなんて、全然分からないけど、今の暮らし方なら、毎日、見えるものは自然だし、感じるストレスもないし、じゃあ、これから、どう続けていくのか。それは、すぐにできなさそうなことでも、興味あることはやってみて、自分の技術にしながら、「生きる」ってことを表現し続ける、それしかない。もっと小さなことを楽しめるような虫の眼を手に入れよう。