いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

時間も思考も超えて没頭する日々。

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とりあえず、新しい物語に突入しているようなので、何か分からないけど書いてみる。ぼくは、表現者として生きるのを目標にしてきた。

表現者とは、イメージをカタチする者と定義してみる。ぼくの場合は、アート作品を妻のチフミと制作して、それをするための環境を作って、生活そのものを創作してきた。その成果が「生きるための芸術シリーズ」の2冊。ぼくは自分の生き方をドキュメントしている。

生活の創作とは、少し先にこんな風に生きたい、という理想があって、それに向かって進んでいく。ボルダリングというスポーツのオブザベーションというやり方から学んだ。とにかく制作に没頭できる環境を作りたかった。そのために海外を旅して、出会った人たちの生き方をサンプリングした。これはヒップホップに学んだ。

東京で生まれ育ったぼくは、生きるための技術を少しも持ってなかった。家も建てられないし、野菜も育ててなかった。だから、4年ぐらいかけて、空き家を直す技術を手に入れた。この冬は北茨城市の古民家を拠点に、馬小屋を改修している。それから野菜も少し作るようになった。春から秋には、作った舟で釣りもする。

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収入は、作品を売ったお金、北茨城市の地域おこし協力隊の給料、デザインなどのギャラ。家にかかるお金はゼロ円になった。

北茨城市の地域おこし協力隊には、アーティスト枠があって、北茨城市を拠点にアート活動することが条件で給料が出る。とても素晴らしい制度だと思う。おかげで理想の暮らしをここに実現している。

 

冬は、寒いから身体を動かす仕事が良くて、朝から夕方までは馬小屋の改修をして、夕方からは、作品づくりをしている。冬も悪くない。遊ぶよりも、こうやって没頭するしかないのだから。

 ぼくにとっては、東京ではなく、海が近くにある自然の多い場所が理想の環境だった。あとは、この環境を維持して、さらにヤバイ作品を作るだけということになっている。けれども、ヤバイ作品を作ってやろうと狙うよりも、日々コツコツと制作しているうちに、世間とのズレが生じてインパクトある作品が誕生するってのが自然なんだろう。

石の上にも三年。毎日8時間を一年続ければ、2920時間×3年で、10000時間。それだけの時間を費やせば、なんかのカタチになるらしい。ほんとうに。

とにかく生きるための技術を採取して身につけてきたのだけれど、今年は新年早々に、歌舞伎とお笑いにぶっ飛ばされて、予想もつかない方向に流されている。慌てて言葉を探しているというのが正直なところ。つまり「技術」と「芸」の違いについて考えている。

「技術」とは、
それ自体を披露する必要はなくて、技術を駆使して出来上がったものを提示すればいい。

一方で「芸」とは、
魅せる技術のことで、ライブ的なパフォーマンスでもある。

だとすれば、
ぼくには何の「芸」もない。ゼロ。気がついた。でも大丈夫。
ここからが新章のスタート。

 あるときのオリンピックで金メダリストが言っていた。
「弱点をみつけて、それを克服する練習をしました」と。

今日は明日へ続くとは決まっていない。
明後日とか1年後へ跳んでいくこともある。

時間も思考も超えて没頭する日々。
これが欲しかった。

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