いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

仕事が生まれる条件

明日は、日立市の海にいくと決めて寝た。翌朝目覚めて、妻チフミがコーヒーをポットに淹れて、7時半ころに出掛けた。

ぼくたちは絵描きだ。だから、よい景色を見たい。前回の展示で、注文された作品をコツコツと作っている。ぼくはアイディア、パネル、額、下絵、チフミは、下絵、色調、色塗り、仕上げ。頼まれた作品は、その人に合ったものを作りたい。そんな気持ちで、日立市の海にきた。

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天気が良いので、作品たちを撮影した。

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これがぼくの仕事だ。ぼくは仕事を作った。頼まれてやる仕事と、頼まれもしないでやる仕事がある。後者は、予言もしくは予知だ。

まったくお金になるか分からないけれど、自分が信じるところを表現する。するとその表現を愛してくれる人が現れる。何年後なのか、何ヶ月後なのか。お金にならなくても、死んだ後になって価値が生まれるかもしれない。だから、これは仕事なんだと思う。

そんな生活を続けるには、食べ物を確保したい。だから畑をやるようになった。いくつかの品種を植えたけど、小松菜は素晴らしい。秋から冬を越えて春になっても、花が咲いても食べられる。強く逞しい。まるで雑草みたいだ。ぼくたち夫婦が必要とするから畑に仕事が生まれる。

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北茨城市が掲げる「芸術によるまちづくり」も仕事になっている。古民家を改修してアトリエギャラリーをつくって、今年は、その周辺環境をつくる。

それは何か。

人と自然の間をつくることだ。

これは新しい仕事になる。

必要とされること。

ここから仕事が生まれる。

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