いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

夜空にボールを投げ続けると100年後に届く【個展のお知らせ】

すごく驚いた。ニーチェの「ツァラトゥストラ」は40部だけ作って配ったそうだ。この歴史に残る名著と呼ばれる作品がだ。

調べてみると、4章構成で1章ずつ印刷され出版社から出された。章を重ねるごとに売れなく打ち切りになり4章を自費で出版したそうだ。

感動する。諦めないこと。ニーチェは今では多くの人が知る哲学者だけれど、このエピソードが当時の知名度と状況を伝えている。

売れなきゃ意味がない、と考える。それは間違いだ。宮沢賢治だって、カフカだって、ゴーギャンだって、みんな創作そのものに熱中した。生きている間の評価は夜空にボールを投げるように何にも届かった。けれどもボールは100年の時を経てぼくらの手元に届いている。

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さて個展のお知らせ。ぼくも100年後に向けてボールを投げています。2024年6月5日から16日まで有楽町マルイの6階に檻之汰鷲(おりのたわし)のギャラリーが出現します。

タイトルは「そとしごと」英語でOutside of the works。

ぼくは妻と作品をつくっています。が、野外での活動が主で、草を刈ったり、木を切ったり、燃やしたり、耕したり種を蒔いたり。いわゆるアートではないことばかり。だから作品以外、仕事の範囲外、という意味でもあります。仕事ではないもの、作品でもないもの、外で、つまり自然のなかから、そういうところから立ち上がるイメージやカタチ。部屋のなかで頭で考えて準備して狙うものじゃないというわけです。

何かをつくる目的は、生きることです。料理、文章、音楽、彫刻、絵、園芸、なんにせよ、自分が持っている24時間という資源をカタチに変え、生き延びるためにやる。お金に変えることもそうだけど、つくる行為が自分自身をつくっていく。つくられたものは生命のようなエネルギーを持って誰かにチカラを与える。

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それは景色なんだと思うんです。自分が見ている世界を作ること。ぼくは流れるがままに北茨城市という町の山間部に暮らしている。その集落の景色を作っている。桜を植え、蓮を植え、草を刈り、種を蒔き、木を切って炭を焼いて。この写真は菜の花を咲かせた。

そこから派生してくる表現。絵画、彫刻、土器、和紙。作った景色を絵にしたもの。伐採した木の彫刻。身の回りの土で焼いた土器。灰が釉薬に。裏山でみつけた楮は紙に。煤でつくる顔料。すべては未満です。素材や技術を偶然みつけたから作ってみた。工芸未満です。でもそれは源流です。そのむかし人間が木を削ったとき、土を焼いたとき、絵を描くようになったとき。成功より失敗の方が多いでしょう。だってやり方なんて決まってないから。セオリーや答えに従っても投げたボールは時空を越えない。届け!答えのそと、ルールのそとへ。

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