いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

生きることを家が教えてくれた。

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愛知の長屋が火事になった。6年前に改修を手掛けた家だ。家賃を安くすれば好きなことをして生きていける、そう閃いてぼくは空き家を探した。素人のぼくに家を直させるなんて、そんな発想に付き合ってくれる人は、ほんとうに稀だと思う。ところがそんな人が現れて、愛知の長屋に暮らしながら家を改修させてくれた。予算も出してくれた。家主さんは、自分が開発したDIY工法を実践する人を探していたのだ。おかげでぼくは独学ながら家を直せるようになりいまは家賃ゼロで生活している。

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焼けた長屋は解体するしかないと思った。ぼくが改修した部屋に入居して店にしていた人も諦めた。もう終わりだと。部屋に焼け残った荷物を片付けに行くと、消火のため濡れてしまった部屋なのに、焼けた空が見える屋根なのに、それにも関わらずこの家はまだ生きていると感じた、そう話してくれた。この部屋は焼けずに残った奇跡的に。

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家は生きている。古い家は、土壁、木の柱、床板、畳、どれも自然から作られている。だから、それぞれの素材に耐用年数があって、それを「生きている」と表現するのはスピリチュアルでもオカルトでもない。とにかくあの家は「生きている」というメッセージを発しているのだ。

ぼくは生きることを家から教えてもらった。アフリカのザンビアで泥の家を建てたとき、何もできないぼくを見た現地の人が言った。

「君は家も建てられないし野菜も育てない。一体どうやって生きているんだ?」こう答えた。「ぼくは仕事をしてお金を貰って生きているんだ」と。そこにいた全員が笑ってひとりが言った。「ここだったら1カ月で死ぬよ」

ぼくは世界水準では生きていなかった。だから生きることにした。それから「生きるための芸術」がスタートした。そんな芸術は存在しない。だからこそぼくはそれを作ることができる。

生まれて死ぬまでの時間はそれぞれ違っても、1日24時間という単位は平等に与えられている。貧富も身分も人種も差別なく。

だからぼくはやりたいことをやって生きていくことにした。平等に与えられた時間という資源を駆使して。時間とお金の関係には何かしらかの方程式がある。けれども答えはひとつではない。

お金持ちになって幸せになるとは限らない。かと言って自給自足が満ち足りているとも思えない。安易に提示されている模範解答らしきものをガイドにしても何の役にも立たない。それはその人が歩いている現在地の地図を広げて見せているだけ。せっかく歩いてきた自分の道を放棄して、安易にその道に乗り換えても、結局は自分の道を歩くしかない。だったら自分の道を歩き続けることだ。

自分が生きるための環境を自分で制作する。当然ながらここに社会的なニーズはない。経済活動もない。誰からのオーダーがないところで、まず社会の歯車として教育された自分を解放する。自分を構成するパーツを分解する。自立させるために。社会と自然のあいだに自分を居場所を開拓するために。

したいことを諦めたり止める必要はない。焼けた長屋が生きようとするように。意思があればその先に道は広がっている。

 

あれから20年。この先20年。

あれから20年が経った。20年前、ぼくは交通事故に遭い、その年の秋に親友が死んだ。彼は27歳だった。

そのときにぼくは本気で生きる決意をした。やりたいと思うことに全力で取り組むこと。ぼくは自信がなかった。つまり誰もぼくを評価してくれる人が周りにいなかった。そのはずで、自信がないからまだ何もしていなかった。でも音楽が好きだし、本も書きたかったし、絵を描いたり、アートをやってみたかった。

彼が死んだとき、お葬式でぼくはその決意を手紙に書いた。火葬場でそれは彼と共に燃えて煙になって空に消えていった。

8月。アイツの墓参りに富山へ行った。アイツのお母さんが絵を注文してくれて、張り切って作ったら大きくて、もっと小さいのが欲しいと言って結局2つ購入してくれた。だからこの機会に直接持っていくことにした。アイツの実家のベルを鳴らすとお母さんが出てきた。部屋に案内されてお線香に火をつけ、手を合わせて挨拶した。何も言うことはなかった。何かコトバにすれば泣き崩れてしまいそうだった。

ぼくは生きていてアイツは死んだ。ぼくはアイツと共にこの20年を生きてきた。20年前にやりたかったことをしている。

死ぬということは、姿カタチが消えて無くなることだけれど、アイツは記憶のなかに残っている。今も。遠くに引っ越した友達に似ている。ただ連絡を取る方法がないだけで。

ぼくたちはアイツと一緒にやってたバンドを今も同じ仲間と続けている。練習には来ないけれどいつもアイツがいる。

もう更に20年。表現を続けようと思う。もっと社会全体に染み渡るように。水のように。高いところから低いところへ。そのためには自分が登らなければならない。社会のピラミッドへ。魂を奪われずに。世界の片隅から反対側の世界の片隅まで届くように。

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表現を続ける理由。

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表現を続ける理由は、有名になりたいとかお金をたくさん稼ぎたいからじゃない。いや、はじめはそんな動機だったのかもしれない。でもいまは、それよりも、もっと、ぼくが見ている世界と、実際の社会、ぼくが見ている世界と君が見ている世界の違い、もしくは、ぼくが理想とするライフスタイルが社会が良しとする方向と一致しなくて、そのギャップを埋めるために表現をしている。ずっとその違和感に悩まされてきた。いまも足掻いている。現実と理想の間にある溝を表現で埋めようとしている。この想いを伝えるために。

この想いをコトバにしなければ、流されてしまう。黙ったまま、その想いはなかったことになる。その溝をなかったことにして生きていくことになる。表現するとは、流されることに抵抗するチカラなんだと思う。ぼくはこの溝をカタチにしてみせたい。

それがぼくにとっての芸術だ。ぼくにとってそのひとつは音楽であり、そのひとつは絵画であり、そのひとつは文学であり、それらの枠組みから零れ落ちるさまざまな断片も含めて全体をぼくは「アート/芸術」として表現している。だからぼくは芸術にたどり着いたのだと思う。履歴書的に語れば、そのどれも商業的に成立しなかった。はじめは音楽だった。バンドを組んで曲をつくりライブハウスのステージに立って、やがで人気が出てレコード会社と契約してミュージシャンになる、そんな進路は切り拓かれなかった。その次は小説だった。空想の世界をコトバで描き本に綴じる。そこに描かれた世界は他者が理解できるような代物ではなかった。そして絵を描いた。かろうじてそれは芸術と呼ばれる枠組みに収まっている。おかげでぼくは芸術家という職業に就いている。ところが音楽も文学もぼくは捨てていない。いまもしぶとく握り続けている。

サバイバルだ。この活動全体を続けていくにはお金が必要だ。妻と犬と暮らしていくだけの経済的な稼ぎは確保したい。この活動と呼ぶ、得体の知れない運動を続けたい。これがぼく自身の呼吸であり健康そのもので生きるということだから。

幸いなことに現時点では、絵画と文学活動の交差するところに切り拓かれた「生活芸術」というコンセプトが仕事になって食っていくことができている。

今読んでいる「ルクレジオ、文学と書物へのアートを語る」に、多くの作家たちがそれに従事することでは充分に暮らしていけないことが書いてある。マラルメは英語教師だし、サルトルも哲学教師、セリーヌアンドレブルトンは医師だった。カフカは役人だった。歴史に名を残すような作家たちでさえ、それだけで生活することは叶わなかった。

しかし見方を変えれば、彼ら先輩たちは、その表現を売るための道具にしなかったと受け取ることもできる。叶わなかったのではなく、そうしなかった、と。いつの時代にも流行はあってヒットする表現がある。いまの時代も同じだ。

それなのにぼくは舟を作っている。舟を作る自由を手に入れるために10年以上かけてライフスタイルを構築して、やっとその自由を手に入れた。舟はエクソダスの象徴だ。脱出。今ここから抜け出す道具。生活が便利になるにつれて人々の暮らしは海から離れていった。川との暮らし、海との暮らし、それらは失われ、人々は釣りか海水浴ぐらいしか海に近づかない。

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見ないということは、その存在がその世界のなかに存在していないに等しい。見ないということは見えないことに等しい。見えないことはそれは君のなかに存在していないということだ。

いまは情報化社会で、目の前にあることよりも、それ以外の情報の方が多い。その量はすでにダムは決壊して濁流となってぼくらの日々を飲み込んでいる。

朝起きて夜、寝るまでその自由を手に入れることの難しさを誰もコトバにしない。本が何冊売れたとか、絵が幾らで売れたとか、そんなことよりも、どうやって自由に生きていくのか。ぼくはその抜け道づくりに専心している。

草刈りをして道をつくる。その道は正真正銘、自分が作った道だ。ぼく以外の誰もそこに道を通したりしない。表現するとは、そういうことだと思う。この草刈りしてつくる道は、景色をつくるという表現だ。決壊して流れる情報に飲み込まれずに、目の前に景色をつくること。自分の足で大地に立っている。その大地から生えた身体の目が捉える景色。それが窓だとして、その枠の向こうが気持ちいい景色になるように、日々自分の環境を構築する表現。それを生きるための芸術と呼んでいる。それを遺すためにぼくは表現を続けている。それは人間に普遍的に必要な思考だから。

種を蒔いて芽を出して育てて夢を見る。

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たくさんのことが同時に起こっている。それらは自然発生したわけでもなく、種を蒔いていた物事が芽を出している。それは比喩でもあり、まさに文字通りでもある。

お盆は妻の実家、長野に行って久しぶりに休んだ。ほぼ何もしなかった。ご飯を食べてお酒を呑んで買い物に行ったり。休みも必要だけれど毎日の生活自体を創作していると、休まないリズムの方が調子良かったりする。休むと社会のあれこれにリンクして調子悪くなるところもある。自分の生活をつくることは生きる環境を構築するのだから、生き物としては生活を作っている方が快適なのだと思う。お休みしたからそれを知れたのだから、それはそれでよかった。つまりこうして文章にすることがその仕事を果たしている。何をしても自分のコトバで書き記すことをすれば、それは糧になる。

ぼくが生きている環境は大地のうえにあって、町よりも自然のなかにある。景観をつくる仕事をしているので、毎日緑に触れている。刻々と景色は変わっていく。だから自分の環境との関わりが気になって以前のように長く離れられなくなってきた。自分が土地に根を下ろし始めている。

お盆前にコスモスの種を蒔いた。お盆が明けてもう芽が出てきた。芽が出るのはコスモスだけではないから、それ以外の草取りをしている。コスモスがよく育つように必要ない草を手で抜いている。昨日それを見た人は驚いていた。「こんな気の遠くなる作業をするんですか?」と。

妻とぼくも気が遠くなったし、ほんとにできるのか疑っていたけれど、やってみると案外なんとかなるのかもしれない。これはアート制作であり、この作業が傑作をつくると信じている。どうなるか分からないけれど目の前に現れたやるべきことに集中すれば、それは何かしらかの収穫になる。

今年はひとつ展示が決まっていて、その準備がはじまっている。今回の展示は販売するギャラリーではないので作品を発表するだけだ。それだけにコンセプトを尖らせてぼくたち夫婦の活動を作品で伝えたいと思っている。

開拓している里山も魅力的な場所になってきて、友人が遊びに来てくれるようになった。先週は音楽の友達がDJ KENSEIさんを連れてきてハイブリッドカーで発電して小さなライブを披露してくれた。KENSEIさんは「ここには可能性しかないね。終わっていくことや、混乱していくことが多い時代に、ここにははじまりしかない。今日はここにクラブができた記念日だね」と言った。

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北茨城にUターンしてきた20代と小水力発電を計画している。先に書いたように電気があればいかようにも遊ぶことができる。ぼくたち夫婦がしていることは、生きるための芸術、生活をつくること、目の前の景色をつくること、ここにあるものを最大限に活用する、ここにある、coconialismというコンセプト。ぼくはコンセプトも創作している。もしかしたらそれがぼくのアート活動かもしれない。電気もつくりたい。ぼくに知識も技術もないけれど、20代の彼が主導して現実的な計画に落とし込んでいる。

そして来年には、この里山にキャンプ場ができようとしている。その準備としてアートキャンプというプログラムを開始しようとしている。

もっとも大きな収穫は10代からやっているバンド活動だ。今年になって活発化して、新曲もできて、ライブも好評で充実している。しかし音楽活動はお金にならない。そこをどうにかしたいとも思うけれども、まずは30年近くかかって仲間のチカラを借りながらも、理想の音楽を作れているという奇跡に感謝したい。

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同時に起きているこれらの芽がぼくを活かしてくれる。たとえ大きな収入にならなかったとしても。そして毎日を豊かに彩っている。それは絵画のようにイメージして日々をつくるからこそ見える景色だ。

反逆の段取り

「自分の畑を耕しなさい」というヴォルテールのコトバが頭の中に刻み込まれている。

突然に忙しくなった。というのも、トラクターで耕してもらった耕作放棄地にコスモスの種を蒔く段取りが悪かった。せっかく耕してもらったのに雑草が生えるまで放置してしまった。慌てて妻と種蒔きを計画するも、どうやっても草を取る必要があった。

爪のたくさんついた農具、レーキで地面を掘り返す。根っこや草を取り除く。作業はそれだけだけれど、田んぼ3枚分は気の遠くなる広さだった。

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妻と2人で朝と夕方に数時間づつ作業した。日中は30度を超える灼熱でとても仕事はできなかった。ほんとうに温暖化は進行している。どうする人類よ。

作業をはじめると、一日どれだけやれば終わるかイメージできた。一方で体力的や天候など不安要素も見えるので、今日やるべき分をクリアしたら、そこから明日の分を少しでもやっておく必要があった。アメリカ建国の父ベンジャミン・フランクリンは「今日できることは明日に延ばすな」「仕事を追え。仕事に追われるな」とコトバを残している。

火曜日にはじめて、水曜日の日中はギャラリーとの打ち合わせ、クルマのナンバー更新があって水戸にいき、そのついでに県立図書館で「ブラックジャコバン(C・L・Rジェームス)」「言語と呪術(井筒俊彦)」「無人島(ジルドゥルーズ)」を借りた。前の2冊は値段が高騰してて買うの躊躇っていた本だ。やっと手にできた。その水曜日の早朝、4時から8時までと16時から19時まで草取りの作業をした。驚いたのは日が暮れると同時に蚊や虻や小さな虫が活発化して襲ってくることだ。吸血鬼やホラーに定番のイメージそのままだったから逃げるように撤収した。

まるで登山だった。頂上を目指すように、コツコツと自分の身体を駆使して進むしかなかった、ほかの誰もやってはくれない。よいことだ。覚悟できる。木曜日までには作業を終わらせたかった。

ラッキーなことに木曜日は曇りだった。霧ほどの雨がたまに降って仕事を手伝ってくれるようだった。こんなとき自然に感謝するのかもしれない。もしくは、これまでの働きが報われたと神に感謝するのかもしれない。

おかげで3日目の午前中に種蒔きは終了した。久しぶりに筋肉痛になるような作業だった。けれども心地よかった。桃源郷づくりの師匠カミナガさんが言うところの「苦しみと喜びが同時にやってくる」これだった。苦しみのカードを引いても大丈夫。それを引き受けて、やがて捲れば喜びに変わる。

人間は大地に働きかけて糧を手に入れ生きてきた。けれども、その労働の苦しさも軽減したかった。その一部は道具や機械を発明するきっかけにもなった。つまり進化する理由にも。もう一部分は、他人に押し付けることで解決した。つまり自分の苦労を他人に押し付け、自分は楽をする。この連鎖が社会を不幸にしているように思う。

イギリスの人種差別をテーマにした映画「スモールアックス」で、我々がどのような歴史を辿ってきたか、それを知ることだ。自分のルーツを知れ。ブラックジャコバンを読め。というシーンがあって、この本を借りてきた。

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そこには植民地主義時代の凄惨な奴隷制度の現状が書かれていた。ぼくにはどうしても、この出来事が自分に関係ないとは思えない。何百年も前の、遠い海の向こうの出来事が。今ぼくが生きている現実と繋がっている、そう感じる。それは音楽からのメッセージに託されて伝わってきた。それでロックのルーツを辿る文章を最近、書きはじめた。ところが溢れて止まらなかった。これは次の本にできるかもしれない。

 

それはこんな文章ではじまる。

ボブ・マーリーは「REBEL MUSIC(反逆の音楽)」でこう歌う。

どうしていけないなんだ
広い野山をぶらつくのが
どうしていけないんだ
好きなように生きるのが
俺たちは自由が欲しいだけ

I,REBEL MUSIC
I,REBEL MUSIC
WHY CAN'T WE ROAM THIS OPEN COUNTRY
OH WHY CAN'T WE BE WHAT WE WANT TO BE
WE WANT TO BE FREE

 

 

毎日違う今日。一日減って、一日増える。

日常とは意味もなく過ぎていく退屈なものだろうか。今日も明日も明後日も変わりない、同じような日々の繰り返し。しかしどうして、それなら、違う毎日に変えないのか。

朝目覚めて「何からはじめようか」と楽しみに溢れた一日にすることもできる、はずだ。それが自由だろう。けれども、そんな朝は、一般的に考えられる日常とは違う。

ぼくは新しい日常をつくっている。これはぼくが創作した日常についての記録。これは空想の日常ではなく、自分が現実に生きる日々を作るドキュメントだ。目の前の景色を変えること。これは誰もができる表現技法。すべての人が自分の人生をつくる自由を持っているはずだ。

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昨日は朝から森に入って木を伐る約束だった。いま炭焼きの師匠たちと休耕田を埋めた広場に休憩小屋を作っている。コールタールが塗られたむかしの電柱を柱にして、山に生えている木を伐採して梁にする計画だ。

師匠のひとり有賀さんは72歳なのにぼくよりも体力がある。この日も山に入って、手ごろな木を選んでチェンソーで倒して、5m、4mの長さに切った。それを担いで山から降ろす。距離は数十メートルだけど、担ぐと木の重さが全身に載ってくる。全部で6本。木を降ろして軽トラックに積んで、小屋の建設現場まで運んだ。単管でまだ柱だけしかない小屋の周りを囲んで足場を作った。そのあと伐採した木の皮を剥いた。これで午前中は終了。

この仕事を気に入っている。つまり限界集落の景観をつくるこの仕事は、集落支援員という肩書で行政から受託されている。冬は炭焼き、夏は草刈り、桜の面倒を見ること、ときにこの地域でイベントをやったりもする。古民家を改修したギャラリーとアトリエの管理人、ひとつひとつに依頼があるわけではなく、自発的に生まれた活動を継続することが集落支援になっている。

ぼくは芸術家になるまで、納得して仕事をしたことがなかった。いつも誰かに命令されて、その指令になぜ従う必要があるのか、納得できなかった。ただ漠然と働きお金を稼ぎ消費する。それが息をするように当たり前としてこの社会に蔓延している。

だからいつも別のところに自分の仕事があるような気がして、趣味と称してお金にもならないことを懸命にやっていた。いつか漠然とした社会の要求から脱出するために。

たぶん、はじまりは音楽だった。パンクロックが漠然と要求する社会への抵抗の仕方、そのコトバ、気持ちを教えてくれた。高校生になってバンドをはじめた。sex pistols, clash, ramonesの曲をベースを弾きながら歌った。次第に音楽を掘るようになった。聴いたことのないような音楽を求めて、20代の頃はノイズやハードコアのバンドをやった。

週末はライブハウスに遊びに行ったり、スタジオで練習していた。だから雇ってもらるバイトも少なかった。あるのはコンビニか日雇いの建築現場だった。10代の頃は建築現場のバイトをよくしていた。朝から夕方まで肉体労働だった。嫌ではなかったけれど、将来これしか仕事がないか思うと不安でいっぱいになった。

20代になるとライブハウスやクラブから音楽の場は野外へと移った。いま数あるフェスティバルの原型だった。レイヴとも呼ばれていた。森の中に聳えるスピーカー。その爆音に感動した。痙攣するように踊った。何もないところにスピーカーやサウンドシステムを運んでイベントをやるその行為自体に感動した。だから音を出している人たちに近づいた。P.A.やオーガナイザー。そこで出会った大人たちがアルバイトさせてくるようになった。スピーカーや機材を運んだ。運動会テントを設営した。駐車場の誘導をやった。どれも肉体労働だった。

10代のとき建築現場の仕事しかなくて絶望的な気持ちになったけれど、今思うと、体を使って汗をかいて働くの好きなんだ。けれども世間体とか、かっこ悪いとか、そんなことを気にして自分に合った仕事に出会っていたのに遠回りしたのかもしれない。もちろん遠回りしてよかった。漠然と要求される労働からは解放されている。今は。この先のことは分からない。

今日は曇り。そろそろ舟づくりに集中したい。朝から木工室で作業した。ぼくは舟をつくるために約9年、その環境を整えてきた。まるで脱獄するようにひとつひとつ条件を揃えてきた。木工の技術を手に入れるために、空き家を改修した。自分のライフスタイルをつくる目的もあったけれど、舟をつくる技術を手に入れるために。それから海のある街に引っ越した。北茨城市が芸術家の移住者を募集しているのを知って応募したのがきっかけだった。築150年の古民家に出会って、そこをアトリエ兼ギャラリーにした。おかげで農小屋を木工室にして、木材や道具が揃っている。時は満ちた。

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北茨城の海は、太平洋に面しているから波が荒い。数年前に作ったカヌーを持っているのだけれど、太平洋の荒波には適わなかった。波に飲まれて沈んでしまった。だからサーフィンをはじめてみた。3年目になる。おかげで海についての知識を手に入れた。

ぼくは何かを表現したい。つくりたい。それは絵だったり、彫刻だったり、陶芸だったり、家だったり、舟だったり。自分の閃きに素直に自分を動かしたい。漠然とした社会からの要求がなくなったら、進む先を決めるのは自分しかない。進む先がはっきり見えなくても、方向さえ見えれば、いつか景色は開ける。やりたいことがあるのに、誰かと比較して諦めるなんてことはしないで、チャンスを狙いつつ継続する。いまは舟をつくっている。

ぼくは人生をつくっている。生まれて与えられた24時間、その自由をやり繰りして。一日とは毎日が特別な一日だ。もう二度とこない。妻と過ごす時間も戻ってこない。この今も。

「一日減って一日増える」作家セリーヌの言葉。生きられる時間が一日減って、生きた時間が一日増えるという意味だ。

"Let it be"ってこういうことか。

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朝4時に起きて慌てて海へ向かった。日の出を採取するつもりだ。西の空は明るくなっていた。クルマを走らせること30分。目的の海に着いた。太陽は想定のはるか左側から昇っていて目当てのロケーションは、絵になる景観にはならなかった。

景色を選びはじめると際限がない。むしろ偶然に身を委ねた方がいい景色に遭遇できる。いい景色がみつかならいとき、それはそれでもうすでに出会っていると解釈することもできる。探しているものはもう既に持っているのだ。それなのに別の何かを探してしまう。それじゃあ、永遠にみつからない。

日の出採取のおかげで一日を早くスタートできた。次は家に帰って草刈り。まだ朝6時。集落全体の景観をつくるという桃源郷プロジェクト。プロジェクトを立ちあげて、そのプロジェクトに従事している。6月の末から2週間、7月末、8月末、たぶん年に4回全体の草刈りをすることになる。自作自演の演劇みたいだけどこれも仕事になっている。おかげて草刈り三昧の日々。

こんなに草刈りに向き合う人もいないかも。きっと。作業としてだけでなく、行為として魅力を感じてはじめている。草刈りが好きになっている。草刈りをしているとき視界は緑に覆われている。そんな緑に没頭している感覚を絵にできないだろうか。

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見ていること、聞いていること、日常していることから影響を受けて表現している。だとしたら表現者はその環境づくりを意識しなければならない。作品を理想的なものに仕上げるのと同じように、理想的な制作環境をつくることで作品も生活も理想に接近していく。フィードバックしてお互いを高めていく。その理想がやがて社会を彫刻する。それがぼくの考えている生活芸術というものだ。

草刈りも社会を彫刻する。太陽を浴びて、青空の下、草を刈りながら思考すること、それはこの環境という唯一無二の土壌を耕して収穫すると同時に目の前の景色をつくる。現実の社会を彫刻すると同時に作品を産出する。生産物として。コトバ、文章、詩、絵、オブジェ、コンセプト、活動、それらはこの環境から生まれる。ほとんどの作品は依頼もなく、生きるためにしている活動の中から生まれてくる。大地から草が生えてくるように作品をカタチにしている。

いまは舟を作っている。バルセロナで出会った芸術家マークレディンにその喜びを教えてもらった。絵を描くこと、舟に乗ること、それらが生活のなかで絡み合って表現を育む。マークは特に「それがアートだ」とは主張しないけれど、ぼくにはカルチャーショックと言えるほど目が覚めた。その出会いから9年目。やっとそれができる環境に暮らし制作をはじめている。

昨日も午前中は草刈りをして、午後は舟づくりという理想的なスケジュールで制作していた。ところが3時頃から巣を作っていた蜂がこっちへ飛んでくるようになった。巣作りしているのをみつけたのは数日前で、なんとなく共存していたのだけど、昼間に買い物に行ったついでに蜂駆除スプレーを買った。まさか野生とはそれほどに敏感なのだろうか。ありえる。

攻撃的になってきた蜂には申し訳ないが日が沈んで蜂の巣にスプレーをした。

いまコンラートローレンツの「ソロモンの指環」を読んでいて、そこにこう書いてあった。

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わたしはいつもアクアリウムというものは自分自身で平衡を保ってゆける生物共同体だと考えている。それ以外のものは単なる「檻」だ。人工的に掃除され、衛生的に完璧な容器にすぎない。

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文章をまとめることも無理に終わらせる必要もない。もしかしたら、蜂もそのままにしておけば、それはそれで共存できたのかもしれない。