いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

プラスよりマイナスは絶妙な漂白のタイミング。正しいは間違っている。

次のプロジェクト企画を"The kids are all right-子供たちはいつも正しい" というタイトルで提出したらディレクターさんがクライアントに修正を打診されたと報告してきた。

問題は「正しい」という言葉だ。正しいということは、その反対も想起させるとのことだった。そもそもall rightの意味をネイティブに確認したら、大丈夫とかオッケーで、正しいはcorrectで少し違うと教えてくれた。

去年から幼稚園での造形絵画教室、特別支援学校で学校行事に参加させてもらい、子供たちが作るものに優劣をつけたくない、という想いが湧いていた。ディレクターから企画の条件として、①子供たちのワークショップ②その前に大人たちのディスカッションをプランに入れて欲しいと言われ、ああ、きっと大人たちがどうやったらいい絵になるか考え子供たちにやらせる会だろうと想像した。だから、大人たちがディスカッションするのではなく、子供に還って大人がハサミでカタチを切るプログラムを想定した。大人が頑張って作ったカタチを子供たちがコラージュする。そんな企画のつもりだった。

その結果「正しい」という言葉と「大人」と「子供」の対立構造を修正したいということだった。ぼく自身もそんなつもりではなかったけれど、もらった要素と自分の想いを並べて繋げたらそうなっていた。

この「想い」が取り扱い要注意。勉強になった。大きなヒントを得た。作品に想念が込められる。それがほんとうに必要なのか。それがきっかけでカタチが生まれたとしても、それを抜くことで純粋なオブジェクトに生成できる技もあり得る。漂白する。アク抜きする。

東京に滞在したので久しぶりにライブを観に行った。友達のバンド、友達のパーティー、下北沢のライブハウス。このライブハウスという空間も、もっといろんな使い方できるよな、と考えていた。本と音楽のイベントでトークがあるとか。政治や社会について思考する音楽イベント。

ライブハウスは爆音だった。20代のDJがノイズテクノみたいなのをプレイしていた。ロックンロールが歪んで電化してた。ライブが始まる前に酔っ払ったひとがマンコ、マンコ!と叫んで入ってきた(知り合いだけど)。ライブが始まるとバンドはハードコアパンクでチンコの歌ばっかりだった。

ああ、なるほど。誰も考えたくないし、現実を突き詰めたくない。忘れるための場なのかもしれない。しかし音楽はメッセージだ。音楽と言葉が現在から未来へ踏み出せる希望でありたい。もちろんこれも「想い」だから取り扱い要注意ではある。

そんなライブハウスを出て北茨城に帰ることにした。22時に出れば日付けが変わる頃家に着く。翌朝の海が良さそうだからサーフィンのために。

翌朝しっかり起きて海に行った。海の絵を描く予定だからその下準備も兼ねて。海は少し荒れていた。写真を撮っていたら、軽トラックから声を掛けられた。話すと、宮大工のほか8つ仕事をしているという68歳。怪しい風貌ではある。職業のひとつにAV男優とか言っている。ちょうど北海道の神社改修プロジェクトで宮大工の技術が必要だったので質問したらヒントをくれた。炭焼きをやっていると話したら商売の相談に乗ってくれた。ちょうど炭を納品するためにクルマに積んでいたから実物も見せた。

神様がいるとかいないとかの議論は別にして、こんな具合にタイミングが重なることがある。「流れ」と呼んでいる。お爺さんは「あんたついてるな」と言った。あとぼくが返事を「はい、はい、はい」と連続して返すので、返事は一回だ。相手に失礼だろ、と注意された。急かされるらしい。はい。はい。確かによくない。

本や昔話で描写される神様は少なくとも金持ちや成功者の姿をしていない。生きるためのヒントやアイディアも、ヒントやアイディアの姿をして現れない。遭遇した出来事を読み解くこと。裏返したり、向きを変えたり。で、それが自分の糧になる。

図書館で借りたマルクスの本を読んだ。はじめて読んだ。マルクス資本論、そのタイトルだけはよく知っているけど。でも中身は知らなかった。解説によれば、つまり資本主義社会の仕組みを明らかにしたのがマルクスだった。まだカタチがなかったものを整理して言葉にした。その作業は困難を極め、数十年を費やした。生活にも困った。歴史的名著とされる「資本論」も第一巻は書き上げたものの、その続きは途中のまま死んでしまった。現在知られるところの資本論エンゲルスが引き継いで仕上げた。マルクスが執筆に集中できたのは30代から40代だったらしい。

ひとつひとつが過程で、一日は一生の過程で、完成や終わりはなくていい。想いは必要だけど、それは流れていく。立ち上がったことが既にカタチで、それに付随することは剥がれ落ちても構わない。正しさは反対側からすれば不正になる。意味を削ぎ落とされて、それでも立っているようなシンプルさに真がある。それは芯でもある。一気貫通している何が残ればいい。

誰が作ってるのか、壁画、カタチ、プロジェクト。

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朝起きて外に出るといろんな鳥が鳴いていた。まだ山鳩くらいしか聞き分けられない。昨日まで都内にいたから、音の違いがはっきり分かる。

分かると分からない。極の端と端にあるもの。北と南。上手いと下手。都市と田舎。金持ちと貧乏。成功と失敗。社会と自然。晴れと雨。大人と子供。

頭の切り替えにこれを書いている。文章は誰かに伝える目的よりも、思考の整理とか、現在地を確認するために書いている。そのやり方が結果的に何かを伝えたらいいとは思う。それよりもっと手前、今の目の前を咀嚼するために書いている。

いまは午後4時。雨が降っている。見える山に霧がかかって美しい。空はグレーに見える。東京に住んでいたときは雨が鬱陶しく感じた。今は仕事が休みになる。仕事というか、外でやらなきゃいけないことが停止して、内でやらなきゃいけないことが動き出す。外と内。動と止。

昨日まで中野区のZEROホールの外壁に絵を描くプロジェクトだった。中野Mural Artプロジェクトのディレクターが声を掛けてくれた。区のプロジェクトだから市民参加型にしたい。けれども絵を描く作家だと難しくて、と理由を教えてくれた。つまり絵を描く作家は絵を描きたい。しかもベストな。だとしたら市民の参加なんて必要ない。しかし我々夫婦は絵描きではない。

壁はタイル張りで絵を描くのが難かしそうだった。だから、タイルひとつひとつ色を塗って、ミニマルなカラーバーを壁に描いたら綺麗そうだな、じゃあ、街行く人に声を掛けて中野色を聞いてみよう。サンプル12色から選んでもらう。はじめはアンケート用紙に投票してもらう計画だった。壁に絵を描きはじめると、街ゆく人が見ていく、そんな人に妻チフミが声を掛けてヒアリングして、150人ほどの色を集めた。

壁画は、Mural Artチームが手際よく作業していく。ディレクターの大黒氏、相方のパチャ、デザイナーのモモちゃん、バイトの学生、クマ、ヒーロ、ノア、動画撮影の、が手掛けている。バイトの学生三人は中野の専門学校でアーティストになる勉強をしているらしい。そんな学科があるとは。

アンケートを取るのに目立った方がいいとオブジェ屋台を制作した。

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ぼくたち檻之汰鷲が何かを制作しているというよりは、与えられた諸条件によって導き出された最適解がカタチになって表れる。コラージュの方程式があるのかもしれない。自然発生の技術。

3月23,24日に参加型でタイルに色を塗ってもらい壁画は完成する。と言っても、タイルがあれば参加者がいれば永遠に続く。そうなってくれたら尚面白い。街のなかで色が生成され増殖していく。

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アートは予定も仕事もない空白から生まれる。

20年前に表現者になると決めて、その10年後に会社を辞めてアーティストとして独立した。いまは職業を芸術家と名乗っている。有名でもないし、周りから見たら成功もしていない。けれどもそれを仕事にして生きている。

どんな職業でも幅がある。ものすごく稼ぐ人もいれば、普通の人もいる。場合によっては廃業してしまうこともある。職業のひとつだとすれば芸術家もさまざだ。

芸術をして生きることを目指している。つまり死ぬまで続くように。収入は年齢にしたら少ないと思う。しかしこのやり方を気に入っている。仕事とは英語でwork。作品という意味もある。

ゴーギャンは、何処から来て何処へ行くのか、我々は何者か、との問いを投げた。ぼくたちに。だからその問いから仕事を眺めてみたい。その仕事は何処から来て何処へ行くのか。何の仕事なのか。目を逸らさないこと。見えないものを見えるようにすることも芸術家の仕事だ。

例えば、今は都内での壁画プロジェクトの準備をしている。行政のプロジェクトだから予算は税金だ。その地域に暮らす人たちがペイントに参加する。その壁が日常を飾る。ぼくたちが絵を描くのではなく、その街に暮らす人が描くパブリック・アートの仕事。

例えば、幼稚園の絵画造形教室の先生をしている。幼稚園の運営計画から子供たちに絵画を教えようとなった。で、その担当先生が辞めてしまったので、代わりに声を掛けてくれた。子供たちの創造力を豊かにするために。子供たちの未来に向かっている教育という仕事。

例えば、知り合いの飲食店の看板オブジェをの修理。北海道の開拓プロジェクトのオーナーが経営するお店の看板。作った造形屋がもうなくなって、ぼくらに依頼が来た。これまでの技術が活かされた。廃棄するより直して使うという選択。立体造形の仕事。

明日は炭焼き。暮らしている地域の景観をつくる仕事の一環。周りの木を切って炭にする。炭にしなければ木は廃棄物になって有料で処分される。処分する代わりに炭すれば、それがお金になる。炭焼きに関わる人に少しだけ給料が発生する。作った炭は道の駅で鮎の塩焼きに使われる。地域をつくる仕事。

芸術と社会の間に仕事が生まれる。一方で作品は依頼や予定のない時間から生まれると考えている。同じworkでもそれぞれ違う。仕事と制作と分類しよう。

社会から離れ、誰からも頼まれる仕事もないときそれでも何かをつくる、これが制作。6月に個展の予定がある。このために仕事や予定のない時間が欲しい。

日本画の先輩は、絵を描くだけで生きている。彼はこう言った。「いろいろやると絵を描く時間が減るんだよね。まあほかはできないってのもあるけどな。絵に専念して、それが売れなきゃ死ぬ、かどうか、そういう生き方が痺れるんだ。たまらないね」

制作、仕事、お金、生きる、自然、社会。現在のところ、このバランスのなかで泳いでいる。仕事を依頼してくれる人にたまらなく感謝している。だってそれが夢だったのだから。その仕事がなかったらできない経験、そこからしか生まれない作品がある。しかしまだまだ。仕事を並べて喜んでいるようじゃ、とも思った。とは言え、正解はないし、生き方そのものを作っているのだから、気持ちに嘘なく表現できているなら、その道を進んでみたい。

夢は計画。10年前と10年後。

慌しくなると忘れてしまう。何をしていたのか、何をしようとしていたのか。大切なことは自分の側にある。社会はさも働いてお金を稼ぐことが重要だと説得してくる。会社や組織に所属すること、地位や肩書き。もちろんお金は大切だし仕事も必要だ。しかしそれらは自分が生きていくために必要なことであって、仕事やお金のために生きているわけじゃない。生きる道は社会のレールではなく自分の側にある。自分の道を歩く途中で社会を通過する。社会が並行した道だったとしても必ず戻るのは自分の側だ。退職すれば自分の人生が待っている。

週末は愛知県津島市トークイベントに参加した。津島市は10年前に空き家改修のために暮らし場所。津島市には津島神社があって、かつてそこを中心に栄えた過去がある。津島駅から津島神社まで天王通りと名付けられた商店街がある。が、今はほとんどシャッターが閉まっている。

津島市は当時も今も同じ課題を抱えていて、それらは少し改善されているし、前に進んでいる感じがした。同じ頃に津島市の活性化に取り組んだ仲間はずっと続けている。やっと商店街の会長ができるだけシャッターが開くように取り組もうと声を上げたらしい。10年だ。

おかげでぼくは津島に呼んでもらった。10年前は誰もこの地に知り合いがいなかった。誰にも頼まれていないから仕事でもなかった。ぼくは生きていくために空き家を直す技術が欲しかった。家を直せれば古い安い家に暮らせる。家賃や家のことで悩む必要がなくなる。社会のニーズよりも先に自分の想いをカタチにしたその先に未来があった。それは仕事になって返ってきた。

10年前を振り返って話した。久しぶりに。ぼくはできるだけ前を見て生きている。今から先へ。過去の成果にしがみつくよりもいつもゼロからの今日。

振り返ってみると、そこに道があった。本を書いて残してきた。おかげで、次の10年を想像できた。津島の帰りの高速で妻とこの先の未来について話した。いま可能性が浮上しているアイルランドでの展示を計画したい。可能性と言っても5%ぐらい。でもそれはずっと遠くだとしても輝いている。夢が星のように輝いて見える。

忙しいとか言いながら、合間にNetflixを観た。「君の名前で僕を呼んで」恋愛映画だと思っていた。80年代のイタリアの景色が美しかった。途中から同性愛の映画だと分かった。その伏線に海底から彫刻を発掘する場面があって、ギリシャ彫刻の美しさを語っている。つまり男の美しさを古典的な芸術から明らかにしていた。なるほど男も美しい。ぼくは男も好きだ。友達として。人として魅力を感じる。だから少しだけ理解できた。しかしなぜ、ギリシャ彫刻はあそこまで肉体美に拘ったのか。

調べてみると、人間としての見た目も重要視されていた。オリンピックは現代に受け継がれている。まあ中身はほとんど金儲けのツールだけれど。身体の能力を競うこと、身体を鍛えること、それを鑑賞するためオリンピックは裸だった。ギリシャ彫刻の幾つかを思い出す。考えたこともなかった。なぜ裸の像なのか。それは人間の美しさを表していた。

ミシェル・フーコーが明らかにしたギリシャ哲学のパレーシアにハマっている。フーコーは自己のテクノロジーと名付けている。つまり精神面で自己を高める技術。高めるとは真理に近づくこと。真理とはいかに人としてよく生きるか。ぼくが探究する、生きるための芸術はここに合流した。ギリシャ哲学へ。なんと美しいのか。内面と外面が磨かれた人間。

ギリシャに行きたくなった。アイルランドで海外で展示をするフォーマットをつくり、その技術でギリシャを目指す。そこまで到達すれば、同じように海外で展示できるだろう。それに必要なのは、どのように作品を運搬するのか。できるだけDIYなやり方をつくるべきだ。売り上げや予算は限られている。当然ながら英語。もうこれは筋トレのレベルで頑張って継続するしかない。

10年前、ぼくは夢を見た。同じではないにせよ、想像以上に実現している。競争しなければ夢は叶う。競争は社会に仕掛けられている。だから逆に水のように高いところから低いところへと設定すればいい。戦略だ。欲しいものをその夢ひとつに絞れ。その夢が遊びであり仕事であり友達であり人生だ。無駄な支出を減らせばやりたいことに時間を割ける。いまは芸術家として妻と毎日制作の日々を送っている。作品をつくる、生き方をつくる、これは夢を育むために、日々の生活のなかで土と水のような働きをしている。夢の種を撒いて、育てる。収穫するのが、どこかの組織なのか、会社なのか、自分が生きてるその現実なのか。

16世紀フランスの小説「カンディード」は「自分の畑を耕しなさい」と締め括る。その教えに倣って、ずっと自分の畑を耕している。何百年経っても人間は変わらない。忘れているだけ。だからギリシャが面白い。こういうことを英語で書けるようになりたい。それも夢だ。

戦争と表現者

「思考するとは、なによりもまず、ひとつの世界をつくることだ」

本をパラパラと捲って目に付いたコトバを覚えていた。それがどこに書いてあったのか探した。

シジフォスの彫刻を作るときカミュの「シューシフォスの神話」を読んだ。その文庫を捲っていると目に飛び込んできた文章だった。その前のページには

「芸術家にとって、問題は作る技術を超えたこの生きる技術を獲得することである。(生きるということが、経験することであると同時に省察することであるという前提のもとに)」と書いてあった。

有名な文学者カミュが言ってるから正しいとか凄いということではなく「生きる」ことを創作として扱う先輩に出会った喜びと安心。

しかし、どうして芸術のテーマが「生きること」に直結しないのか。ぼくの表現の仕方が悪いのかもしれない。

そんなとき、同じ関心に向き合う文章や表現に出会うとしたらどんなに心強いか。山道を迷ってそれが正しい道か不安なときに、前を歩く人が見えたような。いや、もっとだ。同じ気持ちで一緒に歩いてくれるパートナーに出会ったような。だとしてもう山道に分け入っている。仕方がない。何かをきっかけに興味を持つこと。それは既に深い道へと進んでいる。孤独な道だとしてもきっと理解してくれる人に出会う。きっと誰かが既に表現している。

シジフォスの神話からカミュのテキストに興味を持った。去年の夏、友達の亡くなった父親の本棚の整理を手伝っていてこの文庫をみつけた。カミュが何を伝えようとしたのか、少しだけその「世界」に触れてみよう。思考することで開拓された世界を。

カミュが生まれたのはアルジェリア。モロッコの隣、北アフリカ。フランスはこの国を植民地ではく、フランス本国の一部にしていた。が、アルジェリアは独立を目指した。その戦いは1954年から1962年まで続いた。

アルジェリア独立といえば反植民地主義フランツ・ファノンを真っ先に思い出す。カミュと同時代だったんだ。その著書「地に呪われたる者」では植民地に生まれ、被植民者として社会が黙認してきた裂け目を明らかにしている。これは叫びだ。

カミュは1956年にノーベル賞を獲っている。なるほど、アルジェリア独立戦争真っ最中。それをテーマにした創作か活動をしたのか、と調べてみた。しかしカミュは、どちらかと言えば穏健派だった。同時代の思想家サルトルは、ファノンの著作に序文を寄せるほど、植民地主義と戦っている。だからサルトルカミュを批判したらしい。

カミュは、アルジェリア独立戦争について

「母や家族を守らなければならない」とコメントしたとされている。

植民地なんて酷いことをよくしたものだ。アルジェリアの独立に賛成できないカミュノーベル賞の資格があるのか、と思うかもしれない。植民地側からその歪みを言葉にしたファノンの方がよっぽど戦ったし評価されるべきだ。

しかし、いつの時代も強いもの/弱いものに分断される。現在、ロシアはウクライナを侵攻し、イスラエルはガザを爆破して、何万人もの人が死んでいる。

2月24日の新聞記事によればウクライナ侵攻により戦死19万人。アメリカはロシアに停戦を呼びかける。ロシアは北朝鮮やイランから兵器を調達している。一方でウクライナには欧米諸国が提供している。なかでもアメリカは6兆9千億円の軍事支援を表明している。

日本政府もせっせと憲法を改正して戦争できるように努力している。何のためか。戦争が儲かるビジネスだからだろう。もう現実には手に負えないほど世界は狂っている。ぼくはそう感じる。君はどうだろうか。

村上春樹イスラエルでの受賞スピーチで、壁と卵に譬えた。投げれば弱く割れてしまう卵の側に立つと。バンクシーは、強いものと弱いものが争うとき中立なんてない。黙っていることは強いものを支持することになる、と壁に落書きしている。ボブディランは「戦争の親玉」という曲で戦争そのものを批判している。

だからぼくは小説を書こうと企んでいる。人間として間違ったやり方が水のように社会全体に染み渡っていく、この狂った時代を物語にしてみたい。

書く=自分の声を聞く技術

何か抜けの悪い感じがしていた。空がどんよりする気分。ぼくはそんなに落ち込むことはない。まあ、落ち込んでいるわけでもなく、気分が晴れない、そんな日もあるだろう。もしかしたら強い風のせいかも。だから文章を書くことにした。日記ではなく。

驚くほどシンプルに雲が晴れた。日記を書くこととは別に文章を書く必要があった。重要な発見をした。日記を書いたのは、事実を知りたかったから。自分が何をしているのか。あとやり方を変えたい気持ちもあった。もっと伝わりやすい文章があるのではないか、と。

考えていたのは、自分について書かないこと。事実のみを書く。考えや感想を書かない。しかしそんなことはできるはずもなく、なんとなく我慢している日記が続いた。ふとSNSで「自分の声を書く」という本の投稿が目に入った。

ぼくが文章を書くのは、伝えるためでも売れるためでもなかった。その原点を忘れていた。目的は自分との対話だ。そのために書いている。

作品をつくることも同じだ。そもそもこの行為に自己判断が入り込む余地はないと考えている。作品は状況が生み出すものだから。バンドのために制作したMVがイマイチだとメンバーに言われた。分かるんだけど浅い、と。「どうしてそれを忘れて」という歌詞に対して、仕上がったMVは都市vs自然という映像だった。それがモヤモヤするという。

個人的な制作物だったら、手直しはしない。そのまま放つ。しかし今回はバンドの作品だ。「どうしてそれを忘れて」のイメージを修正することにした。が、その作業がどうにも捗らない。たぶんやれると思うのだけど、それが良いモノに仕上がるか分からない。そもそも良いモノにしようと狙う時点で手遅れではある。

柳宗悦の民藝を引用しよう。職人が大量に生産する器、その手仕事は繰り返す作業のなかで欲が消えていく。夥しい数の技のひとつひとつに狙いがない無垢の表現が生まれる。柳宗悦は、そんな素朴な陶器や造形を評価した。

まあしかし、ぼくがそれで良くても仲間が違うと言うなら応えたい。バンドをやり続けてきたことは、違いを乗り越えて協働する基礎体力になっている。BANDとは束ねる、という意味だ。人と人がチカラを合わせて何か行為する。バンドの経験のおかげで妻と芸術家をやっている。もしくは地域の先輩たちと炭焼きをやっている。最近では北茨城市で出会った仲間たちとフリーペーパーも刊行した。

ぼくの手元から現れたモノが仲間たちに受け入れられないとき、ぼくは素直に言う。このカタチを世に出したい。だからボツにするとかではなく、どうしたら良くなるか教えて欲しい。

イメージしたモノがカタチになって表れるとき、それが歪でも不完全でも、そこには何かがある。だからカタチとして表れた。それを両手で掬いあげることがモノをつくることだ。自分の心も同じだ。こうしなければならない、とか、良くしようではなく、そもそものはじめから、ぼくたちはすべてを持って生まれている。ブレーキを踏むのではなく、アクセルを全開にすればいい。

日記では表せない溢れ落ちる喜びについて

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1月から2月まで日記をつけてきた。したこと考えたことを記録した。しかしただそれだけじゃ物足りない気持ちになってきた。なぜならしていること、それだけを並べると、まるで労働者だ。事実そうなのだけど、身体を動かして働くことの意味を取りこぼしてしまう。意味には表層と深層、過去/現在/未来がある。

ドイツの哲学者ヴァルター・ベンヤミンが陶酔論で意味について「両手で水を掬って溢れ落ちる」と表現していた。その溢れ落ちていくもの、つまり両手で掬おうとする、溢れ落ちる前は、そのすべてに豊かさが漲っている。目指している生きるための芸術とは、人生のなかに芸術があって、それが表現として展示できるとか、販売できるか、評価されるか、そんなことは問題にしない。人生そのものの豊かさに価値がある。また価値というのもお金で計るものではなく、その価値自体を問い続ける哲学でもある。

日記のタイトルは炭焼き日記だ。なぜならしていることの最前線が炭焼きだから。しかし炭焼きをそのまま日記にすれば炭焼きさんの記録になる。しかし目指すところは別にある。炭焼きを通じて身につけた木を伐る技術、火、土、木、自然そのもの、その先にアートを接続する、その試みは自分だけのもだし、ほかの誰かがやれることでもない。なぜなら、炭焼きをしているのは出来事やモノや人との出会いのコラージュの結果。偶然と必然の間から溢れ落ちてきた素材。予想もしなかったカタチを失敗や間違いとするのではなく、その先に線を引く、色を塗る、そこから新しい景色を導き出す。作るのではなく自ずと現れる、その現象を起こす環境をつくる。

そんな考えのなかで炭焼きをやっていることは誰も知らない。レイヤーが違う。地域の近所の人たちは炭焼きを頑張っていると褒めてくれる。こっちのレイヤーでは炭焼きは太古と現代をリンクするアート。だから炭窯で粘土を焼いて作品を作っている。けれど、身近な人はそれを素焼きの陶芸未満と捉える。拙いもの。しかし生きるための芸術的には、そこにあるモノの組み合わせで必然的に生成されたオブジェが作品になる。しかしそれが表れているのにコトバで説明を加えるのは無駄なこと。その未満なカタチから魅力が伝わらなければそれはそれ。作品はそのモノ自身が文字文明以前のやり方で何かを伝える。

デュシャンは「芸術作品が作品になるのは、蜂の集めた蜜が人の手で精製されて蜂蜜になるように、鑑賞されて鑑賞者のコトバや眼差しによって完成される」と何かの本に書いていた。大学生のとき図書館で立ち読みしたフレーズで気に入ってメモしていた。作るのは自分ではない。周りの環境がゲームのように一手づつ作品へと詰めていく。

自分がしていること、制作方法について、そのルーツに気がついた。大学生のとき、音楽や文学を掘っていった果て、パンク、ロック、ソウル、ジャズ、テクノ、ヒップホップ、ノイズ、その先にジョン・ケージがいた。無音の4分33秒。無音が音楽だと教えられた。ジョン・ケージがそこに至った影響が鈴木大大拙の禅とマルセル・デュシャンの便器だと教えられた。デュシャンがその影響だと教えてくれたのがレーモン・ルーセルだった。

1900年のはじめ、フランスに生まれたルーセルは早くから文学を志し、あるとき文章を書くペンが輝やきを放った。それは傑作の証だった。ルーセルはカーテンを閉めて執筆を続けた。光が漏れたら盗まれてしまう。そうして書き上げた作品は評価されなかった。ルーセルは精神を病んだ。ルーセルは奇妙な方法で小説を書きはじめた。ほとんど同じ2つの文章を並べて、はじまりと終わりに設定して、その間を単語の意味を読み違えながら物語を紡いでいく。そのルールと組み合わせに支配された異様な物語は、本が理解されないなら演劇へと、ルーセルは表現し続ける。その世界に驚嘆したのが若きシュールレアリズムの作家たちだった。デュシャンもその1人だった。

ルーセルは現実からの影響を一切含まないとその創作の秘密を死後に発行する約束で預けた原稿で明かしている。死まできっちりと作品にしている。

今ぼくがしていることは、この源泉、レーモン・ルーセルに由来している。ぼくの作品がそれほど強烈な表現になっているかどうかは問題ではなく、していることが社会的な意味に留まらないように、行為やそれを指し示すコトバから根を張るように、ひっくり返したり、過去や未来を引用したり、生活と表現と仕事と労働と遊びを混ぜて、化学反応を起こす、錬金術のようなやり方で、意味を生成していく、これが「生きる」ための技術、この地層はこうやってコトバを操って、その深層へとガイドしないと伝えることはできない。現実のうえに重ねられた表現だから。

ぼくの生活のほとんどが自然に寄っていて、一日に会う人間の数よりも木の方が多いし、看板や広告よりも、太陽や風、草や木、匂い、鳥や鳴き声を感じる時間の方が長い。社会から隔絶している。ぼくはここに生きているのだから、その目の前を感じることに集中して、そこでの偶然と必然から自己生成するカタチを取り出す。それがいま制作している作品の全体像になる。これは書かなければ明確にならなかった。

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シジフォス- Sisyphus

岩を持ち上げ山の頂上まで運ぶと、瞬く間に山の麓に戻っている。今日も明日も永遠にシジフォスは岩を運ぶ。これはギリシャ神話。神を欺いた罰として永遠に岩を運ぶ。しかしそれは喜びにもなる。岩をいくつにも積み上げて運んでみたり、今日も明日も繰り返す労働だとしても、それを遊びや喜びに変えられる。

He lifts the rock and carries it to the top of the mountain, and in the blink of an eye, he is back at the foot of the mountain. Today and tomorrow and forever Sisyphus carries the rock. This is Greek mythology. He carries the rock forever as punishment for deceiving the gods. But it can also be a joy. Even if it is a labor that repeats itself today and tomorrow, such as carrying several piles of rocks, we can turn it into play and joy.