いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

運動すると暖かくなる。冬は労働が適している。だから、家を改修する。

f:id:norioishiwata:20190107223423j:plain

北茨城市の富士ヶ丘に古民家そのものを作品として制作している。家を作品にするのは、家を中心とした周辺のモノコトにこそ芸術が宿っていると睨んでいるからだ。

 

去年は赤い屋根の母屋をギャラリー兼滞在施設にして、今年は、その裏にある馬小屋を暮らせるぐらいの空間にしようと2019年の作業をスタートさせた。

 

今朝、古民家の集落の人に「明けましておめでとうございます」の挨拶をして回ったついでに、お茶やお菓子などをご馳走してもらい話をしていると

「馬小屋に暮らすのは昔から縁起がいいって言われてんだ」と

教えてくれた。

 

なるほど、キリストも馬小屋で生まれたし、聖徳太子厩戸皇子だったし。馬小屋から始まる新年もいい。

 

寒いから、とにかく身体を動かして、自分で熱を発して生き延びる。これが冬の楽しみ方。冬に暮らしの基礎を作る。これは関東の北限という環境だからできることだ。春が来たら種を蒔いて食べ物を育てる。

 

建物があって、それが使われていないのなら、壁と屋根と床があるのなら、そこは、人間の巣になる。

動物の巣、馬小屋、人間の暮らし。このラインの延長線に何か見えることがあるかもしれない。

 f:id:norioishiwata:20190107223521j:plain

片付けしたら、米俵にする手編みのゴザが見つかった。これを手で編む技術は現在はない。富士が丘で探してみたけれど、現役で編める人はもういない。美しい技術。

馬小屋を掃除しているとタイムスリップする。たぶん、大正時代ぐらいまでは遡ってたと思う今日。

 

これは

生活を芸術にする作品。

何という名前にしようか。