いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

遠くへ行きたい。距離でもなく物理的なことでもなく。

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そこにいると鳥の声が聞こえる。風が吹いている。川の流れが聞こえる。青い空、周りは木々が聳えている。ここはどこにでもある場所。誰も住みたいとは思わない場所。

 

心が動くことをしていたい。感動すること。その気持ちは子供心にある。日が沈むのも忘れて無心で遊ぶこと。楽しみや喜びに年齢は関係ない。先入観もあらゆる情報から切断されたところで、出会い笑いが生まれる場所。

 

誰が誰かを利用したり、誰かと優劣を比べたりしないで、持っているものをお互いに分け与える。それは理想論だと言う人もいる。けれどたった1日だけなら理想を実現できるはず。誰にも会わないでひとりで行動すれば、空想の中で過ごしてみれば。試しに絵空事を言葉や行動にしてみて、たったひとりでも理想を理解してくれれば、理想だった空想は現実に変わる。そうやって踏み出していく。

 

役に立たない、役目を終えた、もはやなんのために存在しているのか、その意義すら失っても、それでも存在しているからには意味がある。そう思って眺めてみれば、世界は拡張する。ある一点に立って周りを見渡せば、現在がある。そこには過去がある。言葉は過去を引き摺る。だから、未だに言葉にできてない場所をみつけては掘り返す。

 

できることがあるなら全力で取り組む。それがダメでも失敗でも、全力なら、次へのステップになる。ぼくは何も失敗だなんて考えないし、何も成功だとも考えたくない。今日があって、明日があって、その日ひとつひとつしたことの、その繰り返しの積み重ね。