いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

原始へ向かうアートはNFTに接続できるのか

生きるための芸術は、人生をつくる物語だ。その日その日の出来事をコトバにすることで、その道をつくる。その道とは、生きるための目的だ。何のために生きるのか。時間という流れが生から死に向かっていく。どこへ流れていくのか、その行き先が目的だ。ぼくは「つくる」ことに捧げたい。

芸術とは技術だった。アートの語源はアルス。技術を意味する。人類は生き延びるために技術を手に入れた。火を熾す。扱いやすくするために炭にした。器をつくった。モノを容れるために。

器の用途は、空にある。器を器にしているのはその外側だけれど、空洞があるから器として成立する。

生きるために必要なモノコトを最優先して「つくる」を表現していく。必然的に生きるための技術に直結していく。家をつくる技術、食べ物を手に入れる技術、服をつくる技術、それらは現代のアートに直結しない。

 

生きるための様々なことが束になって一日を通過していく。11月も終わりに近づいて炭焼きが始まった。山で木を伐った。チェンソーで玉切りして運べるようにする。軽トラックに積んで炭窯の前で薪割りする。

「運ぶ」という動作に生きるための技術がある。技術と呼ぶにはあまりに当たり前のことでそれでもそこには技術がある。モノを運ぶ姿を作品にしている。粘土でカタチを作って炭窯で焼く予定だ。

山で木を伐ったとき、倒れた木の先に楮があった。割れた枝を観察すると白く毛羽立っていた。紙の原料だ。探していたものは、こうやって偶然にみつかる。

染色をやっている人に取材をして、紙漉きをしている人を紹介してもらった。話しを聞きに行った。

福島県いわき市の最後の紙漉き職人さんに教えてもらった物語だった。震災前。最後になってしまった紙漉き職人さんの技術を伝承するために講座が開かれた。話してくれた鈴木さんは、そこから紙漉きをはじめた。

いわき市も失われていく技術を保存するために作業場を建て、参加者を募った。はじめは20人。やがて鈴木さんを含む二人だけになった。若い人に伝承するために地域おこし協力隊の制度を利用した。紙漉きをする。その技術を学ぶことはできても、経済的に自立することは難しかった。鈴木さんが知る限り3代の協力隊が取り組んだけれど、紙漉きを仕事にすることはできなかった。

だから鈴木さんは紙漉きをやっていくこと半端なく難しいと言う。

それは炭を焼くことも同じだ。それを収入にしようとしたら、とても成り立たない。しかし経済的に成立させることと「モノをつくる」ことは同じではない。むしろまったく別の話だ。

 

ぼくは20年以上バンドをやっている。CDも出してないし、ほとんど誰も知らない。たまにライブをやる。20代の頃は懸命にやった。有名になりたかったし、それで生活したいと考えていた。けれどそうはならなかった。にも関わらずバンドは続いた。細く長く。まったくお金にならないし、メンバー以外に楽しみにしている人はほとんどいない。それでもぼくは詩を書く。バンドの曲に。

詩を書くとは、リズムに合わせて数少ないコトバを並べて何かを表現する。コトバもまた人類がそのはじめに扱うようになった技術のひとつだろう。言霊というものがある。むかし占い師の友達が「お疲れ様と言わない方がいいと教えてくれた。疲れは憑かれたなのよ」と。

たった5人だけれど、バンドのメンバーが楽しんでくれる、そのためにコトバを磨き詩をつくる。ライブに足を運んでくれる人たちを鼓舞する曲をつくる。20年かかっていま純粋な音楽活動をしている。もしくはこの種は芽が出るのにそれだけの時間が必要だったのかもしれない。ブルーハーツは歌う。諦めるなんて死ぬまでない。

ぼくのしていることひとつひとつには、たいした経済効果はない。でもその活動全体の1/100ぐらいの何かが、生きるに必要な経済的な成果を出してくれている。

 

NFTアートの誘いがあって話を聞いた。作品をデジタル化して、ビットコインで販売するという企画だった。NFTの世界はルールなしで、それぞれのルールで展開していて、ある種の競技になっているようだった。何十億というお金をあるデジタル作品に突っ込んだという記録。ネコのイラストが永遠に転売され続けているという記録。

日本では、まだまだこれからなので、まずは始めてみようという話だった。

ぼく自身の表現活動は、原始へ向かっている。歌以前のコトバへ。紙をつくること。火や水、木、風、土を利用する。それがどうデジタル化のNFTとリンクするのか。