いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

生きるための芸術 その一日ために。

生活を作ったら、それは自由を手に入れることだった。朝起きて自分のやることを自分で決める。

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コーヒーを淹れてトーストを焼いてバターと砂糖をつけて食べる。ストレッチをする。走ろうと閃き、犬を連れて外に出る。全速力で走る。犬がトレーナーになってくれる。新しい山道をみつけたのを思い出して、犬とその道を歩く。新しい道からは新しい景色が見えた。

やるべきことはいくらでもある。頭の片隅にどんな絵を描こうかアイディアが浮かぶ。自分を思い通りに動かせれば、考えたことを現実化できる。

昨日、散歩したとき紅葉(もみじ)が綺麗だった。緑、黄、赤まで見事にグラデーションしていた。そのときに感じた愉しみが絵の題材になる。自然のカタチや色は、汲み尽くすことができないし、模倣すればそれが魅力になる訳でもない。優しさとか、朴訥とした佇まいはむしろ技巧からは伝わらない気がする。

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夫婦で作品をつくる作業は、絵の場合ぼくが題材をみつけ、パネルと下絵をつくる。妻が色を塗る。ぼくが額をつくる。そういう分担になっている。二人とも絵を描いている自覚がない。絵は上手くない。だから「絵をつくる」という呼び方をしている。上手くなることがゴールじゃない。むしろ下手なまま、描いた対象の存在に対する感動を伝えたい。優劣を超えて存在自体が許される愛。

暮らしている場所は、自然ばかり。空は抜けるほど青い。木々が繁って風に揺れ、葉っぱを赤くしている。鳥が鳴いている。

まるで漂流したようにこの土地に暮らしているけれど、流されていくのではなく、むしろ流れに逆らったり、支流へと下ってみたりして、ぼくはこの環境に出会いそして暮らしを作った。

絵を売るだけの収入では不安定で、いまは集落支援員という仕事もしている。この仕事はスケールが大きい。生活をつくり、その土地の景色をつくるというプロジェクトになって、北茨城市と仕事をしているという社会的な身分にもなって、おかげで生活の基盤は完成しつつあって、今までに体験したことのない平穏な日々を過ごしている。

11月も終わりに近く、季節は秋から冬へと変わろうとしている。寒いのも悪くない。暖房は薪ストーブで、今年の初めに炭焼きをやって余った薪で十分賄えるほどある。風呂も薪で、こっちは廃材とか周りの木を剪ったのを燃やしている。毎日火を見ている。

火は集まって燃える。重なり過ぎて空気が流れないと消えてしまう。人間は火を利用するようになって進化した。火を利用しなくなったら何かを失うのではないだろうか。燃えた薪は熱を放出して我が家を暖めてくれる。自然を利用して自分を生かしている手応えがある。自然に生かされるという喜び。

家賃はゼロ円になった。毎月支払わなければならないお金が減って自由と時間を手に入れた。

妻チフミが野菜を少し作っている。それ以上に近所から野菜が貰える。お米は来年の分まである。

東京で暮らしていた10年前を思い出す。東日本大震災をきっかけにライフスタイルをつくるために仕事を辞めて、芸術家になると決意して、今はそういう生活を送っている。

自由とは自分で決定すること。だから、自分で自分を動かさなければ何も進まないし、休日と平日の区別もなく、つまり何のために自由を手に入れたのか、その目的とフィールドを設定したうえでプレイしないと、この自由はどこかへ消滅してしまうだろう。

ぼくの場合は表現すること。「生きる」ということを表現するために自由を手に入れた。そのためには、どんな不自由も厭わない。生活という表現。絵画という表現。つくるという表現を追い求めている。

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いまは土器に注目している。井戸を掘って粘土をみつけて、炭焼きをやるとき窯に一緒に粘土を入れて焼いた。おかげで土器をつくれるようになった。真っ黒な土器。これはサバイバルアートというコトバを作ってからイメージしてきた理想の技術。すべてが自然から作られた作品。

すべてが身の回りにある。生きるために必要なもの。家族。アート。材料。暮らし。

上手くなるという指向性とは違う何かを目指している。太古の人々がつくる土器は技術的には上手くない。けれども、どうしようもないほど原始的だ。シンプル。これ以上ないほどの原点。

すべてのモノを原点から辿り直したい。1万年分のやり直し。何もない田舎には、それだけ太古に戻れる自然と人間の関わり方がまだ見えている。

ここには、モノの成り立ちが刺さっている。大地に原型が突き刺さっている。木に例えられるような。目の前にある木には根がある。その根は人類のはじまりにリンクしている。それを丁寧に発掘してカタチにしてみる。今のやり方ではなく、何万年前の人類がしたようなやり方で。

それが売れるモノになるか。分からない。けれども、他の何にも似てない表現がここに研ぎ澄まされていく。それが自分の作品。

今日は雨が降って、おかげで一日中、次に描く絵の準備ができた。ぼくを知ってくれている人たちのおかげで、自分の時間を生きている。今日も生きた。明日も生きた。そうやって一日づつの今日を抱きしめて。