いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

絡まった糸が解れていくとき

それぞれに上手くいっていたつもりなのに、状況の変化から次第に絡まっていき、手に負えない感じがしてくる。流れが悪くなって滞る。まるで、糸が絡まってしまったような感覚に陥る。しかしそれは悪いことではない。潮の満ち引きのように自身や物事の浮き沈みがある。

数十年前の話になる。フジロックでイベントをやらせてもらっていたことがある。先輩と仲間たちと。DJやVJの回線をステージ正面にあるオペレーションブースまで地中を這わせ繋ぐ。仕事は地面をツルハシで掘るところからはじまる。この年は予算が足りなく機材屋さんと相談して、片付けはウチの会社でやります、と商談がまとまった。オールナイトのイベントが終わった朝の撤収で、地中の回線を掘り返すと、すべてが絡まって巨大な団子になってしまった。ケーブルが絡まった球体。友達と2人で、黙々と解きながら泥を雑巾で拭き回収した。そのときフジロック側の担当者が「これだけ絡まったものを解くなら世界もきっと平和にできるな」と笑いながら声を掛けてくれ、いつ終わるとも分からない作業を昼まで見守ってくれたことがあった。

 

昨日は、入院した父の見舞に埼玉へ行って、帰ってきたら夜だった。SNSを眺めてると、知り合いがネット番組dommuneに出演するという投稿をみつけて観ていると、それは「渋谷のまちづくり」の話題だった。開発に次ぐ開発で、ユースカルチャーを生み出す渋谷ではなくなっているという。番組を主催する宇川さんが、それでも参画したいし、後ろ向きに批判だけじゃダメだと言った。新しくなっていく渋谷で若い世代がレイヴを仕込んで失敗したという話しもあって興味深かった。なかでも収穫は、まちは発展する以外に選択肢はないということ。衰退するまちも発展しようと足掻く。つまり自分がやっている「景観づくり」も里山環境に人間の側から参画し、すでに発展に寄与しているのだ。図らずも「まちづくり」をしていた。もちろんわたしが暮らす場所はCityやtownではないにしろ、里山を自然ではなく「まち」方向へと動かしているのだと理解した。

おまけに里山にレイヴを持ち込んでイベントを開催している。レイヴとは別の言葉にすると「フェスティバル空間」だ。あらゆる場所をフェスティバル化してしまうことがレイヴだと定義できる。しかも場所の文脈に従わずに。駅前だろうと、廃墟でも、海岸でも山で可能だ。場所の機能を一時的に無効にしてフェスティバル化する。そこでは意味や機能が変化し、その状況下でムーブメントが起きる。ムーブメントとは動きのこと。何かしらの動きが発生する。わたしの里山では、地域住人がイベントの当事者になるというムーブメントが起きた。田舎に暮らす老人という文脈から脱線してイベントの当事者へと変化し、毎年やろう!と声を上げている。

さらに宇川さんはストリートの使い方の例として、ニューヨークで期間限定でストリートを演劇化する実験の話をした。期間限定というのもレイヴ的な振る舞いだ。場所の機能を一時的に無効にして期間が限定されるなら、その場所の過去と未来を検証できる。開発を繰り返し麻痺したとしても時間軸にフラッグが立っていればオリジナルを見失わない設定方法だと思った。つまり里山の景観をつくるプロジェクトも期間を設けて10年でひと区切りし、参加者や組み立てそのものを入れ替えたり組み替えが可能になる。

 

夕飯を食べながら妻が、障害者雇用について面白い番組があるとリンクを送ってくれた。

障害者雇用については、わたしたち夫婦がこの数年、幼稚園での絵画教室、中高生の造形教室や、特別支援学校での授業を通じて、学校以外、卒業してからも、社会参加に躓く若者がアートで何かできるのではないか、と考えている。

それもあって番組はリアルに響いた。内容を要約すると、障害者雇用には国から助成金が出ていて、障害者を雇用しているというだけで、中身が伴ってなくても流用できてしまう、という問題の指摘と、助成金があることで、就労できる人を囲ってしまうという問題、助成金に頼らず事業化するという理想的な実践にまで触れていた。とくに税金に頼って事業を運営することに対する批判が強かった。他者へというよりも自戒も込めた批判だからより真摯に感じた。

それはわたし自身が、集落支援員という仕事を通して「景観づくり」をしている活動にも当て嵌まる。助成金ではないにしろ、税金から給料を貰って運営する今のカタチがベストではなく、さらに先がありそうだとは感じているし、だから里山を一般的な経済資本の流れにアップデートすることは、自分の手を離れても成り立つカタチにすることにも繋がり、それは民間で運営されていく理想形としての新しい展開に思えた。

何もないと言われる集落に名前や場所をつくり、関わる人が増えてきて意見や不満やクレームがあることも、それは社会化が進んでいる証だと前向きに理解できた。

おまけに今日は、わたしを嫌っているという噂の人と話す必要があり、恐る恐る、連絡して会いに行ってみれば、話はシンプルにまとまり、すべて納得の批判だった。わたしへの批判というよりは、まさに発展させる方向を誰も観てないことへの意見だった。この数日でいろいろと絡まった糸が解けたように感じた。しかし絡まっていても、満ち潮でも引き潮でも、どちらにしろわたしはモノをつくる。どんなときでも制作することがわたし自身、生きている世界の見方を作ってくれる。