いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

桃源郷づくり2年目。

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藪の整理が完了した。春に向けた準備が始まる。何が終わり何か始まる。循環している。冬から春へ。夏秋冬とまた季節が巡る。

図書館に予約した本が届いて、昨日の夕方取りに行った。朝、ヘルマン・ヘッセの「庭仕事の愉しみ」を読み始めた。ちょうど、春に向けて準備する冬についての文章ではじまった。すっと言葉が入ってきて、これは必要な本だと感じた。渇いた大地を潤すような読書がしたい。

本を数ページ読んだら、自分の庭が気になった。本を閉じて見回りの散歩に出た。庭と言ったけれども、庭だけではなく、揚枝方という北茨城市の集落全体の景観づくりをしていて、荒れ地を畑にしたり、草を刈って木を切ったり、桜を植樹して、耕作放棄地には菜の花を、休耕田には蓮を植えた。これを「桃源郷づくり」と名付けて、市役所と地域と協働している。広さは1キロ四方で、約30万坪、もしくは100町ほど。

ここに自分の土地はない。誰かの土地で、ほぼ放棄、放置してある。それだったら、整備して何かに使いましょう。単純な話。ここが銀座だったら、そうは単純な話にならない。けれども、ここは利用価値がないと思われているから、捨てられている。ぼくは、それを考えただけで、心の中で笑いが溢れる。

だって、土地は土地だ。大地だ。耕せば、食物を育む。何も悪くない土地だ。けれども、人間が積み上げている「価値」というものがこの土地には1ミリも積もっていない。大人たちは「この土地は幾らですか?」そうやって値踏みする。「この土地には資産価値なんてないですよ」と言われた途端、興味を失う。

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おかげで、ぼくの目の前には、自分の土地ではないけれど、自由に使える大地が広がっている。だからと言って、線を引いて、こっからここは俺の土地だ!とは主張もしない。価値のない大地のうえに、架空の価値を創造している。種を播いた。けれど、まだ花は咲いていない。今年で2年目になる桃源郷は、まだ目には見えない。それが素晴らしい。自然だから、結果が出るまでに10年近くかかるだろう。ここはゼロの地平。開花したとき、桃源郷が現れる。それまでは、ここに現れるだろう景色を心に描ける人だけが愉しむことができる。それは、この桃源郷づくりに参加した人だけが描くことができる。その資格は、この土地に魅了された心に芽生える。

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