いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

ライフワークと呼べるもの

芸術が職業のなかで最も自由に思えた。何かに没頭するのが好きで、それが許されるのも芸術だったから芸術家になろうと考えた。むしろ、もうそれしか選択肢がなかった。やろうと思えば、会社に勤めて働くこともできた。それでも少しでも表現が許される職種を選んできた。音楽フェスを企画したり、アーティストを発掘してCDをリリースしたり、そんな仕事をしていた。それができるようになったのは30代。20代は遊びに夢中だった。遊ぶために働いた。遊びとは音楽を聞くことだった。ライブハウス、クラブ、野外イベント。けれども、どうしても自分でもやりたかった。だから働きながら、絵を描いたり、文章を書いたりしていた。バンドもやっていた。

当然、仕事としてやること以外はお金にならなかった。けれども遊びにしても、それを作り出す人たちがいた。遊びと言っても、誰かが作ったものを消費していた。作り手とは、ミュージシャン、イベンター、レコード会社。次第に遊んでいるうちに、そういうプロフェッショナルに遭遇するようになった。遊びながら手伝ううちにそれは仕事になっていった。

絵が仕事になったのは40代に入ってから。20代の半ばから描きはじめて、遅いスタートだった。それでも楽しんでいたから、お金になるかどうかは別の話だった。夢があった。芸術家になることに。ピカソとかウォーホールとかデュシャンとか。もっとも影響を受けたのは、ラメルジー。異端のグラフィティーライター。来日したとき話す機会があって、今思えば奇跡の瞬間だった。ラメルジーは芸術家だけでなく、潜水の仕事をしていると教えてくれた。あのラメルジーでさえ副業をしているのだ。

お金にならないことに対して社会は、それをすることを許してくれない。なかなか許容してくれない。どうしてなんだろうか。だから自分の芸術活動をお金にすることにした。できるか分からないけど、会社を辞めて個展をやって作品を売った。50万円になった。それ以来2013年から、芸術家として生きている。何をするにも準備期間がいる。誕生して歩けるようになるまで、種を播いて芽を出すまでの保護期間が必要だ。それを与えられるのは自分しかいない。芽を摘まれないように、こっそりと育てた。

ぼくは芸術について、誰かに教えてもらった訳でもなく、学校で技術を習得した訳でもなく独学でやってきた。だから先生や師匠は自分が楽しんできた遊びのなかにいる。聴いてきた音楽や読んできた本、イベントで出会った人々。特にボブ・マーリーに憧れた。彼は音楽で社会に抵抗しながら生きることを歌った。

だから絵を描いたりオブジェを作ったり、美術館やギャラリーに作品を並べて、それだけで満足していいのだろうかと思う。もっと遠回りしていい。芸術ではないもののなかに芸術を見出す。それが先人たちからの教えだった。ジョンケージは、無音を音楽にした。マルセルデュシャンは、便器を芸術にした。だからぼくは生活を芸術にする。

芸術とは、いつの時代もその意味と形を更新し続ける表現であるべきだ、と思う。思う、と書くのは断定するべきことではないし、それもまた選択された表現のひとつでしかないから。

作家のカートヴォガネットは、芸術家はカナリヤだと書いた。炭鉱を掘り進めるとき、カナリヤを最前線に連れて行く。カナリヤはガスが漏れるといち早く察知して鳴いて知らせる。つまり芸術家は時代に対して警鐘を鳴らすべきだ、という。

宮崎駿風の谷のナウシカはまさにそうだった。宮崎監督とジブリは、そういう作品づくりをしている。社会と自然のバランスのなかで失われていくもの、人間が誤った方向へ進んでいるのではないか、という危機感。たくさんの人がその作品に感動して、傑作と評価されても、映画の世界から離れてしまえば、そのメッセージは消えてしまう。それが残念でならない。ぼくはいつまでも空想の世界で遊んでいたい。だから、空想の世界と現実を一致させることにした。表現に触れたとき、心に点いた火を灯し続けるために。

ぼくは境界線を取り払いたい。空想と現実、成功と失敗、上手と下手、美しさと醜さ、表現されたものに心を動かされるとき、それは必ずしも優れた何かではない。またそれは原石でしかなく、もしその輝きに心を動かされて、それだけだったら、それは幻に過ぎない。ぼくたちが感動するもの。心を動かされるもの。それを動力に変換する器官が必要だ。感動を実生活へと取り入れる神経回路を構築する必要がある。ティモシーリアリーは神経政治学という本を書いている。まさにそのタイトルの示すところをつくりたい。

例えば音楽を聴いて、その歌に感動したら、その歌を実人生に反映させる。もしジョン・レノンのイマジンを、この歌に感動したすべての人が行動に移せば、ジョン・レノンが想像した社会に近づくだろう。ジョンレノンはそうなることを想像していたんだと思う。

ボブマーリーが歌うように、ぼくたちが生きる権利のために立ち上がれば、社会も時代も未来も変わるだろう。

ナウシカのメッセージを受け止めたなら、コンビニのお弁当を買うことはできないだろう。買い物の仕方が変わるだろう。

何のために。ぼくには、未来へと理想のバトンを渡す仕事がある。もっと人が生きやすい環境をつくりたい。ぼくは環境を表現したい。たぶん、それはお金にならない。多少はなっても増殖させない。欲望を膨らませない。ノーエクスペクテイション(期待しない)。大きくすることでも、数を集めることでもなく、ただ人が生きやすい環境を表現すること。描写、記述、手段はなんでもいい。

もっとも自由な職業だからこそ、芸術という表現が社会の抜け道を切り拓くべきだ。エクソダスだ。資本主義はもはや怪物だ。あらゆるものを飲み込んで増殖膨張していく。誰にもコントロールできない。だから、飲み込まれても、同化しない。自分であり続ける。その意味で、お金にならなくていい。問題ない。むしろお金になるということは、理解されたということだから、常にお金にならない領域に、理解の一歩先に身を置く。自分すらも理解できないボーダーラインの先へ。お金になるということは結果であって目的ではない。結果が生きようとするモノの命を守ってくれる。それが自然の摂理だ。

時代は、間違った方向に進んでいる。今に始まったことじゃない。ずっとそうだった。だから芸術表現は別の理想世界を描き続けてきた。否定をするつもりはないけれど、世の中全体が狂ってしまうほど、この時代はお金に占拠されている。オリンピックにしろ、コロナにしろ、お金から自由であったなら、もっと違った選択肢があっただろう。

少し遡ってみれば100年前までは土地だった。人は土地を巡って狂っていた。土地のために何千年もの間、人間は争い殺し合ってきた。突然に何が変わるのではなく、少しずつ変化していく。その変化の狭間では、両極に足場を持てば、眺めが変わる。面白いことにお金が支配する時代になると、土地に対する偏執は忘れられた。いま日本で地方では空き家や耕作放棄、休耕田が増えている。貨幣価値に換算できない土地や家が放置されている。100年前には騙してまでも殺してまでも欲しかったものが捨ててある。これまたクレイジーに思える。愉快ですらある。

時代の流れのなか現代社会が放置してきた里山。ぼくはここに流れ着いた。人が欲しがらないものを選んできたら、ここにいた。ここでは社会が反転している。情報も価値もない。代わりに自然がある。価値がないから欲望もない。欲望がないから助け合いやシェアが生まれる。食べ切れない食料は「売る」という選択肢ではなく「分ける」という発想になる。この小さな環境のなかに生きるために必要だった何かがある。

この桃源郷と名付けた大地の手入れをしている。筆や絵の具の代わりに草刈り機を手にして、景観を作っている。ここにぼくの土地はない。所有はしない。それでも自分が見ている目の前の世界を美しくすること、これこそがアートだ。芸術は表現のなかにあるのではなく、表現されたものが目の前に現れるところにある。ひとりひとりが生活をつくること。つまり目の前を表現するようになれば、わざわざ立ち上がらなくても、想像しなくても、いつも目の前に理想がある。理想を生きることができる。答えはないけれど、ぼくは生きるということを伝えるためにこれを書いている。これは死ぬまで続く。これは遊びであり仕事だから。これがライフワークだ。

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桃源郷2021.May