いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

自分の時間、自分の考え、自分のやりたいこと。

アルバイトをしていたとき、よくボーっとしていると注意された。ときにはクビにもなった。ところが自分としては、ボーっとしているのではなく、次にやる楽しいことをイメージしていた。

みんな同じだと思っていたけど、それぞれ違うことが最近やっと分かってきた。ボーっとしてないで働きなさい、と言われる。いつまでも遊んでないで家に帰りなさい、と言われる。ついには就職しないさい、と。

就職するということは、自分の持っている時間のほとんどを仕事に費やすことになる。大学を卒業して就職した会社で考えごとをしていて、頭を叩かれた。金曜日は遊びに行くので定時に帰っていたら先輩に呼び出され、みんな働いているのだから、みんなが帰るまで新入社員は残れと言われた。

とにかく自分の時間を捨てることを要求され続けた。しかし、やりたいことは水のように湧いてくる。だから会社を1年で辞めてフリーターになった。だとしてやりたいことは、はっきりしてなかった。遊んでいたいだけだった。

そんなだからか分からないけど、仕事は日雇いが向いていた。建築現場などのチカラ仕事。モノを運んだり片付けたり。こういう仕事ではよく働くと褒められた。同じアルバイトにもなんでそんなに頑張るのか、と驚かれた。身体を動かす仕事はさすがにボーっと立ってられないし、身体を動かしているときに考えることはできる。そうやって働いた日当の一万円をその日食べるお金を抜いてレコードや本を買った。

前回ここにマルクスさんの話しを書いた。反論したいところがある。資本家VS労働者という構図はもう古い。労働者は資本家から経験と技術を盗むことができる。それに時代は変わって、残業も少ないし、頭を叩かれるようなこともない。

何が言いたいか。至る場面で自分のままでいられる時代になった。自分の時間、自分の考え、自分のやりたいこと。SNSyoutubeやネットの世界には、自分を発揮する場所がたくさんある。これからもっと増えていくはずだ。

とにかく自分の時間を捨てられなかったぼくは、こう考えた。とにかく没頭してられる仕事はないか。自分のなかで夢中になってても注意されたり怒られない仕事。分かったのはぼくは没頭していたかった。夢中でいたかった。それができるのが遊びだった。遊びの中身は、時代順に並べると、粘土、テレビ、アニメ、マンガ、映画、音楽、読書、バンド、コラージュ、ライブハウス、クラブ、フェスティバルだった。

それで28歳のとき小説家か画家になることにした。それから10年間、音楽関係の仕事をしながら、夜とか休みの日に絵を描いたり文章を書いた。38歳のときアーティストとして独立した。

昨日は一日、パネルや額を作った。木工だ。夜はバンドのMVの直し作業をした。iphoneで撮影した映像を編集した。友達とバンドを25年やってる。売れてない。けど続いている。詩を書いて歌っている。

今朝は起きて、妻と6月の個展のタイトルを話し合った。「そとしごと」はどうか。"Outside of the works" 英語の意味は仕事以外だから、余暇とか遊びというニュアンスになる。妻とふたりで芸術家として仕事をしている。もう没頭してても夢中になってても叱られない。むしろ夢中になってないと妻に注意される。素晴らしい。

どうなってしまうか分からなくて、潰されそうになりながらも、自分の大切なもの、それは卵みたいに簡単に割れてしまう、だけどそれを捨てないで、ずっと持っていた。それが自分というもの。だし、それを捨てても死にはしない。だけど自分という軌跡は消えてしまう。彗星みたいな輝き。いまは仕事をしながら、会社にいながら、家庭にいながら、どんな場所でも自分でいられる。ひとはそれぞれだから、それぞれだけど、もし自分のなかの小さな想いを潰されそうになっている人がいるのだとしたら、それは持ったまま生きていけば、きっとそれを宝物のように理解してくれる人に出会うよ。