いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

10年と10月の日記

10月は毎週イベントがあって、自分のしてきたことが仕事になって返ってきた。つまり社会のニーズが追いついてきた訳で、表現者としてはニーズの先へと走り続けていたい。こうして文章にして、したことを検証して逃走していく、自分の生きる道をつくるために過ぎた時間をコトバにして、未来への糧へと価値変換する錬金術でもある。実際10年以上続けてきた日記作業のおかげで仕事になって返ってきたのだから錬金術だと言うのは嘘ではない。しかし仕事になったのは日記じゃない。

実り豊かな10月を文章にしようとすると、かなり原点に遡ってしまって、長くなっては途中で書き直す作業を繰り返して、これで3回目になる。

「原点に遡る」と書いた。ぼくは遊んでいたかった。しかし遊ぶだけでは許されないので、没頭していたい、と解釈し直した。没頭が許されるのは、絵描きや小説家だろう、という理由で芸術家を目指した。しかし賞を獲ったり有名大学を出てないと評価も得られないし肩身も狭い。だから続けるために空き家を探して家賃をゼロ円にすることを企んだ。空き家に暮らして家を直す技術を手に入れたおかげで古い家があれば何処でも暮らせるようになった。家賃も実際ゼロ円になった。空き家があるから地方に暮らした。そして生き方をつくることを「生きるための芸術」と名付けた。その経験が役に立って、田舎に暮らす生活自体をアートにしている。しかし、遊んでいるだけでは誰が許さないのか、そこは考えておく必要がある。

自分の活動に
名前を与え、生活することが表現だとメッセージしている。生活は社会を離れて唯一自分のみに属する領域。生活を商売にしなくても怠け者とは言われない。生活は社会から逃走する秘密基地だ。見えないし見せなくてもいい。誰も触れることができないその領域に芸術活動を持ち込んだらどうなるのか。「生活をつくる」という表現。田舎に暮らして、その土地の環境を利用して生活している。井戸水、薪ストーブに薪風呂。バケツをトイレにしている。山の木を伐って炭焼きもやる。耕作放棄地を耕して花を咲かせた。真菰を栽培している。これはランドスケープアートをやっている。景観をつくるアートプロジェクト。大地の芸術。それが集落全体を活性化させるプロジェクトと翻訳され集落支援員という仕事になっている。

生活の質とは誰かに決められるものではなく、自分が設定するものだ。だから自由度が高い。上を目指せばキリはなく、お金は幾らでも必要で永久に要求される。けれども下に設定するなら自由になれる。なぜ上ばかりを目指すのか。ぼくは表現に没頭したい。それができるならほかはいくらでも交渉に応じる。というように生活を目的に応じてカスタマイズすることを生活芸術という。もちろんアート表現だから妥協はなしだ。
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遊びだから、これくらいでいい。という人もいる。これくらいでいい、ということはひとつもない。徹底的にやれば時間を費やすほどに没頭するほどにそれは研ぎ澄まされていく。遊びを研ぎ澄ますと仕事になる。趣味が仕事になるとはそういうことだ。

遊びを研ぎ澄まして仕事にするのはプロとは違う。ひとつの方向に伸ばすのではなく、既存のカテゴリーに吸収されるのではなく、何ものでもない、中間地点を渡り歩く。ゾミア。プロになんてなる必要はない。国境はいらない。逃げ続けた結果プロになるなら、それがいいかもしれない。

そもそもはコラージュ。コラージュとは、異なる素材を組み合わせ予想しなかったイメージを作り出すテクニックだ。セレンディピティセレンディピティとは何かをしているとき目的とは違った何かを発見してしまうことだ。プロになったら決まった結果を出さなければならない。そればかりではセレンディピティを見逃してしまう。落ち穂拾いだ。仕事をする者は落ち穂なんて拾わない。穂を刈りながら、結果こぼれ落ちた穂を拾うこと

だから原点もコラージュされている。いくつもの原点がある。遊び、コラージュ、滞在制作もある。未知の土地に滞在して、そこにあるものから題材をみつけて表現する。だから表現は土地からのインスパイアによって常に変わってきた。セッション。インプロビゼーション。目の前の現実に即興で応じる。だから未知なのだ。
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なるほど。エレメントは「原点」「遊び」「コラージュ」「未知」ということだ。

9月の中旬から札幌で滞在制作をしてきた。これもまさに未知の土地からインスパイアされたものをコラージュして神社を改修した。おかげで信仰について哲学した。それは日記にも書いた。
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10月の2週目は山梨県で開催されたアンビエントのフェスOff-Tone に参加した。Off-Toneは毎回ぼくらの作品をイベントのメインイメージ、フライヤーとして使っている。主催の松坂くんのキーワードを作品化している。イベントの現場では、夜冷えるので焚き火を担当した。風呂を焚いたり、炭焼きをしているおかげで芸術的だと褒められるほどに焚き火が上手くなった。現場では焚き火先輩と呼ばれた。ひとつの発見は、ステージを建築家が手掛けていて、いつもと違っていた。建築家はデザインして別に施工チームがいた。なるほど。建築家はデザインするだけだからヴィジョンにブレーキをかける必要がない。それを実現するのは施工チームだから。実際は施工チームは苦労した。自分でやるならやらないと言っていた。勉強になった。ぼくは自分で考え自分でやるタイプだから、ブレーキをかけては駄目だ。自分を攻めるべきだ。大きなヴィジョンで苦しめていい。それが結果へと反映される。

10月の3週目は、ぼくたちのホームである桃源郷で秋祭を開催した。何もないと言われる限界集落にフェスティバル。「目の見えない白鳥さん、アートを見に行く」の上映会と、夜は焚き火とDJとキャンプのイベント、翌日はコンサート。このイベント自体がぼくらの作品。20代はフェスの仕事をしてきたのが役に立っている。会場はもともと耕作放棄地。ステージも装飾した。この夜の焚き火パーティーでは1曲ポエトリーも披露した。その歌詞をみんなが覚えてくれ、翌日もキーワードになってて嬉しかった。生きるキルキル。生きるキル。自分にとって詩を書くことは、ほんとうに原点のなかの原点だと思う。失礼。原点に「コトバ」も追加しよう。
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そして9月末から音楽家のJ.A.K.A.M.ことMoochyにアルバムジャケットのデザインを依頼されていた。Moochyが小説を書きはじめて、ぼくが10年前に発表したグラフィックノベルを思い出してオファーしてくれた。Moochyは同じ年だけれど、早くから表現者として目覚めていて、9.11のときには「和プロジェクト」を立ち上げ、平和を祈願するイベントを東京と広島で開催している。共通の知り合いでもある占い師マドモアゼル朱鷺ちゃんの存在もMoochyと自分を繋いでいる。そんなMoochyからの依頼だから、傑作を提示できるように取り組んだ。

なかでも大きな発見は、自分の表現活動が反転していることだった。ぼくは現実から脱出するためにコラージュをしたり文章を書いてきた。スタート地点は妄想だった。つまり現実とは関係ないものだった。しかし自分の人生をつくることや活動の拠点をつくるためにしてきたことが、現実のうえに表現することになっていった。つまり目の前の景色を絵にしたり、景色そのものを作るという表現は、空想を描くことの対極にあることに気がついた。生活芸術というコンセプト自体が現実のうえに成立していた。
Moochyからのオファーはその対極だった。未だ存在しないイメージをヴィジョンを具現化すること。この行為は内側からやってくる。まさに想像から創造。自分の外界にある破片を集めてコラージュするのではなく、瞑想のように自分の内側と対話しながら手を動かして見えてくる。ヴィジョンを描き出す手段として、雑誌を切って貼るコラージュというテクニックがあることを思い出した。マックス・エルンストだ。

タロットに似ている。占い師マドモアゼル朱鷺のテクニック。かつて彼女は言ってくれた。「あなたには才能がある。目を覚ましなさい」

雑誌を切って貼って作るヴィジョン。ユングの赤の書を思い出した。これも再検証してみたい。ヴィジョンが何を提示するのか。タロットも調べよう。

見えないものを現像化する。そういう作業を久しぶりにやった。PCでコラージュしていたが締め切り間際になって、やっぱり実物が必要だと感じてMoochyに相談した。「ノリオくんのイメージがまだ出るなら是非とも。これは俺の作品だけどイメージの底の底から湧き上がるヴィジョンなら普遍的なものになるはずだから」と言ってくれた。モノをつくることでこういうやり取りが出来ることが嬉しかったし、ずっと先を走っているアーティストの作品に参加して結果を出せるならそれは表現者冥利に尽きる。無事締め切り前に完成したイメージを提供できた。

最終週末は、愛知県津島市のイベントに参加して来場者たちと旗作りをした。津島市は、ぼくが空き家を求めて偶然出会った場所で約1年半くらい住んでいた。津島市に暮らしたくて夜行バスで東京から通ったりもした。そんな街に作家として招待してもらい滞在制作をやらせてもらった。誰にも呼ばれていない町に自ら通って空き家に暮らし、そのときの活動がきっかけで現在のまちづくりにも影響を与えているとも言ってもらえた。
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10月30日には、25年以上やっているバンドの録音した曲をエンジニアに出すことができた。パンクバンドでぼくは詩を書いて歌っている。歌というよりはラップ。ラップというよりはコトバ。ぼくは高校生のときにベースを弾いて歌いラモーンズとクラッシュとセックスピストルズのカバーをしただけで、音楽を作りはじめてしまった。10代からしてきたことが続いて今がある。だから原点は詩だ。

循環した自分の世界。至るところに種が蒔かれた。詩、テキスト、コラージュ、木工、建築、陶芸、ランドスケープ、音楽。そしてそろそろ小説をまた書きたいと考えている。ぼくが物語を必要とする理由を村上春樹エルサレム賞でのスピーチで説明してくれている

小説における物語の目的は警鐘を鳴らすことにあります。糸が私たちの魂を絡めとり、おとしめることを防ぐために、“システム”に対しては常に光があたるようにしつづけなくてはならないのです。