いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

明治以前に「社会」というコトバはなかった。福沢諭吉はSocietyを「人間交際」と訳している。

ぼくは制作するために時間を作っている。表現者として生きていくと決めたときから。つまり仕事も予定もない空白の時間。他人からするとそれは「暇」というものらしく、よく頼まれごとをする。

「いま忙しいから手伝ってくれないか」
知り合いが困っているなら助けよう。料理屋、鉄工所、植木屋さんのお手伝いをした。初日はいい。人助け。役に立ってよかった。けれども数日続くと自分も相手も変わっていく。

ぼくは自分の時間が、つまり制作のために空白にしていた時間が愛おしくなり、何か制作しなければという焦りに似た気持ちになっていく。相手は忙しさが和らいで、落ち着き、できるならこのまま手を貸してほしいと思う。

ぼくは働くのが嫌いだった。なぜ働くのか。そうしなければならないのか。納得のいく説明を聞いたことがない。学生の頃は日雇いの建築現場とか引っ越しとかコンビニのアルバイトしかやれなかった。なぜならお金にはならないけどやりたくて仕方ないことがあったから。だからアルバイトしてもすぐクビになった。理由はボーっとしているから。ようするに気が利かない。そのはずで、ぼくは隙があればしたいことについて考えを巡らせていた。音楽のことだったり、作品の構想だったり、遊びのことだったり。

だからぼくは、自分がしたいことを仕事にすることにした。頼まれてもいない頭に浮かんでくる空想をカタチにすることを。

28歳からはじめて今、48歳になってやっと少しだけそれが仕事になるようになった。妻と描いている絵が売れるようになった。夢だった本も3冊出版した。目の前の現実をつくる、生活そのものをつくる、というコンセプチュアルなアート活動が移住した北茨城市に受け入れられて、仕事になって生活芸術とランドスケープアートに取り組んでいる。

何かをつくるということは、空白の時間から湧き出す水のようなものだ。

だから確かに他人からは透明で見えない。何もないのだと思う。それはボーっとしているようにも見える。だけど決して怠けているわけじゃない。ぼくは命懸けでこの空白をつくっている。頼まれることも、目の前のお金になる仕事も放りだして。だけどあまりにも透明で、自分が作り出した「透明の時間」を忘れてしまうことがある。そんなときに仕事の依頼をされる。だから仕事を頼んでくれる人に感謝したい。そのことをこうして思い出させてくれるのだから。

最近読んだ「翻訳語成立事情」という本に「社会」というコトバはSocietyという単語が輸入されてつくられた概念だと書いてあった。この本は明治以降に翻訳された日本語を解説してくれる。西欧化される前の日本人の感覚を言語化してくれる。

それはそれとして社会というコトバに到達するまでにいろんな試みがあって福沢諭吉はSocietyを「人間交際」と翻訳した。

ぼくは目に見えない巨大な欲望を追いかけて目の前の人間のことを忘れていたのかもしれない。社会に飲み込まれて。だから、ここからは社会というコトバを消して、人間交際、つまり生身の人間と出会い、語り、ときには助け合い、そうした交流のなかで自分のSocietyを再構築したい。