いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

労働は商品なのか人生なのか。

マルクス「賃労働と資本」を読んだ。本に書かれた言葉は、何十年も何百年も何千年もむかしのひとの考えを教えてくれる。マルクスさんとカフェや居酒屋で話したように書き直してみた。

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働くことは、ぼくらが雇い主に売るひとつの商品なんだ。どうして売るのか。生きるためにだ。

お金を貰って働く。これも、人生の一部だよね。だって必要なものを手に入れるために時間と労働力を売るわけだから。働くことは生命活動のはずだよね。

けれど、ぼくらは生きるために働いてるはずなのに、働くことが生命活動の一部ではなくなっているんだ。むしろ生命活動を犠牲にしている。なぜなら働くことは商品になってしまった。

ぼくらの仕事の目的は、取引先でもないし、営業でもないし、成果物でもなく、作った服でもコーヒーでも家でも食べ物でもない。ぼくらはお金のためばかりに働いている。

一日のほとんどを費やすこんな仕事が人生そのものだとか、もしくはこれが君の生活だと言えるだろうか。

むしろその反対で、いまの社会では、仕事が止むところから生活が始まるんだ。つまりほんの僅かな隙間に、ベッドで食卓で酒場で、テレビやスマホの前で。

ページをめくりながら深く共感した。150年前にマルクスさんの考え方が今現在に通用するってことは、人間は社会のなかで変わらず翻弄され続けている。だから生活という残り僅かな自分の領土から、巻き返しを図っている。

破壊も創造も、自然も社会も、哲学も生活も、人間も人生も、すべて引き受けて表現できる、ぼくはそういうものを目指している。