いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

生活をつくり社会を彫刻しよう。

自分のしていることが大切なことだと実感しながら日々を生きている。それは誰もが同じように感じていることで、大切なことはそれぞれにある。それぞれの大切さに優劣をつけて自分のしていることを意味のないものだとすれば、生きるチカラを失ってしまう。だから勘違いかもしれないけれど、自分の信じることを続けている。それが何かと言うならば道なのだと思う。自分が生きる道をつくり、その先を切り拓いていく。

道をつくることは、世の中で言うところの仕事とか働くとは違うところにある。お金を稼ぐことでもない。道をつくることは、個人的な自分のためにやることからはじまって、やがてほかの人のためになるような、そんなふうに社会へと通じていく。だからぼくの信じるところの話はきっと誰かの気持ちにも通じる。

なぜ働くのか。という問いがずっとあってぼくは働くことに真っ直ぐ向き合うことができなかった。幼少のころ「なぜ」を連発して、父親に従姉妹がどうして学校に通うのかしつこく質問したら「そんなことを俺が知るわけない」と話を終わりにされてしまった。

そのときから、ずっと「なぜ」が続いている。なぜ学校に行くのか。なぜ勉強するのか。それが分かっていたらもっと勉強をしていたかもしれない。いや、知りたくもないから遊んでばかりいたのかもしれない。

遊んでいたいのになぜ働かなければならないのか。働くのが当たり前だから? それは答えになっていない。例えば、ほんとうに人類や地球環境に貢献できる仕事があったとして、そういう仕事を自分でみつけて、自らその仕事に従事するだけでお金になるのだとしたら、きっと喜んで働くのかもしれない。けれども世の中のほとんどの仕事は経済成長に従事するように要求される。たとえ、その仕事が誰かを多少傷つけたとしても、環境に悪影響だったとしてもそれは問題にされない。今の政治ですら経済成長をスローガンにしている。ほんとうにそれが人間を幸せにするのだろうか。正直言ってぼくは会社で働くということに納得できたことがない。

それよりも何かに没頭しているのが好きだった。公園の砂場で陽が沈むまで遊ぶことや、粘土でカタチを作って遊ぶこと、友達の家に泊まってまでゲームをすること、漫画を読むこと、描くこと、映画やアニメを観ること、音楽を聴くこと、バンドで音楽を演奏すること、そうしたことに夢中だった。

中学、高校と進学するうちに、好きなことに没頭するよりも勉強を要求されるようになった。何のためにやるのか、その目的もはっきりしないまま。その一方で楽しいことに没頭する遊びにも熱中していった。

大学を卒業する頃には当然のように就職することになった。就職試験を受けて企業に内定をもらった。その頃は音楽に夢中だった。音楽業界に就職するきっかけもなく、音楽雑誌などにも採用されることもなく、たまたま内定を貰った金融系の会社に通うことになった。

会社では、毎日同じ時間に出社して休憩時間以外はその仕事に従事するのが当たり前だった。その間、自分の考えを実行する余地はなかった。残業も夜遅くまであった。ぼくの時間は奪われてしまった。それでも空想したりして、ボーっとしていると怒られたりした。どうして怒られるのか納得できなかった。会社で働く理由が全く納得できなかった。入社して数ヶ月して、1年以内にその環境から脱出することを計画した。つまり退職することにした。ぼくには好きなことがある。それがお金になるかどうかまったく分からないけれど、やらないことには生きている気がしなかった。

いよいよ辞意を上司に伝えると

「いいか。この会社にいれば普通の人よりも大きな家に暮らせるんだぞ。普通の人よりいいクルマに乗れるんだぞ。そんな人生を捨てるのか? いまはまだ辛いこともあるだろう。しかし、わたしぐらいの年齢まで我慢すれば、普通の人よりもいい暮らしができるんだ」

50代の部長にそう説得されたのを今でも覚えている。そんなものは少しも欲しくなかった。

20代半ばで会社員を辞めて、いわゆるフリーターになって、音楽イベントのアルバイトをするようになった。お金がなくて厳しい生活だったけれど楽しかったし、何よりなぜ自分がそういう生活をしているのか、完全に納得できた。それが好きだから。それだけでよかった。

それでも自分のなかで、まだ思うようにできていない感じが残っていた。もっと没頭していたい。それは仕事をするとか、働くということとは違う何がだった。音楽イベントのアルバイトをしながら、ステージに立つアーティストを見て考えた。もしかしたら、アーティストになれば没頭することを、つまり遊びを仕事にできるのではないかと。

表現者になる」これが次の脱出計画になっていった。けれどもそれを実行する勇気もなければ、自分を信じることもできなかった。

一体、何から脱出するのか。それは社会全体が強制する予め用意された道から、自分で考えて切り拓く道へと人生をシフトすることだった。

音楽イベントの仕事をしている時期、クルマで日本の地方を移動して、イベントからイベントへと旅をするように暮らしていた。そんなときに交通事故に遭ってしまった。背骨を粉砕骨折して、手術に失敗すれば歩けなくなると宣告された。そのときに、歩けなくなるなら文章を書くか、絵を描くことを仕事にしようと決意した。それでやっと、自分のやりたいことにはじめて向き合うことができた。27歳だった。

手術は無事に成功して歩けるようになり、また元の生活に戻った。音楽イベントの仕事もフェスティバルのムーブメントのおかげで軌道に乗って、先輩が立ち上げた会社で音楽業界に携わるようになった。それでも、自分のやりたいことを忘れることはなかった。休みの日や仕事あとの夜に小説を書き続けた。いつ脱出できるのか、その脱出する先はどこなのか、まったく分からないまま創作を8年間続けた。小説の世界は終わることがないようだった。いつまでも広がっていくようだった。ところが2011年3月11日に東日本大震災が起きて原子力発電所が爆発した。

それをきっかけに現実と空想の世界が入れ替わった。ぼくが「なぜ」と疑問に感じながらも我慢してしがみついている世界が壊れた瞬間だった。

ぼくが日々している無意識のうちに選択していることが社会を作っていた。ぼくは社会のあらゆる問題に加担していると気づいてしまった。つまり小説の世界をコトバでつくるように、日々の行動で現実社会をつくっていたのだ。もうひとつ気づいたのは、子供の頃からあった「なぜ」という問いは誰かが答えてくれるものではなかった。その答えは自分で探すものだった。

ようやくぼくは芸術家になることにした。30代の終わりだった。夢中で没頭して、好きなだけやって、それをカタチにする。それを作品にする。文章でも絵でもいい。それをやって生きていくと覚悟した。

ぼくの道は、もうずっと前から目の前にあった。けれどもいろんな言い訳をして、その道に足を踏み入れなかった。自分の道とは、そのはじめは自分以外の人にはまったく価値のないものだ。親だろうと友達だろうと。誰もその道を歩くことを進めてはくれない。その道の入り口は自分しか知らないのだから。その先は運命とかカミとか宇宙の領域で人智を超えている。けれども、その道を歩き続けるうちに理解してくれる人が現れる。もしくは同じように自分の道を歩く誰かと交わることもある。そうやって、道は次第に社会へと通じるようになる。

ぼくは芸術家になった。ここに書いた経緯で表現者になったから絵を作ることだけがその仕事ではない。ぼくは人生をつくっている。誰もがそうしている。それを表現したい。人間とは何か、その人間がつくる社会とは何か。現代社会が忘れてしまった人間を育む自然について。絵は自分の活動の氷山の一角でしかない。むしろ作品という花が咲くまでの過程にこそぼくの芸術がある。その表現を生きるための芸術と呼んでいる。生きるということを改めて問いたい。生きるとは何か。

現代人の生命活動は商品の消費で賄われている。社会はすべてを商品化する。しかし生きるという活動は商品でも消費でもない。ほんらいの生きるという活動は自然のなかにある。生きるという活動は、商品をつくるためではなく、自分の命を永らえるためにある。さらにはその家族のために。

生きるという基盤を確保しないまま、現代人は商品と消費のサイクルに放り込まれる。そのために働く。いつまにか経済を成長させることが人間の使命になっている。ぼくはそれは違うと思う。だから自分の道を選んだ。

生きるためのすべてを商品の消費で済ませることは、生きるためのすべてを競争しなければならない。つまりお金を獲得しなければ生きていけないゲームに参加し続けることになる。このゲームが得意な人はいい。けれども勝つ人がいれば負ける人もいる。

実はこの競争に参加しないという選択肢もある。この競争は単なる初期設定でしかない。設定を自分で変えれば、いくらでもルールを変えることができる。強制力が働きすぎているだけで、初期設定を変えれば自由はすぐそこにある。

自然は働きかければ、分け隔てなく恵みを与えてくれる。清水を汲めば水が飲める。種を蒔けば芽が出る。誰かがやってくれたものを購入するのか、自分でやるのか。実は自分でやるという選択肢はいつも存在している。貧しいとか、ちゃんとしていないとか、変な人とかか、普通じゃないとか、いろいろな呼び方はされるけれど、ひとりひとりの人間は経済を成長させるために生まれた訳じゃない。人間は経済の奴隷ではない。

自分の生活をつくる。それをぼくは生活芸術と呼んでいる。生活をつくるのだ。食料、家、水くらいの生きるために必要なものは自分で手に入れられるようにしておくべきだ。生きるための基礎。自分で自分の生活を作ったとき、人はその命、つまり生まれながらに与えられた時間を自分の手に取り戻すことができる。そこには暇と呼ばれる空白ができる。誰にも要求されることのない時間。それがほんらいすべての人に平等に与えられた生きる権利。それをどう使うのか強制されることなく自ら進んでDo itする。それが自由だ。

自分の時間を社会から取り戻すことができれば、その時間を使って自分が見ている世界をつくることができる。自分が見ている世界とは一次情報の世界。あらゆるメディアからの情報は、誰かが見ている世界を切り取った二次情報。できるのは自分の目の前をつくることだけ。

自分の目の前こそが自分の世界。ひとりひとりが、それをつくることで社会はやがて変わっていく。ひとりひとりが生活をつくることで社会が形成されていく。ぼくはそれを社会彫刻と呼んでいる。