いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

10年やれば夢は叶う。だから次の10年を夢見る。

週末、都内でバンドのリハーサルをしてそのあと久しぶりにパーティーに遊びに行った。パーティーというのはシークレットで、むかしフェスの仕事をした先輩や仲間たちが開催しているDJイベント。音響屋さんをやっている先輩の倉庫が移転するということで、そのエリアで開催された。

10年ぶりに会うような人も多くて、倉庫をクラブにしたような、海外でのイベントのようでもあってほんとうに久しぶりに朝まで踊った。むかしはこういう場所で仕事をしていたので、やることがたくさんあって、当時は踊っている暇なんてなかった。ところがいまは、踊る以外やることがなかった。

朝になると、急に終わりに立ち会いたくなくなって帰ることにした。帰るといっても北茨城だ。長い帰宅。とりあえず会場をあとにして電車に乗って横浜から東京駅に向かった。東京八重洲口からバスで約3時間。バスで寝て目が覚めるともう北茨城だった。

東京にはたくさんのモノと欲望があった。友達とずっと遊んでいたい、とか、本屋さんに立ち寄りたいとか、美味しそうなお店とか、パーティーには女の子がたくさんいた。北茨城のバス停を降りると、それらは全部夢のように消えて、自然が広がっていた。

妻がバス停に迎えに来てくれ、ぼくは家に帰った。東京からしたら何もない場所。つまり欲望から離れた場所に暮らしている。その生活を選んだ。ここではシンプルになれる。欲望は夢のように消えて、やるべきことだけがここにある。やるべきこととは、生きるための芸術をすること。自分が作った生活スタイルを実践すること。消費ではなく生産すること。

薪でお風呂を沸かして入った。友達が持ってきてくれたフキ味噌を夕飯に食べた。

昨日は水戸の中学校でやった展示のアンケートに返事を書いた。主催の春田さんが、中学生へのオンライン授業を企画してくれ、そのときに学生がかいたもの。そこに質問が書かれている。この展示のポスターに「生きる芸術の話をしよう」と文章が添えられていたから、中学生に返事を書いてこの展示を終わらせようと妻と話し合っていた。その仕事を終えた。

中学生の質問は、本質的でシンプルで、ぼくのしていることについて、自分に問い直す作業になった。たぶん中学生からの視点は次に書く本にとても役に立つように感じた。だから約100枚に返事を書き終えてコピーを取って保存することにした。原本は学校へ返送する。学生に手紙が渡って、このプロジェクトは完成する。

昨日アンケートに返事を書き終わってすっきりして、明日は舟に乗ることにした。今日、朝起きて舟を軽トラックに積んで海へ行った。この自作の舟を浮かべるのは2回目。舟を自作して海のある街に暮らし芸術家として生きていくのが10年前の目標だった。ほんとうに驚くことだけど、その目標を達成している。それを実際にやってみると大したことではないと言うか、海のうえで舟を漕いだからってどうってことはない。つまり目標よりもその過程で得たことの豊かさ。その重要さ。

中学生の質問に「生き甲斐はなんですか」というのがあった。生き甲斐って何だろう。それこそ10年前はパーティーを企画して遊ぶことだった。それが仕事だったし、そればかりをしていた。今は、生きるを表現すること。これが生き甲斐だ。考えてみれば、東京に暮らしていたら、生きるを表現できないのかもしれない。都市では生きることが複雑で自分の手から離れていて、コントロールさえできない。火も焚けないし、畑も持てない。今の暮らしは社会に振り回されるところが少ない。それは社会よりも自然に接続しているからだ。

あとどうして「芸術家になったのか」という質問も多かった。そうだった。週末もこいつは芸術家になったと紹介してくれる友達がいた。

ぼくは没頭してたかった。夢中になっているのを邪魔されたくなかった。だから漫画を読んでるだけでもいいし、音楽を聴いてるだけでもいい。けれども、そんなことを許してくれる職業なんてない。没頭してて許されるのは、褒められるのは、芸術家ぐらいじゃないだろうか。いろいろなことをやってみて、やっぱり自分は没頭していたいんだ、ということが分かった。それを知るには経験が必要だった。それで30代の終わりに、ずいぶん遅いのだろうけど、芸術家になった。

次の10年も同じくらい成長していたい。だから同じくらい無謀な夢を計画したい。それは海外と仕事をすることだ。