いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

時間とは誰のものか。自分以外の誰のものでもない。盗まれるな売るな。そして自分に投資せよ。

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何をしているのか。しなければならないのか。もしくはしないべきなのか。時間は過ぎるのか。流れるのか。進むのか。

流れているとして、例えば海に行くか、行かないか選択肢がある。朝起きて、会社に行けばお金が貰える。しかし休んで海に行ってしまった。一日ぐらいどうってことはない。常に答えはひとつではない。動いている。揺らいでいる。

今朝は海にいった。サーフィンをやるために。ぼくは会社には行かない。そういう生き方を選んだ。11月も半ば。まさか海に入るなんてと考えてしまう季節。しかし海がある街に暮らすことを選んだから、道具が揃っていれば海に入れてしまう快楽。

「サーフィンが上手くならないんです」上手い人に質問した。返事は「だって毎日海に行ってないでしょ?」だった。だから毎日ではないにしろ海に行くことにした。考えた。ベストコンディションの波で練習すれば上達するはず。

サーフィンをやる理由。海が好きだ。健康のため。何かを上達することは他のことにも共通するから。スポーツ。

昨日の夜Netflixで映画を観た。英語字幕だけで。それでも8割くらい理解できるようになった。フランスの映画で移民がペテン師で金持ちを騙している。

週末は高円寺で小学生を対象にしたワークショップをやった。ペーパーマシェで動物を作った。子供たちに伝えたいことがあっても聞いてもらえなかったりする。だから映像を作った。廃墟を改修する映像2分。耕作放棄地を耕して種を蒔き花を咲かせる映像2分。薪を作って薪風呂を焚く映像2分。場面を撮影しておけば編集出来ることが分かった。

楽家Moochyに提供したコラージュが表紙にデザインされてアルバムが完成した。音楽作品の表紙。どれだけそれに影響を受けてきたか。どれだけ集めたか。個人的にはCRASSのギーバウチャーもしくはFunkadelicのペドロベル、それらのフィーリングを新たに未来へ。2038年というキーワードだった。15年後にこのコラージュと音がどう響くのか楽しみでもある。

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今年、北茨城市の特別支援学校に地域で活動する芸術家として招待してもらった。4回ほど学校行事に参加させてもらった。昨日は子供たちの美術展に混じらせてもらい、馬とコラージュを並べた。今日は子供たちの美術の授業に参加してアドバイスやコメントをした。10年前、ぼくは芸術家ではなかった。芸術家になるために独立して、いまそうなっている。

1日や2日でやれることなんてないから、コツコツ隙をみつけて積み重ねていく。まるで脱走するように。それが年単位になってくると、社会に抜け道みたいなのが現れて積み上げたことが足場になって抜け出せる。何から抜け出せるのかは、積み上げだものよって違う。

いま仕事になっていることのほとんどは、誰にも頼まれなかった。存在しないから誰も依頼できなかった。存在しないから自分で勝手にはじめた。

会社を辞めて、収入がないからアルバイトをした。時間が欲しいから早朝6時から9時の清掃の仕事をした。大手企業のオフィス。まだ社員が出社する前に清掃する。8時30分になると社員が出社してくる。その9割の人が清掃員が存在しないように振る舞う。生きている世界が違うのだ。ごく稀に丁寧に声を掛けてくれる人もいる。その人には見えるのだ。清掃員の仕事が。

いま戦争が起きている。イスラエルがガザを爆撃している。いや戦争はずっとどこかで起きているんだよ、と言う人もいる。いま生きている場所から何が見えるのか、何が言えるのか、何を伝えられるのか。

ぼくが尊敬する表現者たちは、その困難に立ち向かった。その複雑さをカタチにして教えてくれた。だからぼくも表現し続ける。表現でしか伝えられないことがある。

夜「人はどうして戦争をするのか」アインシュタインフロイトに手紙を送り、そにフロイトが答える短い本を読んだ。

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時間は流れているのだと思う。過ぎるとしたら取り戻せない。しかし時間は戻らないとしてもやり直せる。時間は進んではいない。なぜならぼくたちは1分1秒すべての人が最前線に立っている。そこからはじめる一歩はすべて新しい。誰も置いていかれない。

流れていく時間のなかでもっともフレッシュなことは誰にも頼まれないこと。自分が望んで行動すること。それが君の数年後をプッシュしてくれる。過去の君が未来の君をサポートする。