いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

対話は自分を映し出す鏡。

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一昨日は妻以外、誰にも会わなかった。

草を刈って、春に向けて菜の花の種を蒔く準備をした。昨日は、午前中にアトリエ兼ギャラリーに絵を買いに来てくれた人がいた。いくつかの作品を並べて見てもらった。気になると言ったのはアースワークス・シリーズだった。身の回りの土を採取して焼いた土器。鑑賞者は旅館を経営してるから「地のものを使っていて素晴らしいですね。料理やるから分かります」と言ってくれ、2つ購入してくれた。4つあったシリーズはこれで完売完結した。

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仕事には2つある。依頼される仕事と、誰にも頼まれない仕事。作品をつくることは、誰にも頼まれないものをカタチにすることだと思う。だから時間を奪われず、売らないで生きる必要がある。誰のものでもない自分の時間を守るために。

昨晩、妻に「これから何をやりたいの? 一段落してるでしょう?」と言われた。

考えていたのは、これまで続けていて主役になっていない技術たちのことだった。こう答えた。

「例えば音楽に詩をつけて歌うことや、文章を書いて本にすること。つまりコトバをもっと仕事にしたい。もちろん、これまでの仕事もやりつつ伸ばしていきながらね。あっちこっちに行く仕事よりも、旅をしたい欲求はあまりなくて、むしろ内面からの表現をカタチにしたいんだ」

「文章かあ、詩ね、とても仕事にするのは難しいね。コピーライターとかなのかな」

頭の中にあったのは、バンドを成功させたいとか、小説でヒットを飛ばしたい、ということじゃない。

週末、曲づくりの打ち合わせに来た友達が質問してくれた。「イシワタさんのモチベーションはどこから来るんですか。そんなにみんなやる気ないですよ」

「ぼくは音楽をやりはじめてすぐに作りはじめたんだよね。楽器も弾けない、歌も歌えない。それでも作れたし楽しかったし、カタチになった。そのやり方を世の中に分からせるためにやっているのかもね」

昨日の午後はトラクターで耕作放棄地を耕した。3年前、目の前に広がる放棄地を庭にしたいと閃いた。運良く集落の放棄地を使わせてもらえる事になった。まだトラクターを持っていなかったから、誰かに頼まないと耕せなかった。今年の春、応援してくれる人が古いトラクターを持ってきてギフトしてくれた。できなかったことができるようになった。余っているもので何とかなった。

土地を巡り人類は争ってきた。いまも戦争は続いている。一方で、使えないと捨てられる土地がある。食料が値上がりして、買えないと騒ぐ人がいる。土地は放棄されているのに。

言いたいことはたくさんある。けれどもどちらかに寄ればバランスを欠く。右を取れば左が欠ける。答えはひとつじゃない。だから作品としてこの時代に遺していく。過ぎていく時間のなかで取捨選択する、そのひとつひとつのコラージュが誰かの選んだ道になっていく。作品は点でなく道。意見が同じ相手だからと言って常に同じゃない。賛成反対、反対賛成が山積みになっても何も解決はしない。なぜなら賛成か反対かは日々の暮らしのなかで表現することだから。

誰かがぼくと対話してくれるから、ぼくは反射する鏡のようにコトバを掬い取ることができる。そしてカタチにするためのアクションをチェスの駒のようにひとつ進める。いくつものゲームを妄想し社会のなかで実践する。縦横無尽にゲリラのように。

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バンドのシングルリリースの表紙案