いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

ランドアート、場所をコラージュする表現。

1週間もここに文章を書かないと落ち着かなくなってくる。大切なものを置きっぱなしにして忘れてしまうような。

ウィルスへの緊急事態が解除されて、感染者数も減って人の動きが出てきた。ぼくは田舎の山暮らしだから、約2年ほど、誰も訪ねて来なくて、それはそれで静かにマイペースに日々を過ごしていたんだと改めて思った。

人の動きが出てきて、アーティストインレジデンスに滞在してくれるようになった。10月は温泉巡りをするYoutuberが来た。登録者数は5万人近くて、それはかなりいい数字で、正確なところは分からないけれど、毎週動画をアップしてつまり月に4本で、30万円くらいになる話だった。

月末には、北海道から宮崎県を目指して旅している三味線奏者が滞在した。彼はノックと呼ばれる20年以来の友達でサーフィンも2年前からはじめたらしく、三味線の武者修行とサーフィンの旅をしている。なのでサーフィンを一緒にやって、せっかくだから、三味線の動画を撮影しようと提案した。彼のやりたいことを全部やることにした。

ぼくが暮らす北茨城市は海と山があって、サーフスポットもいくつかある。有名ではないからインターネットには出ていない。だからいつも空いている。サーファーには楽園だと思う。

午前中ノックとサーフィンをやって、午後はお互いの制作に没頭の予定がサーフィンをやり過ぎて、疲れてそれだけで一日が終わっていく数日だったので、最終日は、北茨城市の名所、花園神社に行って、三味線演奏の動画撮影の許可を交渉してみることにした。

花園神社で、宮司さんに希望を伝えると、むしろ歓迎してくれ

「神人和楽(しんじんわらく)の期間が今日から始まっていて、これは神様に感謝を伝えるのです。そのために音楽を演奏したりします。わたしは、その用意までできていないので、ぜひ神様に奉納してください」

という予想以上の展開になった。境内を散策して樹齢800年の杉の木のしたで演奏することにした。

「ノックはここに来てから、すごく不思議な気分だ」と言った。ノックが演奏の準備をはじめると、どこからともなく30代くらいの女性が現れて

「聞いていってもいいですか」と言って腰掛けた。

ノックが呼吸を整えるように深呼吸して、巨大な杉の木と、その向こうにある山に向かって演奏をはじめた。伝統的な津軽三味線の曲を現代的にアレンジしたその音は、その景色に溶け込んでいった。約20分ほど演奏すると、女性は立ち上がって「とても素晴らしかった」と去っていった。

ノックは「まるで夢のようだった。神様に音を捧げるなんて」と言った。

「あの女性は神様だったのかもね。喜んでたね」とぼくが言った。

 

滞在制作は、ぼくたち夫婦の表現技法のひとつで今回もそのミラクルが起きていた。そこにあるものと即興でセッションする、つまり予定していたことではなく、そこで偶然に起こることを題材に制作していく。

ノックが次の場所へと旅立ったその日、ぼくたちに滞在制作をオファーしてくれている北海道のジンさんがサーフィンをやるついでに立ち寄ってくれた。北海道でジンさんの家族が暮らしているまだ注目されていないエリアを開拓する計画だ。ノックも北海道から来たので、話が通じるところもあって、ここ数年、世界のスキーヤーから北海道の雪が世界イチだと認知され、これから世界レベルのブームが予感されているそうで、ノックから聞いた話をジンさんに確認したら、そういうことらしかった。

いま北茨城市で場所をつくるという取り組みをしていて、その経験をほかの場所でも実践できるのは大きな進歩になる。違う環境でもそれができることでそれを技術にすることができる。すべては直感なので、あとからしか答えは見えないけれど、冬の北海道で数週間滞在して、景色を絵にして、その土地の魅力に出会いたいと考えている。何もない土地にある何かを発見するという技術になっていくと予感している。

これまで「生活をつくる」という活動を実践してきて明らかに次の展望が見えている。キーワードは、ランドアート。土地をコラージュする。みなさん、引き続きよろしくお願いします。