いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

生きる つくる 働く2

朝7時に目を覚まして、少し寝坊してしまったけど、妻チフミと海へ向かった。いま住んでいる場所からクルマで20分ほど、ぼくはサーフィンをするために、妻は去年まで住んでいた家の片づけをしながら洗濯をするために出かけた。

携帯のアプリで波を予測できる。けれども今日はハズレだった。友達は30分は波を見ると教えてくれたので眺めた。でもやっぱり波はなかった。近所のお婆さんにサーフィンをやっていると話したら「ワカメぐらい採ってこい」と言われたのを想い出した。よく見れば、波打ち際にいくと海藻が打ち上げられている。ワカメらしき海藻を拾ってみた。

北茨城市の海は、太平洋から波がくるので荒い日が多い。それでサーフィンをはじめた。もともとは、自分で作ったカヌーを乗るつもりで海に行っていた。でもカヌーで海に出れる場所もなく、浜からカヌーで漕ぎ出したら波に呑まれて転覆して、砂に巻き込まれて沈んでしまった。海から出すのにそれは苦労した。以来、カヌーはお休みになっていた。

今日はサーフィンを諦めて、去年までいた家に戻って拾った海藻をチフミに見せると「ワカメかもね」と言った。

家のまえに転がっている手作りカヌーを眺めているうちに北茨城の海に耐えられる舟をつくりたくなった。カヌーより気軽に乗れるペットボトルの筏も家の裏に置いてある。こっちは去年の夏に友達の子供と遊んでいて波に呑まれて壊れたままだった。カヌーや筏を見ているうちに思った。ペットボトルの筏とサーフボードを積んで海へ行こう。波があればサーフィンすればいいし、波がなければ筏で魚を釣ればいい。それから新しいカヌーをつくろう。

瞬間、瞬間、思いつくことをカタチにすること。これが創造の源だ。浮かんでは消える泡のような思考を行動に変える、それがぼくたちを活かしてくれる。創造なんて特別なことだと思うことなかれ。損得勘定抜きにアイディアを行動に変えることが出来れば、人は生きていける。人間も動物だから生存本能がある。考えるよりも感じるままに動けば去勢された生存本能が目を覚ます。それらしい理由をひねり出す必要もない。目的は「生きる」ことなのだから。

ぼくは妻と二人で芸術家として2017年に北茨城市に移住した。元々は東京に暮らしていた。ぼくたち夫婦が芸術家として独立したきっかけは2011年3月11日の東日本大震災だった。つまり9年前にぼくは、自分の生き方をつくる決意をした。それまでは音楽関係の仕事をしていた。「東京に暮らして働いて生きていく」という疑いようもない日常が、大震災で原発が爆発して、目の前の絶対不変だったはずの現実までもが揺らいだ。信じていたものは完全じゃなかった。ぼくはテレビやネットのニュースを見ながら、東京電力や政府の対応に文句を言っていた。けれども気が付いた。ぼくはこの問題について何もしてこなかった。知ろうとさえしていなかった。

どうしたら、この巨大な問題ー原発事故を解決できるのだろうか。
ぼくはそう考えた。もちろん、この巨大な問題とは、原発事故だけじゃない。社会や経済、政治、生活、あらゆる問題が複雑に絡まっている。あれれこれ考えた。けれど、ぼくがみつけた解決の糸口は単純だった。バカなのかもしれない。自分が変わるしかない。それが答えだった。誰かのせいにしない生き方。自分で選んでつくる生き方。それだったら、誰にも文句は言えない。すべて自分のせいだ。自分が生活するなかで選択するモノコトが、どういう事なのか、どういう経緯でつくられたモノなのか、それぞれの由来を知ったうえで、自分で理解して選び、生活の中に取り入れていけば、あとになって後悔したり文句を言ったりしなくて済む。

では、どうしたら自分の生き方をつくることができるのか。
世界中のいろんな生き方を知りたい。そう思った。そしてぼくたちは2年間の準備期間を経て、夫婦揃って会社を辞めて、ヨーロッパとアフリカを巡る旅へ出た。

*生きる つくる 働く(仮)
と題して本を書き始めた。今日で二日目。友達に自分の考えを伝えるために。ぼくたちが理想の生活をつくることがひとりひとりの幸せになる。ぼくたちが生きるのはお金のためじゃない。