いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

理想の生活「海のある町で、食べ物を自然から得て、絵を描いて妻と二人で暮らす。」

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2019年の夏、ぼくは北茨城市に暮らしている。ワクワクして朝の目覚めが早くなる。前の日も早く寝ようと思っている。5時や6時に起きて、WEBやアプリで波をチェックする。低気圧が太平洋にいて南風だったら、サーフィンに適した波をしている。そういうことが分かるようになった。どうにもぼくは頭が悪く、実体験としてしか理解できない。海に通っているうちに出会った友達が波と天気の関係を教えてくれた。

友達から貰ったショートボードで闇雲に波に乗ろうとしていた。今年の春、バリ島で滞在制作をさせてもらいホストで友達のサーファーつとむが波乗りに連れて行ってくれた。

つとむがロングボードにした方が楽しめると言って、ボードを探してくれた。サーフィンは去年から始めた。44歳で。動機は単純、海で遊びたい。それだけ。夏の間、海にいられないとソワソワして何か大切なことを逃しているような気分になる。サーフィンはそんなぼくにピッタリの遊びだ。

おかげで海にいる時間が増えた。波乗りはタイミングだ。大きい波、小さい波、自分が乗れるサイズなのか、状況を判断して海の上へと漕ぎ出す。ほとんどは失敗ばかり。それも当たり前で、できないことをやろうとしているのだから、成功なんてほとんどない。スポーツは、本で読んでも動画をいくら見ても、やらなければできるようにならない。やりながら、どうすればできるのか体感して学習していく。波を掴むタイミング。それは人生の何かに似ている。どの波にどのタイミングで乗るのか。

 

海に行って波がなければ、釣りをする。7月から9月はペットボトルの筏でアジ釣りをする。釣りは、満潮と干潮の時間を調べる。満潮や干潮のタイミングだと潮が止まっていて、魚の食料になる生き物の動きもないので、あまり釣れないと言われている。それから潮のサイクルが大潮、中潮小潮のどれに当たるか調べる。

昨日は、大潮のあとの中潮で、満潮のあとだった。この条件なら釣れるはずだった。アジがいるポイントは、去年海に潜って場所を突き止めた。テトラポットの向こう側まで筏でいく。

竿での釣りは、陸から魚を獲る技術として発達している。ぼくは、原始的に魚の都合に合わせて、こっちが動く。そうすればかなりの割合でアジは釣れる。

昨日は釣ったアジを干物にすることにした。内臓と頭を切り落とし、よく血を洗い流して、網に入れて軒下に吊るした。今日の食料を確保。

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畑をやっている。自給自足なんてほど遠い。どんな野菜が自分たちに適しているのか、実験している。野菜を育てるには手がかかるし、収穫するのも難しい。害獣という敵もいる。

今年はトマトが豊作だった。トマトソースを作ってパスタを食べる。去年の冬は、小松菜が良かった。葉っぱを摘んで食べてもまた生えてくる。春に植えたキャベツは全滅だった。葉を青虫に全部食べられてしまった。今年の夏はスイカを楽しみにしていたけど、野生化したように蔓だけが伸びて実がならなかった。近所のおばあさんに相談したら、あんたらにスイカは無理だと言われた。スイカは、最初に伸びた蔓から3本ぐらい蔓が分かれたら最初に伸びた蔓を切らないと実がならない。スイカは難しいと教えてくれた。

ぼくがこの数年目指してきたのは、こんな生活だった。海のそばに暮らし、食べ物を自然から得て、絵を描いて妻と二人で暮らす。自給自足は考えていない。でも少し野菜が育てられると季節が身近になる。太陽や雨がに感謝する。収穫した野菜が食卓に並ぶと食事がずっと楽しくなる。

正直、このままでぼくたち夫婦は、生きていけるのだろうか。不安定はある。絵が売れなければ、サバイバルな生活を送ることになる。それでも「死ぬ」なんてことは、ずっと遠くにあるし、経済や都市から適度に距離を取ることは、時代に適った戦略にもなる。ぼくはこの道を選んだ。「生きる」という行為そのものと向き合う道を。人間は、ずっと自然と向き合って生きてきた。この行為のなかに芸術であり、哲学であり、宗教にも通じる普遍的な「生き方」が秘められている。まだまだ、この道には、掘り返さなければならない秘密が隠されている。