いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

作品が進むべき道を照らす

出版した本「廃墟と荒地の楽園」を送った新聞社が取材してくれた。記者さんが「自然のなかに生活を作って凄いなと思いました。けれども私にはできない。石渡さんは何を伝えたいのですか」と質問した。

本には言うべきことすべてが書いてある。でも答えではない。競争しなくても生きていけることを伝えたいとはいつも思っている。なぜ競争させられるのか。

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火曜日に友達が監督しあ映画の試写のため東京に行った。コロナ禍だったから半年ぶりだった。そのとき行ったのは、この映画の美術の撮影のためだった。映画では、主人公の画家が描く絵を担当した。その映画は「似ている」という短編映画で、主人公の画家が自分に似ている不思議な作品だった。監督がブラックコメディーと呼ぶ新しい日常ドラマだった。

試写の前の日、久しぶりの東京なのでバンドメンバーと飲んだ。メンバーに会うのは2年ぶり。楽し過ぎて半分記憶がない。20年以上活動しているのに有名にもならないしCDもリリースしていない。でも最高にオリジナリティある音楽をやっていて、いつか理解されると信じているクレイジーなバンド。

コロナ禍で、それぞれにいろいろあるなかベースの宮下くんが驚くほどの数の曲を作り出して、奇跡的にバンドが活発化した。その奇跡の楽曲をどうやってカタチにするのか、そのミーティングだった。しかし楽し過ぎて話にならなかったけれど、これまで奇跡的に継続してきて、ついに新曲もあるからカタチにしようぜ、と意見がまとまった。オリジナリティ溢れるバンドの音源が20年越しで完成するかもしれない。

 

NOINONE - I wanna go crazy(狂いたくて)

https://m.youtube.com/watch?v=ppDl2zrgjYI

昨日は、茨城の友達が会社を辞めるらしく、独立記念祝いに飲みに行った。電車に乗って学生を見て、先日の東京滞在も含めて、このコロナ禍の2年、人に全然会っていなかったと気がついた。ほんとうに山に籠もっていた。

いろんな友達に会って、改めて自分がしていることはエラーなんだと思った。ぼくは社会のバグを利用して生きている。だから正しくもないし普通でもないらしい。

会社を辞めた友達は

「やりたいことをみつけた途端に、会社の営業ノルマが何のためなのか納得できなくなった。それで独立して今までの仕事と、やりたいことの両方をやっていく決意をした」と話してくれた。

 

ぼくはミュージシャンになりたかった。中学生のとき何も決めないまま、カッコいい演奏をするバンドを空想していた。47歳になっても知られてもない、売れもしないバンドを続けている。仲間たちと信じている何かがそこにある。地球上に5人だけでもそれを感じているという奇跡に立ち合っている。

コトバではどうとでも表現できる。しかし現実としてぼくは芸術家になった。絵を描いている。立体作品もつくる。バンドもまだやっている。本も出版している。

しかし驚くことにぼくには技術がない。あるのはコラージュというテクニックだけ。歌は下手だし、絵も描けない。文章だって上手いのか分からない。とにかく書いているだけだ。とにかく手を動かしているうちに作品が、次に作りたいとイメージするモノを見つけ出して、ぼくをその方向へと展開させてくれる。

紙をつくりたい。今暮らす地域に楮(こうぞ)があると、お年寄りが教えてくれて、紙をつくろうと閃いた。たぶん人類が作ったモノのなかでもかなり古いだろう。なるほど、紙とパピルスは別モノとされていて、紙は中国で約2000年前の遺跡から発掘されていて、日本では610年に製造方法が伝わった。

これがぼくのコラージュだ。身の回りにあるモノだけでなく、歴史、文化、現象、人との出会い、あらゆるモノコトを組み合わせて作品をつくる。技術がないから、その根源から遡る。そうすれば、未熟な、まだそれが生まれる前の状態に立ち会うことができる。

売れる絵を描くとか、そういうアートのためのアートではなく、人類にとってのアートは何か、そのはじまりから捉え直してみたい。人間の根源的な創造活動に遡って表現する芸術ということになる。つまり文化人類学とか、民俗学現代アートを接続するような。ぼくが表現しているものが現代アートなのかどうかは別として、現在進行形のアートという意味で。芸術民俗学とか、芸術文化人類学とかになるのか。

やがて作品は自作の炭でつくられる黒と、楮でつくられた紙の白になる。そういうヴィジョンが見えた。こうやって先へと進んでいく。そうやって自分の道を歩いている。

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今日は彫刻をやった。

持ち上げる人。