いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

展示から生活へ。リズムの循環。

やっと生活が元のペースへと戻りはじめた。いや、戻るというよりも、新しいリズムへと回転し始めている。

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ギャラリーいわきでの約1週間の展示のあいだ気になっていたのは草刈りと薪割りのことで、炭焼き用に山から切ったクヌギの木が大量に積み上がっていて、それは冬の薪ストーブになるのだけれど、それには薪割りが必要で、クヌギは乾燥すると割ることができなくなる、と炭焼きの師匠に聞かされハラハラしていた。

ぼくの生活というものはコラージュして作られている。どこかで見たり教えてもらった暮らし方。この地域に伝わっている暮らし方。自分がいいと思う暮らし方を組み合わせて作った。作品をつくることと生活は相互にフィードバックしながら作り作られた環境から産み落とされていく。だから絵を描く、彫刻やオブジェをつくるという表現だけでなく、むしろ、このコラージュされた生活を営むこと自体も表現のひとつになっている。これを生活芸術と呼んでいるけれど、まあ伝わらないことも多い。

展示が終わった翌日に市役所から電話があった。羽鳥さんのモーニングショーが北茨城市は涼しいというテーマで移住者に取材したい、という内容だった。テレビ局の担当者から連絡を貰って話してみると作品も含めて紹介したいということだった。

次の日の午後、ハイエースが現れて、カメラマンとレポーターがクルマを降りるとすぐに取材を開始した。アトリエの古民家が涼しいと紹介して、作品のことも説明した。何かを作っているところも撮りたいというので、薪割りか草刈りなら今やってるから撮影できると言うと薪割りを撮りたいというので炭窯に案内して薪を割った。斧が壊れてしまい二本くらいで終了した。自宅も撮影したいというので案内するとき、あ、ここは自宅じゃないんですね、という反応をした。ここは炭焼き広場です。と説明したのは午後3時。もっとも暑い時間だった。日差しがまさに刺さるなか、北茨城は涼しいですね、と質問されても暑いとしか答えられなかった。インタビュアーさんがどうにかこうにか涼しいコメントを収録してテレビクルーは帰っていった。

印象的だったのは、涼しいという映像をつくるために来ていて、(当たり前だけど)なんとかその素材を撮らなければならない。だから目の前のことに反応してる余裕もなく、なんだかうわの空のように感じた。涼しいか暑いか、みたいな話のなかでちなみに東京は41度で、気象庁の気温発表は日陰で測っているときいて驚いた。いつからなんだろうか。温暖化を誤魔化すためにやっているのかと疑ってしまった。

それでもテレビの影響は大きく、放送された日は、遠くの人から連絡が来たりして、元気にやってます、と直接言わないまでも暑中見舞い代わりになった。

元の生活のリズムとは、草刈り、薪割り、日記、ストレッチ、これが基本運動で、ここに創作が加わってくる。新しくなったことは、今年の夏が暑過ぎて、日中には草刈りが危険になってきて、朝6時から始め、9時頃に終わらせるようになった。そのあとは、道具や身体のメンテナンスをする。仕事をする時間と同じだけ準備や片付けに費やせたらもっとリズムが良くなる気がする。

山に積まれたクヌギの木も一日10本薪にすれば10日で100本。それがリズム。炎天下のなか日陰をみつけて薪を割る。

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働くことが労働を超えたとき、それはスポーツになる。労働を超えるとはオーダー(要求)に従うのではなく、オーダーに慣れて従うというより自発的にどうしたら効率よくできるか思考しはじめるとき、つまり薪を割るときの要領について考えるようになるときスポーツになる。つまり義務が意義に転換される。薪割りをしているとき、サーフィンの教えが頭に浮かんだ。波に乗って立つとき息を止めるのではなく、呼吸する、リラックスしているとき、それは上手くいく。同じように薪を割ると息を止めているのに気がついた。斧を振り上げ息を吸い、吐きながら振り下ろす。薪は真っ二つに割れた。

ギャラリーいわきで展示して何人かの作家さんと話しをして印象的だったのは、画家はほぼ毎日絵を描いている。描き過ぎて良い悪いが分からないこともあると言っていた。

妻と話しながら、ぼくたちはそれほどやってないな、と反省しながらも、いつの間にか生活が芸術になって、その生活からモチーフや題材が生まれてくるから、その生活を営むこと自体が画家さんが絵を描くようなことなのかもね、と合意した。

事実、2023年のいまを生きていて、とても暑い夏がやってきて、そのなかで涼しいことを探すのもいい、が、もっと根源的に人間活動が地球に与えてきた影響について考察してもいい。あらゆる社会の問題はすべてぼくたちの日々の生活に直結している。だから生活を見直して作り変える、そのなかから産み落とされた作品はメッセージする。今日から明日、一週間、一か月、一年。10年。100年。回転し転換し展開する。すぐには意味は分からないかもだが、ぼくたち夫婦は大地のうえに季節を巡る大きな円環を描いている。それは現実を上描きして塗り替えて、ここにしかない世界を映していく。

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