いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

生活芸術日記

今朝は昨日の日記を英訳することから始めた。英語をもう少し使えるようになりたい。書くこと。話すこと。聞くこと。読むこと。

今日は薪を運ぶと決めていた。山の木を伐ってもみんな処分に困っている。ぼくは薪ストーブと薪風呂があるからむしろ必要としている。

山から木を運んで、薪ストーブのサイズに切り揃えていると、お世話になっているクルマ屋さんが訪ねて来た。知り合いが木の処分に困っているという。行ってみると庭のヒノキを倒してあった。軽トラックで行ったので積んで帰ってきた。整理する木は倍になってしまった。仕事は増えたけれど、しばらく木を探す必要はなくなった。お金を掛けないということは、労働で対価を支払うことになる。

午前中に木を運んで、午後は3時まで薪割り。ほぼ一日を薪に費やした。これがぼくの暮らし方。思い付いたらメモすると、次にやるべきことも見えてくる。週末のトークの資料を夕方までに完成させよう。トークの原稿を一気に書いて、それを章ごとに分割して見出しをつける。次は見出しをガイドに時間を確認しながらフリートークする。このやり方は本づくりに応用できそうだ。これが片付いたら読書。

昨日メモ帳を買ったので何か書こうと考えていたけど、書こうとすると何も出てこない。そういえば、今日チフミが木を運んでいる姿が面白かったから、それを木彫するイメージをスケッチした。ぼくの創作は日々の活動に源泉があるらしい。

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今朝は昨日手に入れた木の整理。ウチでは燃やす燃料になるので、ヒノキよりも、ナラ、クヌギ、カシなどの広葉樹が嬉しい。木の知識も燃料にする薪づくりも、どれも炭焼きから学んだ。

午後は、蓮池のレンコンを掘った。数日前にやったら、池の泥の奥深くに刺さっていて、掘り返すのに苦労した。Youtubeで予習してやり方を検討して再び挑戦した。レンコンの収穫は重機や放水などの道具を使う場合が多く手堀りの情報はあまりみつからかなった。簡単ではないことは分かったので、まずはひとつ連なった完全体を掘り出すのを目標にした。

理想をイメージできれば結果は違う。重労働には変わらないけれど、レンコンを収穫できた。みのり豊かなランドスケープアートがここに誕生した。

放棄された田んぼを池にして、蓮の苗を植え、蓮の花を咲かせ、それを絵にした。冬はレンコンを収穫して食べることができる。生きるための芸術。蓮シリーズ。これは大地のアートであり、食料であり、絵画でもある。

ぼくは知らなかったけれど、モネは庭を作って睡蓮の絵を描いたそうだ。