いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

流れのなかに生きること。

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やるべきことが自分の側にあるとき、ぼくは自由でいられる。その代わりにぼくは自由を手放す。例えば朝起きてまずやるべきことがある。ぼくの場合は草刈りだ。朝7時に起きて、そんなことは大したことない。朝食を済ませて、8時に草刈り機のエンジンをかけて耕作放棄地の草を刈り始めた。すると間もなく電話が鳴った。炭焼きの師匠が作業してるとの連絡だった。歩いて炭窯へ行き、仕事の段取りをして道具を取りに行き戻った。枝を何十本か鉈で切った。師匠は窯に木を入れよう、と言った。やってしまいましょう。同意して薪を運んで窯のなかに並べていく。

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10時。打ち合わせの予定があった。師匠に小一時間、炭焼き仕事を離れると伝えアトリエに向かった。特別支援学校との打ち合わせ。ぼくらが紹介された新聞の記事を読んで連絡をくれた。妻はこの仕事を楽しみにしている。まずは何をするか以前、挨拶程度の話だった。では今度施設に見学に来てください、と言われた。いつにしましょうか、と返事した。で金曜日に決まった。流れのなかにいるとき必要なことは自然に決まっていく。まだお金にはならない。アトリエでぼくたちの作品を紹介した。楽しかったと喜んでくれた。

炭窯へ戻った。師匠が薪を運んでいてくれた。窯に木を並べた。いつもは大仕事になるところが、どういう訳かシンプルに事が運んだ。で午前中に終わった。木曜日に燃やす約束をした。

お昼に地元の人たちは食堂と呼んで裏から出入りしている高速のSAに行った。焼肉定食を食べた。

お昼食べてすぐ仕事するのは眠いね、と妻と話しながら戻った。しかし働くとは厳しいもので13時から午後の仕事が容赦なくスタートする。ぼくは選べる。そういうライフスタイルを作った。時間を売り渡して拘束されるよりも、お金がなくても生きていける環境を作った。実際はお金がなければ生きていけないけれど、少なくてもなんとかなっている。代わりに自由がある。

妻にひと休みする?と聞かれたけど、草刈りの続きをやった。つまり自由とは自らを操ること。自分を自由にさせないことだったりする。草刈りは仕事かと言えば、これはこれでぼくにとっては瞑想。ひたすらに草を刈りながら考えを巡らせる。4時にもうすぐ終わるという頃、妻が犬のヒナコを散歩がてら草を刈って広くなった耕作放棄地に現れた。久しく犬と走っていないので、ぐるぐると走り回った。犬は喜んだ。ぼくも気持ちよかった。道具を片付けて家に戻ると電話が鳴った。次は真菰栽培の師匠だった。師匠はトラクターで田おこしをしていた。そのあとトンボで田んぼを均して土手を作った。明日は師匠の真菰の苗植えを手伝う約束をした。

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そうして日が暮れた。1日を過ごして分かった。ぼくはここでの暮らしを気に入っている。自分で選択を繰り返してここにいる。誰かにやらされていることはひとつもない。でも誰かの役に立っている。僅かにでもニーズがあるから。ぼくはつまり遊んでいる。ひとりではない遊びには相手がいる。「遊ぶ」とは誤解されやすい言葉かもしれない。けれども、ぼくはずっと遊んできた。20代、30代、40代、もうすぐ50歳になる。遊ぶということに全力を尽くし、倒れるまで遊んだ。目が覚めたら朝、品川駅だったこともある。している内容は変遷しているけれど、日が暮れても家に帰らずに砂場で遊んでいた頃と変わらない。音楽で遊んでいた20代、イベントプロデュースで遊んでいた30代、アーティストとして独立した40代。没頭できるかどうか。あるとき友達と電車での会話を思い出す。イベントプロデュースをしている友達は隙があれば、次は誰をブッキングしようとか、どんな組み合わせが盛り上がるか、考えていると話してくれた。同じ仕事をしていたぼくは、同じ時、次どんな作品をつくりたいか考えていた。ぼくは40歳を目前に自分がしたいことを理解した。

それぞれの遊びにはそれぞれの言語や振る舞いがある。それはそのなかに入らないと習得できない共通言語。お客さんになってしまえば、消費者になってしまう。それでは技術を盗むことができない。遊びであり仕事であるというミックスのバランス。だからこそ学習できることがある。

いまは地域で知り合ったお年寄りと遊んでいる。砂場がたまたま炭焼きだっただけで、音楽が真菰栽培だというほどしか違いはない。仕事である前に、それぞれ汗を流し、太陽の下、風を感じながら、身体を動かしている。それぞれの共通言語を通して、生きるための知恵を学んでいる。

ぼくは芸術家になったけれど、その活動は自分で開拓して新たな意味を獲得しながら遊んでいる。その拡張していく領域を理解するために、自分の言葉にするために、こうして文章を書いている。

芸術というものが生きることと直接関係しないなのだとしたら、それは何に関係しているだろうか。芸術のための芸術、よりよい絵を描くための芸術、売れるための芸術、競争して評価を得るための芸術、それぞれの芸術でいい。けれどもぼくは、自分がみつけたこの道を進む。自分が見ている目の前を美しくすること、自分と時を過ごす相手に豊かさを提供すること、空想世界だけでなく、目の前の現実世界をつくることができる、そのことを自分の表現を通じて伝えたい。つまりはメッセージだ。ぼくがずっと好きで影響を受けてきた音楽、ロックやパンクが態度してきたメッセージを引き継いでいる。それは形式ではなく変わり続けることでもある。