思いついたらやる。
それが生きるための技術で
やがて社会を彫刻する。
そこに生まれ出るかたちに
価値を与え商う
それが生活芸術。
アートで生きる。アートに生きる。living by art , living in art. この"by"と"in"を混ぜて考えていて、それぞれ整理すると、また見え方が変わる。
変わり目にいる。やりたいと思っていたことが、いろいろできるようになり、カタチになっていく一方で、できていないことや、これからできるようになりたいことが見えてきた。
リズムだ。自由だからこそ、リズムを生み出しグルーヴさせる。ぼくたち夫婦には、絵を描くという作業が、もっとも核心となる表現活動になっている。身の回りの景色を絵にすること。その絵を描くためのパネルも額もつくる。絵というだけじゃなく、オブジェとして存在している。モノとして。その一点一点をアートと呼べる作品に仕上げる。そのボーダーはやればやるほど上がっていく。よりよいものを見たいという欲望。
何かが欲しいというのではなく、見たい景色をつくる欲望。絵だけではなく、目の前の景色をつくる。現実の世界をつくる。表現することが空想の世界をつくるのではなく、現実の世界をつくる。究極のリアリズム。
けれども自分は絵を描いていない。カタチをみつけるだけた。妻が色を塗る。分業化している。できるだけシンプルなカタチにしたい。それでも世の中は複雑だから、そう容易く単純化できない。単純を目指して複雑になって、単純を目指してを繰り返している。
この季節になると、海に入りたくて落ち着かない。サーフィンをはじめたおかげで、毎日海に入れる。それだけで嬉しくて早起きしている。海に入って、できないサーフィンに取り組む。昨日できなかったことが今日できるようになる。
自分には学習する能力が欠けている。たぶん問題がある。というのも、学習する前にやってしまう。それが正解でなくても、その過程を楽しんでしまう。他人から見れば、全然できていなくて、それでもやってしまう。問題があるとすれば、個性が強いモノしか出来ない。もしくは他の人からすれば、奇妙なモノ、それがぼくが得意とするクリエイティブだったりする。学習を欠いた衝動的な表現。
音楽をはじめたとき、パンクの曲が数曲弾けるようになって、ギターの弦を針金に変えてしまった。鳴らすとFAXの送信音みたいな音になった。それでライブをやったり録音したりした。
バンドでボーカルをやるようになった。歌を歌いたいのではなくて、自分のやり方でメッセージを伝えたかった。ラップやポエトリーリーディングの間で、ときには叫んだり。何かに似ているのが嫌だった。誰かの真似はしたくない。真似する以前に、すでに表現の衝動がある。歌が音階に分かれる前の、祈りとか、そういう何かだと思っている。まったく有名でもないけれど、いまだにバンドは続いている。25年になるだろうか。音楽が好きだ。
それぞれ別々に芽を出している。その根っこは繋がっていて、したいことの根源にあるのは、考えること、書くこと。「書く」とは記述すること。描く、掻く、それは痕跡を残すこと。今を記録して、自分と向き合い、地図を広げて、人生の羅針盤にすること。
ぼくの活動のほとんどは、経済圏の外にあった。だからずっと居場所がなくて、彷徨っていた。仕事というカタチであれば、社会に居場所を見つけられたけれど、それはありのままの自分ではなかった。いつも違和感があった。あまりにも個が確立していて、社会人を演じることができなかった。この場合の個とは、自分の周りに纏う好きなモノのこと。自分とは空洞で、好きなモノを洋服のように纏うことで個性をつくる。しかし、そんなものはほとんど社会では役に立たないので、まるで就職してスーツを着るように脱ぎ捨ててしまう。
ところがぼくは、その服をボロのまま引きずって生きてきてしまった。ぼく自身は、未分化の野生にいる。それが性分に合っている。自分にやりたいようにやらせてみて分かった。だから野良なんだと思う。家も仕事もあるけれど、本性が野良なんだ。
炭窯を作って炭を焼いた。すべて材料は自然で仕入れもない。肉体労働が資本の仕事。かつて貧しく底辺の労働と蔑まされた炭焼き。労働の対価としては1キロ200円で、一回の炭焼きで200キロできる。皮や崩れた炭もあるので、一回30000円。2週間の労働。
これは原始的な一次産業。だからビジネスというものを退化させて炭焼きレベルからやり直してみたら、そこから再構築したら、何が売れるだろうか。あまりにも退化し過ぎていまやっと土器を焼き始めたところだ。現代に追いつくまで1万年分の進化が必要だ。
これが次の物語のテーマになるかもしれない。原始からやり直しのアート。