いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

夢かもしれない。でもその夢を見ているのはひとりじゃない。

とても生きるのが難しい時代だと感じる。情報やモノに押し流されそうになる。だから、自分が生きるための環境をつくることにした。絵を描くにしても、絵を描く環境に左右される。されない人もいるかもしれない。厳しい環境に身を置いた方がいい絵が描けるのかもしれない。自問自答しながら続けた先には、自分が生きるための環境をつくるという道が拓けた。

テレビの前に座って見ていたとする。つまらなくなってチャンネルを変える。面白い番組がないからテレビを消す。いつ見ても面白くないし、時間の無駄だからテレビを捨てた。

街をぶらぶらしてなんとなく買い物をしていた。ネットで欲しいものをみつけては買い物をした。モノは増えて置く場所がなくなり広い家に引っ越した。いい家に引っ越したら新しいクルマも欲しくなった。クルマを新しくしたら洋服もそれに見合うモノにしたくなった。

ぼくはこのサイクルから抜けた。「欲しいモノを買う」というよりも楽しいことを知った。「欲しいモノをつくること」何が欲しいのか。自分に質問してみる。君はなんて答えるだろうか。それが自分の今の姿。

自分でアート作品と呼ばれるモノをつくるようになって、欲しいモノはもっとよい作品になった。欲望するモノ自体を自分でつくるようになって、その先は自分次第になった。お金を持っていてもよい作品はつくれない。どうすればよい作品がつくれるのか。そもそも「よい作品」とは何だろうか。

英語で作品は”WORK”。仕事。よい仕事とは何だろうか。自分に対して投げた質問は自分にしか答えられない。ネットをいくら検索しても、ほかの誰も自分の問いに答えてはくれない。そうやって意味を問いながら自分がしていることを言語化して記録している。言葉にすることで自分の生きている状況を捉えようとしている。

「社会」と名付けられた範囲のなかでぼくたちは生きている。ことばはその意味を拡大することも縮小することもできる。つまり、目の前の現実ですら、ぼくたちは変更するチカラを持っている。例えば「テレビを捨てる」これも現実を変えるチカラだ。

ぼくは単に絵を描いていたのに、自分が生きるための環境をつくるという活動をはじめてしまったばかりに、アートの領域から零れ出てしまっている。だからアート活動というレイヤーをキープしたまま社会へと活動領域を侵食している。日常のすべてを自らが書き換えた社会に生きている。「行動して、発見したことを伝える」これがよい作品だといまのところ回答しておく。

生きるための環境をつくることは選び直すことだ。ひとは生まれる環境を選ぶことはできない。けれどもその設定を変えることはできる。日本人がアメリカ人になることだって可能なのだから。つまり、住む場所、家、仕事、人との付き合い、食事、服。この設定を変更すれば、人生も劇的に変わる。ぼくは、この設定を変えることも「アート」と呼んでいる。

例えば、家は廃墟、仕事もない僻地に暮らし、近所の人と付き合う、食事は身の回りの土地から採れたもの、服はほとんど買わない。こういう暮らしをしている。ほとんどを身の回りにあるものを利用している。アート作品の制作も同じで、荒地を整備して景観をつくっている。つまり目の前の現実世界を制作している。アートというレイヤーのまま日常を制作している。オンオフはない。これが生活芸術という世界。

視点を変えて説明すると「桃源郷をつくる」というプロジェクトが進んでいる。茨城県北茨城市関本町富士ケ丘、2km四方の限界集落で、耕作放棄地や休耕田を活用して景観をつくっている。今年の春に梅と桜の苗木を植樹して、昨日、活用されなくなった土地を地域のひとたちで協力して、整地して菜の花の種を蒔いた。土地の多くは、転居や高齢化のため放置されていた。それを誰の土地だからという区別なく、手が足りないところはチカラを貸して準備を進めてきた。

北茨城市に移住してからの芸術が生活になっていく物語を本にまとめた。「生活をつくる」という表現を世に問いたい。本をつくることも作品であり仕事でもある。仕事とは、世に問いかけるワークをカタチとして残すこと。生きるのが難しい時代だけれど、まったく壊れてデタラメになっている訳でもない。丁寧に読み解けば、この時代にも生きるための環境をつくることはできる。それには、これまでの社会の常識をこっそりと変更する必要がある。ぼくたちは社会のなかで生きているけれども、それぞれの生き方を全体に倣う必要はない。大きく見ると、おおざっぱに北に向かっている。同じ方向のように見えるけれど、個々には北北西、あるひとは北北東、あるひとは北西ぐらには違っている。

本を書くことと社会を読むことは大きくひとつの活動と括ることができる。社会を読み替えて書き変えることが表現で、それをカタチにした本が作品で、それを届けるところまでの導線をつくることが仕事だ。そうやって社会を変えてみたい。そのために本を書く。社会はひとつではない。ひとの数だけ増殖すればいい。その多様性に自然が持つ豊かさがある。

つくった本「廃墟と荒地の楽園」(B6判/P186/モノクロ・カラー)を世の中にと届けてくれる編集者を探して、可能性がゼロではないところに連絡を取り始めた。20人がNOと言ってもひとりYESと答えてくれれば、そこに道が拓ける。そうやって自分の社会をつくってきた。