いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

生活芸術というライフスタイル。

生活をつくるアートという理想を描いて実践してきた。ここ数年は「生活芸術家です」と名乗っている。最近はどんなことをしていますか、と質問されれば「イメージしたことを白いカンヴァスに描くように理想の暮らしを作っています。つまり、現実を制作するというアート活動をしています。具体的には景観を作っています。大きな庭のようなランドスケープアートをつくっています」と答えている。

芸術とは問いだ。何が芸術なのか問いかけ、それに対する答えを表現する。ぼくは生活を美しくすることが芸術だと答える。油絵を追求するひと、日本画、彫刻、ダンス、映画、形態はなんでもよくて、答えは一発で正解が出るようなものではなく答えを提出し続ける。人生というものに完成がないように芸術にも完成はないから、人が死んで終わるように芸術も死ぬその時まで答えを出し続けることになる。だから生きるための芸術とは死ぬまでの芸術でもある。常に通過地点。

生活をつくる芸術は社会彫刻だ。ヨーゼフボイスが唱えたコンセプト「社会彫刻」は具体的になんだったのかよく分からないけれど、この言葉をヒントに導きだれたイメージがあった。もし、ひとりひとりの人生を芸術作品のように作ることが出来るなら。まずは表現に長けている芸術家が実践したらいい。例えば、芸術表現がそれぞれのフォーマット上でのみ完結しているだけなら、それは社会に与える影響は少ない。日本画のための日本画。油絵のための油絵。木彫のための木彫。もちろんその道の成功者として突破する可能性はある。それでは競争原理が働き脱落者は実践できなくなってしまう。そういう芸術ではなく、誰もが参加できるやり方が必要だ。

だからこう考えた。作家の生き方と芸術表現の間に何らかの影響関係があるのだとするなら、それは社会を変える可能性がある。なぜなら、植物が大地から養分をすいあげ芽を出し成長するように、作家もその時代の社会からイメージをくみ取り表現している。だとすれば、その作家が置かれている環境自体が作品の土壌になる。生活芸術とはその土壌を改良したり改善して作品を生み出そうとする態度のことだ。作品が生み出される生活環境と作品のサステナビリティを構築する。それは社会という大きなスケールではなく、自分の周りの小さな世界を作り変える活動のことで、今いる場所の環境を変えていくことになる。だから日々の芸術、即ち生活の芸術であり、生活をつくることは誰にでもできるから、すべての人が芸術家になる。

ぼくは妻と二人で作品を制作する。ひとりではなく二人。最小限のコミュニティーに発現するクリエイティブであり、家族というユニットが目の前の現実を変えていく表現活動でもある。だから妄想や空想ではなく、ぼくら夫婦はライフスタイルをつくりながら社会を彫刻する。生き方の可能性を開拓する。二人は抽象的なイメージを言葉以上の何かでコミュニケーションして創作する。

生活の芸術は、経済の流れを変える。一日の選択の積み重ねが生活をつくる。もし、このシンプルな原則に即して行動するなら、ぼくらは社会を彫刻する。何をして何をしないのか。絵を描くときに色を選択すように一日の行動を選択していく。慎重に大胆に。ときに社会に参加し、ときに社会に抵抗し、ときに社会を応援し、ときに社会に奉仕する。社会は白いカンヴァス。社会に利用される前に社会を利用する。そういう立ち位置に自分をロケーションする。これは社会との闘い方だ。どのように間合いを取れば殺されないのか。どのような距離で接すれば生かされるのか。もしくは利用できるのか。

2013年から積み上げてきたライフスタイルの選択が、いま暮らしている環境に結実しようとしている。茨城県北茨城市というまちに理解され受け入れられ、ぼくらは保護されるようにこの土地に自生しはじめている。

廃墟を廃材で改修した家に暮らしている。家賃はゼロ。水は井戸。家のまわりに畑をつくった。畑の見回りをする。ブルーベリーの実がなった。桃の木に実がなった。さくらんぼの木は枯れた。春には山菜が芽吹く。毎日、井戸水の薪風呂に入る。冬は薪ストーブ。おかけで木が集まってくる。薪割をする。トイレはコンポスト。バケツにうんこをする。腐葉土を入れて発酵させる。失敗もある。けれども妻と二人で工夫する暮らしは誰にも迷惑を掛けない。自分の身体を動かして生活環境をつくる。汗を流して働く。余計なお金の出費を減らし、お金を増やすための労働に走らず、生きるために必要な労働にシフトさせ、その代わりに手入る時間でアート作品を制作する。

お金を否定しているわけじゃない。お金に振り回されない、依存しないやり方を模索している。今の社会の中心には貨幣経済がある。自分のためではなく社会に何かを働き掛けたいとき、共通の価値である貨幣が便利に使える。貨幣というチカラを何に投資するのか。自分のお金の使い方が社会を動かしている。

ぼくは作品をつくり販売する。その作品がどのような素材で作られたか。ぼくはどんな環境に生きているのか。作品を通じて伝わる物語が価値となりお金に換算される。ぼくはそのお金を生きるためにアート活動を続けるために投資する。作品をつくる。作品を売る。そのお金で作品を生み出す環境を整える。この循環ができつつある。2013年に夢見た理想の生活は7年後に現実となる。信じること。自分が自分を信じなければ、ほかの誰もその夢を信じることはない。

ぼくは生活をつくっている。ぼくは妻とアート作品をつくっている。これを続けていく。ひとときの快楽や幻想ではなく、この喜びが日常であってほしい。日常が芸術になれば芸術は日々の暮らしそのものになる。どこにも消えてなくならない。

やろう!と思ったことをやる。
それだけで人生をつくることができる。