いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

白と黒をつくる。

白とは紙をつくること。黒とは墨をつくること。生きるための芸術というコンセプトのもと表現を探求してきたその先の展望が見えた。この話の着地点はかなり遠い。それでもアフリカで家を建てて、その経験をもとに空き家を改修して家をつくる技術を習得したことを考えれば、同じように生きるための技術を巡る経験になるだろう。きっとまた旅がはじまる。

ぼくの表現技法の中心にはコラージュがあって、それは素材を使い尽くすことでもある。目的に適った素材を手に入れるだけではなく、目的の素材を入手する経緯で邂逅するそれ以外の偶然もまた素材にするテクニックでもある。自分の今現在の制作環境のなかで炭と楮(こうぞ)に出会っている。炭は、景観をつくっている地域にあった炭窯を再生して炭焼きをやるようになって炭というモノをつくるようになった。炭窯に粘土を入れてオブジェを制作できるようにもなった。これは理想的なサバイバルアートで、身の回りの自然を駆使してつくることができるようになった。つまり何も買う必要もないし、何もゴミになることなくアート作品をつくることができる。その炭の活用方法として墨を思いついた。

人類の歴史での墨は

古代中国の甲骨文に墨書や朱墨の跡が発見されており、の時代に発達した甲骨文字とときを同じくして使用されたと考えられる。紀元前には木炭の粉や石墨(グラファイト黒鉛)の粉を水とで溶いた液が用いられ、代には漆で丸く固めた「墨丸」や硯の類、松を燃やした煤(松煙)が使われるようになる
現存する日本最古の墨書は三重県嬉野町(現在は松阪市)貝蔵遺跡で出土した2世紀末の墨書土器に記されていた「田」という文字(あるいは記号)とされている
wikipediaより

つまり炭の粉もしくは薪ストーブの煙突から採取できる煤に粘度がある液体を混ぜて凝固させれば黒色をつくることができる。古くから使われている膠(にかわ)は、動物の皮や骨、腸や健を煮出してコラーゲンを抽出した接着剤だ。生きるための芸術としては、いつかは膠もつくってみたいけれど、まずは代用品からはじめた方が実現性が高いだろう。いくつかアイディアがあるので試してみたい。

もうひとつの白、紙をつくるは日本の伝統的な紙=和紙をつくることだ。和紙は、楮(こうぞ)からつくられる。楮はクワ科の植物で、蒸して皮を剥いてその繊維を利用して紙をつくる。紙づくりに関しては、いま暮らしている地域に楮が自生しているという話を聞いているだけで、どれが楮なのか未だ判別できないでいる。クワと楮はほぼ見た目は一緒らしく、まずはその違いを学習するところからスタートする。もしくは和紙をつくっている、楮を育てているという人もいるので、その人から教えてもらうという手段もある。いづれにしても紙づくりは長旅になりそうだ。

今回の企みのヒントは「宮本常一講演選集 1民衆の生活文化」の付録になっている冊子に寄稿された田中優子氏(法政大学教授)の文章にあった。
古くからヨーロッパは毛皮などの動物性のものを利用したのに対して、日本では植物性のものを利用してきた。つまり人間の衣類を食べ物と切り離してはならないし、それは道具と住まいとも、素材においても同根なのである。人間は本来、自分が生きている自然環境から恵みを得て生きてきた。それを食べてきた。食べ物を栽培あるいは育成するようになったとき、食べられない部分があれば、それを捨てずに着る物や住まいや生活の道具にしてきた。衣食住を同時に育てるのである。

そのあとに続く文章のなかに「日本でも蓮の茎の繊維を使ったことがあり、ミャンマーでは現在でも蓮の茎で布を織るが、その起源はエジプトにある」

「紙と木も同じ道具として理解されている。使い棄てるものは木簡に書き、繰り返し使うものは紙に書いたという。紙の素材は江戸時代になると楮やミツマタや雁皮だが古代では麻や布ボロや竹、ヒサギや梶の木や檀(まゆみ)も材料だったという。竹紙はラオスで作っているが、日本にはもうほとんどない。竹を何年も寝かし、繊維が分離してから漉くので時間がかかるのだ」

ぼくは蓮を育てた。その茎の利用はまったく思いつかなかったけれど、人類はそのすべてを自然を利用してものをつくってきた。いま現在ぼくが活動している里山というフィールドには、そのすべてが揃っていると考えられる。紙をつくり、墨をつくり、白と黒で作品をつくる。版画や墨絵、そのほかにもきっとあるだろう。