いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

老いをデザインするために。

誰もが歳を取る。ぼくは今年で47歳になる。仕事は芸術家。北茨城市集落支援員として景観をつくっている。これをランドスケープアートとして取り組んでいる。

いわゆる限界集落(高齢化により消滅するかもしれない地域)に暮らしてる。だから周りはお年寄りばかり。70代、80代。廃墟を改修して家をつくるとき、お年寄りが遊びに来れる場所にしたいと思った。だから鍵なんてなくて、いつも開かれていて気兼ねしない土間を作った。

家をつくって住み始めて2年目になった。数日前ついに、人に会うのを面倒に感じてしまった。というのも朝から夕方まで誰かしら訪ねて来る。朝は8時から来る。夕方に来た人は19時ころまでいる。一日に2回来る人もいる。

お喋りをしていられない気分だった。絵を描いたり文章を書いたり本を読んだり自分の時間を持てなかった。だから午後は買い物に行くと言って、海に向かった。風がある日だったからサーフィンはできないけれど、それでも海を眺めたかった。

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海にはサーファーの友達が偶然いた。海を見ながら「毎日お年寄りが来て、同じ話ばっかりで疲れた」と愚痴をこぼした。そう話ながら(でもその状況をつくったのは自分だよな)と思った。だから「でも自分で好きでそうしているんだけどね」と付け加えた。そうやって言葉にしたら楽になった。

家に帰った。その日は誰も来なかった。

次の日になってまた日常がはじまった。

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炭を焼くための薪をづくりをした。師匠と呼べる有賀さん74歳と平さん76歳と。景観をつくるために伐採した木があって両手で抱えられないほどの大木で、その木をチェンソーで切って、斧で割って薪をつくる労働。15分もやればうっすら汗が出る。有賀さんは炭焼きのやり方をすべて教えてくれている。47歳の自分ですら重労働なのに「有賀さんはどうしてそんなに体力があるのか」と聞いてみた。「剣道やって柔道やってサッカーやってマラソンやって。身体を動かすのが好きなんだ」と言った。

ここ最近は朝6時には起きて、文章を書いたり、サーフィンに行ったり、ストレッチしたり、一日の計画を立てたり、誰かがくる前にその日をはじめている。

昨晩読んだ本「職人のむかしばなし」に「仕事は骨惜しみしないで身体を使わなくちゃいけない。仕事ってものは嫌々やると余計つらいが自分から積極的にやって、そいつを習慣にして毎朝やれば案外楽しめるし、また楽しみをみつけることができる」と書いてあった。

目標がある。70歳になっても炭焼きができる健康と体力を持っていたい。その頃まで妻と絵を描き、文章を書いて思考を続けていれば、そこには何かしらの収穫がきっとある。1日はそこへ至るまでの1歩だ。8395歩で70歳。今日も一日生きる。明日も。

お年寄りと書いたけれど、むしろ父や母の年齢に近い。まるでたくさんの父と母が、ぼくたち夫婦を心配してくれ気にかけてくれている。ぼくがその年齢になったとき、ぼくは同じように次の世代をサポートできているのだろうか。疲れる日もあるけれど、この地域で出会うお年寄りに感謝している。80歳までは、いまの活動を続ける勇気を貰った。

 

追記:

もしこれを読んだとしても気にしないで訪ねて来てくださいね。