生活にリズムがある。朝起きて、今日は波を見にいった。荒れていたけど、サーフィンできそうだったのでボードを取りに戻って1時間くらい海で遊んだ。
サーフィンは全然できない。やってるとは人に言えない。去年はじめたばかりだし、まあ上手くはなりたいと思っているけれど。それでも競争ではないし、楽しいことが喜びだし、何より朝からスポーツをすることに意味がある。なぜか朝海に入ってサーフィンをすると全身がエネルギーに満ちる。たぶん、体幹が鍛えられるし、パドリングで上半身のエクササイズになるんだと思う。あとやると決めたことを実行する気持ち良さがある。
朝サーフィンをやって、山のアトリエに行く。この海と山のバランスがまた北茨城の魅力。アトリエに着いてすぐ、チェンソーで冬用の薪を切ってから、廃墟の片付けをする。廃墟には30kgほどのブロックがあって、瓦礫の山から下ろしては、別の場所に並べている。
瓦礫の山が問題だ。瓦礫のなかに産業廃棄物が混ざっていて、産廃は軽トラ一杯で15000円。払いたくない。ぼくらにとっては、この問題は、アートだったりする。どうしようもない空間に価値を創造すること。だから、ブロックを運ぶのはトレーニングジムにいるみたいなことだ、と思うことにしている。朝のサーフィンからブロック運びで気持ちいい汗をかく。
この廃墟を綺麗にすれば空間が生まれる。心地よいスペースがあれば、人間は集まってくる。何かしたいと考える。想像力を刺激するのもアートの仕事だ。ぼくは、誰かの想像力が跳ね上がる水準まで、この場所をつくり続けよう。行動を作品にするために、今日はチフミと交互に動画を撮影した。記録すれば、それは作品になる。していることをアートに変換できれば、どんなことも有意義な活動になる。1円にもならなくても。
昼前に北茨城市の職員の方々が様子を見に来てくれた。北茨城市は、ぼくらの活動を応援してくれ、やりたいことを全力でやらせてくれる。この廃墟再生にもチカラを貸してもらっている。
お昼は、庭から採った大葉とネギにうどん。つゆは、去年庭で採れた柚子を絞ったポン酢。身の回りから食べ物を得られるのは、シンプルで豊かな暮らしだと思う。死ぬ恐れから距離を保てる。誰かに安心や安全を保障してもらう必要もないから、広告に騙されなくなる。
午後は、アトリエの近くの山を登ってみた。古民家の家主だった有賀さんが、山の上から海が見えると教えてくれたことがあったので、確かめてみたかった。
山の上までは20分ほど。もっと近かったかもしれない。頂上に着くと、木が鬱蒼としていて、遠くを見通すことができなかった。少し下ると、ほんのわずか木の隙間から波止場が見えるようだった。たぶん、大津港が見えていた。もし、海が見える山にするなら、かなり木を切って、見晴らしをよくする必要がある。そんなことをする必要があるのかよく考えた方がいい、と山を下りながら独り言を口にしてた。
山を下りて歩いていると、炭焼き小屋があるのを思い出して、寄っていくことにした。小屋を覗いてみると、窯は崩壊していた。けれど小屋の周りには、炭の材料になる木や、道具を収納する小屋があった。もし使えるなら、ここを陶芸の窯に再生したいと思った。木と水と土と火でつくられる陶器は、自然を駆使した究極の生活芸術品だと思う。
今年の春に滞在したバリ島では、天然の粘土に出会ったけれど、日本ではまだ遭遇してない。
メモ:粘土を身の回りでみつけたい。
炭焼き小屋をチェックしたあと、廃墟に戻って、片付けしてるチフミと合流して、少し作業を続けて、ゴミを車に積んで、ゴミ処理場に持っていった。
ゴミ。廃棄物。とてつもなく厄介な問題。ぼくたちは、何の罪の意識もなくゴミを大量に生産している。しかも、その処理についてはなんら問題の意識もない。何を買うのか、買わないのか、その選択ひとつが社会に与える影響は小さいけれど、積み重ねれば、とても大きな影響を与える。
想像して欲しい。例えば、一万人がペットボトルを買わなくなったら。ペットボトルの商品が売れなくなれば、企業は新たに売れるものを考えるだろう。
政治も同じだ。ぼくたちが黙っているから、直接何も言わないから、政治家は努力しなくなる。
人間は怠け者だ。だから生活にリズムが必要なんだ。朝昼晩。じゃない。早朝、朝、午前中、昼、午後、夕方、夜、深夜。同じ1日でもリズムを変えてみれば、これだけある。その1日のなかに、自分が楽しくなることを少しでもやれば、やっぱり、それも積み重なって、人生が豊かになる。1日をリズムにして、楽しいことがハーモニーを奏でる。1日を磨けば、ダイヤモンドにもなる。誰もが同じ24時間を持っていて可能性に溢れている。何かをはじめるに遅いことはない。