いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

毎日違う今日。一日減って、一日増える。

日常とは意味もなく過ぎていく退屈なものだろうか。今日も明日も明後日も変わりない、同じような日々の繰り返し。しかしどうして、それなら、違う毎日に変えないのか。

朝目覚めて「何からはじめようか」と楽しみに溢れた一日にすることもできる、はずだ。それが自由だろう。けれども、そんな朝は、一般的に考えられる日常とは違う。

ぼくは新しい日常をつくっている。これはぼくが創作した日常についての記録。これは空想の日常ではなく、自分が現実に生きる日々を作るドキュメントだ。目の前の景色を変えること。これは誰もができる表現技法。すべての人が自分の人生をつくる自由を持っているはずだ。

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昨日は朝から森に入って木を伐る約束だった。いま炭焼きの師匠たちと休耕田を埋めた広場に休憩小屋を作っている。コールタールが塗られたむかしの電柱を柱にして、山に生えている木を伐採して梁にする計画だ。

師匠のひとり有賀さんは72歳なのにぼくよりも体力がある。この日も山に入って、手ごろな木を選んでチェンソーで倒して、5m、4mの長さに切った。それを担いで山から降ろす。距離は数十メートルだけど、担ぐと木の重さが全身に載ってくる。全部で6本。木を降ろして軽トラックに積んで、小屋の建設現場まで運んだ。単管でまだ柱だけしかない小屋の周りを囲んで足場を作った。そのあと伐採した木の皮を剥いた。これで午前中は終了。

この仕事を気に入っている。つまり限界集落の景観をつくるこの仕事は、集落支援員という肩書で行政から受託されている。冬は炭焼き、夏は草刈り、桜の面倒を見ること、ときにこの地域でイベントをやったりもする。古民家を改修したギャラリーとアトリエの管理人、ひとつひとつに依頼があるわけではなく、自発的に生まれた活動を継続することが集落支援になっている。

ぼくは芸術家になるまで、納得して仕事をしたことがなかった。いつも誰かに命令されて、その指令になぜ従う必要があるのか、納得できなかった。ただ漠然と働きお金を稼ぎ消費する。それが息をするように当たり前としてこの社会に蔓延している。

だからいつも別のところに自分の仕事があるような気がして、趣味と称してお金にもならないことを懸命にやっていた。いつか漠然とした社会の要求から脱出するために。

たぶん、はじまりは音楽だった。パンクロックが漠然と要求する社会への抵抗の仕方、そのコトバ、気持ちを教えてくれた。高校生になってバンドをはじめた。sex pistols, clash, ramonesの曲をベースを弾きながら歌った。次第に音楽を掘るようになった。聴いたことのないような音楽を求めて、20代の頃はノイズやハードコアのバンドをやった。

週末はライブハウスに遊びに行ったり、スタジオで練習していた。だから雇ってもらるバイトも少なかった。あるのはコンビニか日雇いの建築現場だった。10代の頃は建築現場のバイトをよくしていた。朝から夕方まで肉体労働だった。嫌ではなかったけれど、将来これしか仕事がないか思うと不安でいっぱいになった。

20代になるとライブハウスやクラブから音楽の場は野外へと移った。いま数あるフェスティバルの原型だった。レイヴとも呼ばれていた。森の中に聳えるスピーカー。その爆音に感動した。痙攣するように踊った。何もないところにスピーカーやサウンドシステムを運んでイベントをやるその行為自体に感動した。だから音を出している人たちに近づいた。P.A.やオーガナイザー。そこで出会った大人たちがアルバイトさせてくるようになった。スピーカーや機材を運んだ。運動会テントを設営した。駐車場の誘導をやった。どれも肉体労働だった。

10代のとき建築現場の仕事しかなくて絶望的な気持ちになったけれど、今思うと、体を使って汗をかいて働くの好きなんだ。けれども世間体とか、かっこ悪いとか、そんなことを気にして自分に合った仕事に出会っていたのに遠回りしたのかもしれない。もちろん遠回りしてよかった。漠然と要求される労働からは解放されている。今は。この先のことは分からない。

今日は曇り。そろそろ舟づくりに集中したい。朝から木工室で作業した。ぼくは舟をつくるために約9年、その環境を整えてきた。まるで脱獄するようにひとつひとつ条件を揃えてきた。木工の技術を手に入れるために、空き家を改修した。自分のライフスタイルをつくる目的もあったけれど、舟をつくる技術を手に入れるために。それから海のある街に引っ越した。北茨城市が芸術家の移住者を募集しているのを知って応募したのがきっかけだった。築150年の古民家に出会って、そこをアトリエ兼ギャラリーにした。おかげで農小屋を木工室にして、木材や道具が揃っている。時は満ちた。

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北茨城の海は、太平洋に面しているから波が荒い。数年前に作ったカヌーを持っているのだけれど、太平洋の荒波には適わなかった。波に飲まれて沈んでしまった。だからサーフィンをはじめてみた。3年目になる。おかげで海についての知識を手に入れた。

ぼくは何かを表現したい。つくりたい。それは絵だったり、彫刻だったり、陶芸だったり、家だったり、舟だったり。自分の閃きに素直に自分を動かしたい。漠然とした社会からの要求がなくなったら、進む先を決めるのは自分しかない。進む先がはっきり見えなくても、方向さえ見えれば、いつか景色は開ける。やりたいことがあるのに、誰かと比較して諦めるなんてことはしないで、チャンスを狙いつつ継続する。いまは舟をつくっている。

ぼくは人生をつくっている。生まれて与えられた24時間、その自由をやり繰りして。一日とは毎日が特別な一日だ。もう二度とこない。妻と過ごす時間も戻ってこない。この今も。

「一日減って一日増える」作家セリーヌの言葉。生きられる時間が一日減って、生きた時間が一日増えるという意味だ。