いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

モノの役割。役を読み換えて世界を演じさせる。

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夜寝て、朝目を覚ます。今朝は、霜がおりていた。いよいよ冬になった。世界は変わっていく。小さなことも大きなことも。

昨日の夜、種から育てているマンゴーの苗木を家の中へ入れた。もし出しっぱなしだったら枯れていただろう。夜と朝の間に、死と生があった。

寒くなったので、コーヒーを淹れて、薪ストーブに火をつけて、チフミが作ったスイートポテトを食べた。そしてこれを書いている。

昨日、誰かの言葉に「調子が良くないと文章が書けないし、誰からも気にされてなければ文章を書く意味がないと思ってしまうけれど、調子が悪いときだから書くべき言葉もあるし、気にされてない時期だからこそ、書く言葉がある」とあった。

作品集のために自分たちの活動を振り返って文章を書いている。それほど注目されてもいないから、誰かが文章を寄せてくれることもないので、自分で書いている。自分を記述することは、自分をつくることでもある。過去から未来へ編み直すことができる。

昨日は、窯づくりをした。田んぼの側溝に溜まった土を掘り出して運んで、石とコンクリートの廃棄物を積んで、窯の基礎した。土を運んでは基礎に塗って窯は完成した。これは作品。最新作。身の回りのモノを駆使してつくるサバイバルアート。または、生活芸術。ここから土器を作ろうとしている。

井戸を掘って粘土をみつけたのがきっかけだ。身の回りのモノで、何とかしようとするとき、きっと人類は長いことこうやって生き延びてきたんだろうな、と感じる。何かを買って、それを消費することだけでは、人間が発達させてきた能力の一部を失っていくと思う。

身の回りのモノの役割を読み換えるとき、世界を作り直すことができる。モノたちにも役割を演じさせることができる。

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畑の側溝の泥は、窯の素材になる。その泥にはかつて炭鉱だったから石炭が混ざっている。枯れ草や根が混ざっている。きっとそのことが強度を増してくれる。すべては役者だ。

井戸を掘って出てきた粘土は、捨てるモノではなく、窯をつくる閃き、土器作りから人間をやり直してみるプロジェクトがはじまるきっかけを演じた。

このモノたちの演技は、ぼくの世界だけで演じられている。けれども、作品としてカタチになったとき、それが魔法のように、何かを伝えることができる。

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