いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

今日という一日。たくさんの出来事が織り成して、次への足場をつくる<前編>

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陶芸の師匠のところに遊びにいく約束だった。窯をつくったら「いろいろ教えたいことがあるから」と声を掛けてくれた。北茨城市に暮らす陶芸家の真木さんは、3年前、弟子にしようと言ってくれた。でも陶芸がやりたい訳ではないのでほんの少しだけ教えてもらっただけになっていた。

真木さんの家に行く前に、サーフボードを持って海に寄った。11月なのに暖かい気候だった。家ではマンゴーが育っている。

北茨城市は太平洋に面しているから、サーフィンスポットがいくつかある。バリ島でサーフィンを教えてくれたツトムにこの土地のスポットのことを話したら川が流れ込んでいる場所がいいと教えてくれた。国道6号沿いにある老舗旅館「としまや」の天妃山の河口はまさにそんなロケーションだった。海を見ようとクルマを降りると「いしわたさん」声を掛けられた。

前回の個展で絵を買ってくれた金物屋の山名さんだった。
「社長を紹介しますよ」と「としまや」の社長に画家だと紹介してくれた。

社長は絵が大好きだと言って「としまや」に飾ってある絵をすべて、解説付きで案内して周ってくれた。北茨城市の風景、海、里山、いま暮らしている揚枝方の絵もあった。作品たちはいろんな理由で集まっていた。なかには、大き過ぎて飾る場所がないという理由で運ばれてきたとても素晴らしい日本画もあった。

ここにある絵はすべて生きていた。飾られ鑑賞され、老舗旅館の空気をつくっていた。

旅館をあとにして波を見たらベストなコンディションだった。真木さんに訪問は午後になると予定変更の連絡をして、ウェットスーツに着替えて、海へ入った。ほんとうに暖かい。

波を遠くから眺めると、とても簡単そうに思えるけれど、身体で波を捉えるのは難しい。最高のコンディションでも乗れたのは数回だった。体力も使い果たしたので、お昼過ぎに真木さん宅に向かった。

真木さんは亀仙人のような外見でぼくの母の一歳下だと言っていたので75歳。今年の春、祖母の葬儀会場の目の前で、真木さんが個展をやっているという奇跡の遭遇で、母は真木さんの陶芸作品を買っている。

真木さんは7年前まで南米のベルリーズに住んでいた。陶芸家として成功した時期もあった。つくれば飛ぶように売れたそうだ。けれども、それにも飽きて南米のジャングルで暮らしていた。カナダ人の奥さんと再婚していたけれど、離婚して日本に戻ってきた。
「ほんとうに何度か修羅場を経験したよ。けれど人間ってのは修羅場にいるときはそうだと気が付かないんだよな。だから頑張りがきくんだけどな。この6年間はほんとに平穏だよ」と言う。

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そんな真木さんもSNSをやっていて、テレビのニュースも重なって、不満や怒りが溜まっている。たまに遊びにいくとそんな話で半日が過ぎてしまう。だから、海に誘って一緒にお弁当を買って海を眺めながら食べた。

いま読んでいる本に「していること、見たこと、聴いたこと、体験したことが、本人の意思とは無関係に蓄積されていく。その積み重なりのなかから言葉が発せられる」こう書いてある。だから海を眺めればSNSを見るよりずっといいと思った。

真木さんは、ぼくのつくった窯にアドバイスをくれた。
「自然の素材でつくる窯は、温めるのにすごいエネルギーを消費する。とくにコンクリートや石は、冷えるから時間がかかる。だから薪や炭で窯の内側を囲んで焼けば、そのなかは温度が上がりやすい。それから、自然から採取した粘土は自由だから、扱うのが難しい。とくに温度があがるときに割れやすい。窯に入れる前にドラム缶に石を並べて、そこに焼き物を置いて焚火して温めると200度から300度になって、焼き物の色が変わる。そうしたら窯に入れても割れない」

真木さんはもっとアドバイスをしたそうだったので
「ぼくは陶芸がやりたいのではなくて、人類が土器をつくってしまったときを再現したいんですよ。失敗も含めて。最近分かったのですがぼくは言われた通りにやることに興味がないみたいなんです」と言った。

「おう。そうか。それならやってみるといいな」

嫌な感じにもならずにそう言ってくれた。

海から真木さんの家に戻ると来客があったので、帰ろうと思ったら一緒に話しましょうと真木さん宅でお茶をした。30分くらいして「そろそろ帰ります」と言うと、真木さんのお客さんが「お宅を見に行っていいですか」と言った。

クルマで先導して、廃墟を改修したD-HOUSEを見せて、古民家のギャラリー&アトリエ「ARIGATEE」を案内した。お客さんは、絵を見て驚いて、これはなんという技法なんですかと尋ねてきた。「技法は分からないけれどアクリル画です」と答えた。

この瞬間にぼくは大切な仕事をしている。一日ふらふらしていたけれど、お客さんをみつけて誰も来ないような山奥のギャラリーで絵を紹介している。いろいろ興味を持ってくれたけれど驚きが大きくて、目をまるくして帰っていった。絵は売れなかった。

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