いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

土と水と火と風、自然のエレメントから生み出されるアート。

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目標に到達した。土と水と火と風、自然のエレメントだけで作品を作ることに成功した。何も買わずに自然だけを利用して作品をつくることができた。土器だ。と言っても野焼きで素焼きしただけなので、もう一回、窯で焼き締めたい。

モノをつくるとき、そのモノが何処からやってきて何処へいくのか。表現者として向き合いたかった。モノをつくるために社会に無駄を増やしたくなかった。それは2011年の3.11の原発事故以来ずっと考えてきたこと。何をしていてもぼくたちは社会と無関係ではいられない。毎日しているみんなの積み重ねが社会を構築している。だから、自分が目指すアートはできるだけ身の回りのモノをつかうことを心掛けてきた。それでも商品になっている素材を利用した方が作品の質は保証される。自然のモノを使うと質を均一化できないし不測自体が起きる。まだ課題はある。

だとしても、身の回りのモノを使うというのは、ぼくの態度や姿勢でしかなく、作品の質としては、そのモノが語るに任せるしかない。その意味では、やっと鉛筆ができた、それぐらいのことでしかなく、これからどんな絵を描くのかというような、土器でどんなカタチをつくるのかという課題がある。

生活と芸術というテーマでこの数年取り組んできて、つまり生活つくることこそが、ヨーゼフボイスの唱える社会彫刻の実践であって、それをしたらどうなるのか自分で実験してきた。生活すること自体がアートであるような暮らし。理念としては、漠然とイメージできる。ところが生活をつくって、毎日が表現です、となっても、それは生活の中に表現があるだけで、まだ生活が芸術になりました、という地点には到達していない。どうすればそうなるかと考えるに「芸術」という言葉にもう少し踏み込んで検証しないと、生活を芸術だと提示できそうにもないと思った。つまり広い意味の芸術という範疇に生活を入れることができても、目指しているところの現代アートへは侵入させることができない。現代アートであるということの鍵は「展示」にある。これまでしてきた「生活芸術」という取り組みをどう切り取って展示するのか。やっと生活を芸術にインストールする試みができる。

これまで生活のなかにアートを見出してきた。それは当然ながら生活の中にある。環境のなかに根差している。ぼくが暮らしている何もないと言われるような地方の山間部に関わらず「アート」と呼べるような何かをつくることはできた。だから芸術を美術館やギャラリーの外へ連れ出すという点では成功した。その真逆の生活を美術館やギャラリーに忍び込ませるという企みが、やっと始めることができる。

美術館に火を持ち込むことはできない。けれども火に焼かれた土を土器として持ち込むことはできる。工夫すれば、土を美術館に持ち込んで水と混ぜて窯をつくることも可能だろう。

土器を焼いているとき「火を盗んだプロメテウス」という言葉が浮かんだ。具体的に何をしたのか調べてみた。簡単に言うと、プロメテウスはゼウスから火を盗み人間に与えた。怒ったゼウスは、美女パンドラを人間界に送り込み、パンドラの箱を開けてしまった人間に不幸が広まった。箱には希望が残っていた、というストーリーだ。

土器を焼くという企みは6年前から始まっていて、妻チフミの実家の畑に窯をつくらせてもらった。それがはじまりだった。そのときチフミのお父さんやお母さんも手伝ってくれた。その窯の名前が「ゼウスの窯」だった。だから、その続きで、美術館に持ち込めるような窯を試みようと思う。名前は「プロメテウスの窯」。その仕事のあとに残るのは希望。

土器ははじまったばかりだけれど、これまで動物の立体をつくってきたので、それが役に立つ。人間と動物のオブジェをつくっていく。舟も好きだから、サイズを予め設定しておけば、ノアの箱舟もできるかもしれない。生活はつくった。生活は芸術になった。次は生活を美術館やギャラリーに送り届ける挑戦が始まる。