昨日、クルマでラジオをつけたら「この100年間で、もっとも不景気になる可能性」という言葉が飛び出してきた。この100年の間にどれだけの事件やニュースがあったか。それを超えるほどの状況って、、。チフミは「想像もしたくない」と呟いた。
生活芸術家を自称するぼくの仕事は、地域支援員でもある。北茨城市富士ヶ丘の里山、限界集落の再生に取り組んでいる。(また別の機会にこの「地域の再生」という空っぽの言葉にいて書きたいとは思う)
いまは炭窯の再生と、休耕田を蓮の池へと再生している。数日前にレンコンを植えた。ついでに池のような湿地のようなこの場所で米も植えてみることにした。ちょうど田んぼに植えて余った苗があるという人がいたので譲ってもらった。
お米の苗は、あまり特徴がないので、ほかの草と見分けがつかなくなりそうなので、余計な草を取って、池の端の浅いところに植えてみた。ほかにも、水溜りになっているところにも植えてみた。実験している。放置して、どれだけ、どうなるのか。遥かむかしにも、こうした米作りはあったかもしれない。
ところが午後、苗を植えていると、土手で田んぼの持ち主のスミちゃんが怒鳴っている。
「何してんだー!コノヤロウ!そんなところに植えんなー!」
「遊びでやってるから気にしないでー」と言い返すと
「遊びじゃねぇ!クロを塗れ!」
「クロを塗れって言ってんだよ!」
「クロって何ですか?」
「クロを塗れって前から言ってるだろ!」
「分からないんで、いいですよ、遊びだからこのままで」
「そういう話しじゃねんだよー!水が流れないようにクロを塗れって言ってんの!どうして分かんないかな!」
そう言って軽トラックから鍬を持ってきて、泥をすくって高くした。何回か繰り返して、小さな土手を作った。クロとは畦のことだった。80歳のスミちゃんは軽々とやってみせた。
「教えてやっからやってみろ!」
泥をすくって寄せて積んで、寄せて積んで、クロ塗りが始まった。そんなつもりじゃなかったのに、、。「適当にやって楽に収穫するつもりだったんだけとなあ」と呟いたら、苗を植えてる妻に
「ねえ、簡単で楽なことなんてないよ。そろそろ気がついたら」と言われてしまった。
畦をつくるのに泥を積んで、その上に草を根っこから、すくって積み上げると、畦が強くなる。そうすれば、余計な草もなくなる。
はじめてのクロ塗り、これまた全身運動で泥だらけ。スミちゃんが声を張り上げる。
「クロに乗ってやれー!」クロに乗って作業すると、踏まれて低くなって仕事は増えるけれど、畦は強くなる。
2時間くらい、クロ塗りをやって、ある程度カタチが見えたところで雨がポツポツ降ってきて、この日の仕事は仕舞いとなったなった。
まったく予想外の方向から田んぼをやることになった。蓮と米の田んぼ。生態系を生かしたいから、農薬も除草剤も使わない。
スミちゃんは、仕事が終わった後「米なんかもらって来なきゃよかったのに。そうしたらオレに怒鳴られなかったのによ」と言った。
スミちゃんは百姓をやってきた。ここには、百姓をやってきた人の田んぼに対する美術があった。適当に遊んでいるような米作りなんて恥ずかしい。せっかくやるのだから、という思いがある。
スミちゃんに借りた鍬を返したときこう言った。「道具をこんなに泥だらけにしてよ、仕事ってのは綺麗にやるものなんだよ」
先日も炭焼きの泥づくりでも「ガッサガッサ慌しくやるだけで、仕事は捗らないし、見ている方が疲れる」と言われたばっかりだった。これだ。これを探していた。決して嫌味でも文句でもなく教えてくれている。いかに自分の動きに無駄が多いかを。
これこそ、ぼくが探して求めている生きるための芸術だ。生きるための技術。
もし万が一、100年間で最悪の不況が来たとしても、この地域で自然に働きかければ生きていける。日本の田舎には、貨幣経済とはまったく別の原理が働く豊かさがある。お金がなくても生きていける環境を先人たちは作ってきた。それを活かすも殺すも、ぼくたちの時代次第ただ。