いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

日本の炭窯とアフリカ泥の家

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土に水を混ぜて泥をつくる。それを団子に丸めて投げつける。そうやって、炭窯をつくっている。驚いたことに、日本の炭窯づくりは、ザンビアでの泥の家づくりと同じだった。分かったのは、この原始的な行為は、国境も人種も超えたコモンセンスな人間の営みだということ。生きるための技術は、肌の色も言語も飛び越えた人間像を、地方の小さな山の集落の日常に浮かび上がらせてくれた。

50年前に、田舎の若者は、炭窯に潜ってセックスをしたそうだ。大家族で暮らしてプライベートのない狭い世界で、もちろんラブホテルもない。そういえば、炭窯は炭小屋でもある。炭窯は竪穴式住居までの建築のルーツを可視化している。

窯づくりの師匠の有賀さんが子供の頃、炭窯に暮らす、なんど乞食がいた。名前の由来は不明。なんど乞食は肩にいつも猫をのせていた。奇妙な姿をしたなんど乞食は、山の炭窯跡に暮らしていて、捨てられた野菜なんかを食べていた。有賀さんは親に言われて食事を窯に届けたりした。そのとき好奇心から、乞食に冬は寒くないかと質問すると、炭窯でクズ炭を燃やして、土をかけて床を暖めて寝ていると教えてくれた。なんど乞食は、食料の配給を受ける代わりに地域の畑をよそ者から守っていたらしい。なんど乞食には戸籍すらなかった。そんな時代が、そう遠くない数十年前にここにあった。

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茨城県北茨城市。なんてことはない地方のひとつ。東京からクルマで3時間。高速の出口から30分、山側の集落。山に囲まれた11世帯ほどの小さな集落。コロナウィルス以来、この小さな世界にフォーカスしている。自然に抱かれた、この小さな世界は、フォーカスするほどに解像度を高め豊かに広がっていく。自然は触れて観察するほどに意味を開花させる。

いつも水が引かない湿地になった休耕田が炭窯から見えている。水が引かないから、沼や池のようで、何かを植えたら美しいな、と想像した。ここに蓮の花が咲いたら美しいと思った。イメージをカタチにする。行動する。現実の目の前を美しくする。ぼくはどんな芸術作品よりも、この美しさに比類するものはないと思う。今は。さっそく土地の持ち主に蓮の花を咲かせてレンコンを収穫したいと相談したら、快く了解してくれた。持ち主はいつも土地を提供してくれるスミちゃん。スミちゃんは、ぼくら夫婦のパトロンだと言える。スミちゃんに話を聞くと、かつても休耕田に蓮を植えてレンコンを収穫したらしい。

湿地になっている田んぼの水が引かないのは、清水が湧いているからだった。つまり、ここは天然の池だった。清水が湧くところにはクレソンが繁っている。有賀さんに貰った葉ワサビも植えてみた。

何もない田舎。何もないを観察していくと何があるのか、真っ黒な訳でも真っ白な訳でもなく、たくさんの生命に溢れている。現代社会が、それを何もないと形容するのなら、その価値観は壊れている。何も見えていない。

スミちゃんが、レンコンを植えるならいま自生している蒲(がま)を抜いた方がいいと教えてくれた。さっそく蒲を抜きに田んぼに足を踏み入れた。木工作家の平さんも手伝いに来てくれ、妻チフミと三人で環境整備して、ついにレンコンを植えた。荒れた休耕田は、蓮の池になった。翌日、炭窯をつくるときに池の様子を見たら鴨が泳いでいた。

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夕方は、この小さな世界を桃源郷にするための協議会が開かれた。参加するのは地域の人々。市役所の職員、市長。15名ほど。

北茨城市で生活芸術を実践してきた結果、地域の人たちと、この地域を舞台に「芸術のまちづくり」をすることになった。これは、ぼくの理想郷でもある。自然に働きかけ、景観をつくる気の長いプロジェクトが動きはじめている。

筆の代わりに草刈り機やチェンソー、スコップやクワや鎌を使って景観をつくる。花や木を植える。

市長はこう言ってくれた。

「石渡さんが、揚枝方で芸術を実践して、この地域に定住してくれたから、芸術によるまちづくりが実現した。遠慮なく石渡さんがつくりたいモノを作ってください」

ぼくがいま作りたいのは、景観。巨大な庭でもある。自然環境を利用したアート。これを何と呼ぶのか分からない。ランドスケープアートだろうか。

炭窯づくりをしたおかげで、蓮の池が生まれた。している目的とは違うモノが生まれるのが偶然からの必然。それは発見。炭窯づくり、アフリカの泥の家、モロッコのパン窯、陶芸、野菜づくり、どれも土を扱う。土が素材として提示された。

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ロッコのパン窯は、ピザ窯でもある。原理は同じこと。ピザ窯をつくろうと考えてネットを検索すると、やり方がみつかる。ほとんどは材料を買ってきて誰かのやり方の参照を繰り返して似たやり方が並んでいる。そうではなくて、もともとは、どうやって焼いていたのか。身の回りのモノを動員して焼かれていた。そうやって遡って原点回帰して、やり方の原点に触れたとき、生きるための芸術が姿をあらわにする。それは不恰好で、スマートではなく汗をかくような自然への働きかけによって、やっと手にすることができる。

陶芸もきっと同じだ。いまは、やり方は洗練され、こうやらなければならない、と決まっている。ぼくはその外側を探究してみたい。土を採取して、水を混ぜて泥をつくり、窯をつくり、火と風で、火、水、土、風のエレメントで素朴な焼き物をつくりたい。岐阜県の中津川で穴窯を実験したことがある。バリ島で天然の粘土をみつけて素焼きしたことがある。この流れを継続してみたい。

 

炭窯をつくるとき教えてもらった。

「ノリオくんは、ガッツガッツ、チカラばっかり入ってて、それじゃすぐにくたばっちまう。急がずゆっくり、チカラを入れずにやるんだよ。あんたがガッツガッツすると、周りが煽られて、見てる方も疲れてしまう」

昨日、夕方、クルマの調子が悪くなって異音がするようになった。クルマを修理するために預けるのもいいかも、と思った。もしクルマなしになっても、それはそれで面白い。歩ける範囲の小さな世界で生きればいい。

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