いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

行動日記ー自分がしたことに今現在があらわれる。

2020年10月16日(金)
朝起きてパンとコーヒーを食べた。そのあとストレッチ。手足の先まで伸ばす。最近は姿勢をつくるために座禅している。身体と向き合うのが課題。腹筋と腕立てをする。今日の草刈りに備えて道具の手入れをする。草刈りの歯を交換する。9時。市役所勤務の地域住人が集合。耕作放棄地を整備して菜の花の種を蒔く準備をする。6月に草刈りしてそのままになっていたところはセイタカアワダチソウが伸びている。田舎は放っておくと草に覆われる。草をまめに刈っておくと美しい。どこもが庭のようになるだろうけどそんな時間はない。(時間がないとはどういうことか)

草を刈っていると夢中になって、植樹した桜の苗まで切ってしまいそうになる。桜の苗をみつけては絡まった蔦を取り除く。次第に救出している気分になる。待っていろ。いま助けにいく。そうやって草を刈ってたどり着いた苗のいくつかは折られてしまっていた。少しずつ桜を育てることに親しんできている。植木屋でも造園屋でもないから、経験しながら理解する。

お昼は廃墟の家の倉庫にテーブルを並べてお弁当を食べた。市役所のひとたちと耕作放棄地がどうなっていくのか話した。60代より下の世代は畑や田んぼに興味がない。北茨城市は、専業農家ではなく本業を持って、食べ物をつくっている家が多い。そういう生き方が、これから価値を持っていくことになるだろうけれど、今は失われていく状況にある。過渡期にある。だからいま目の前のことを記録している。実は過去でも未来でも考えたことでもなく、一日のなかでしたこと(行動したこと)に価値がある。

午後も引き続き草刈り。廃墟の家の前から炭窯まで道をつくる計画がある。その道をどう通すのか相談した。ひとつは木を伐採して歩きやすい道をつくり、ひとつは桜を植樹した小さな丘を越えて炭窯へ至る道。春になると廃墟の家から炭窯までの途中に菜の花が黄色のカーペットのように咲く計画。丘を越える道は自分でつくることになった。

夕方草刈りが終わって、街まで買い物へ。クルマで20分。週に一回か二回買い物をしている。なんだかんだ、食べ物や飲み物の差し入れがあって買い物が少なくて有難い。

帰宅して薪風呂を沸かした。ここ数日は温度が引くかったので多目に薪を入れた。風呂を沸かしているあいだ、チフミは夕飯をつくってくれた。スーパーで買ってきた豚肉を、近所から貰ったナスと炒めた。毎日料理してくれる。自分はほとんどやらない。たまに洗い物ぐらいする。

夜は音楽が聴きたくてずっとプレイリストをつくった。60年代のホームパーティーというコンセプトで選曲して、歌詞を調べながら聴いた。50年代のロックンロールのコレクションから聴き直して、新しいのやらいろんな派生した音楽を並べた。ロックンロールやR&Bが海を越え世界中に拡散した。なかでもカリブの音楽は、ローカルの音楽と融合して、スカやレゲエを生み出した。

音楽がキノコとの類似性を辞書で隣にあるmusicとmushroomから導き出したジョンケージは無音を演奏する曲を作った。ケージのその発想は、鈴木大拙が西洋に紹介した禅からインスパイアされたと語っている。

ぼくのルーツはここにある。音楽を聴き漁っていく行為のなかに、未だ知らない音を求めていくうちにジョンケージを知り、それが禅やマルセルデュシャンの便器へと繋がって、興味は芸術へと広がった。まるで川を下っていくと海に出たように世界が広がった。

だから音楽を聴く作業は、未だ言葉にできないけれど、その行為のなかに自分を作ってきた核がある。