いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

毎日違う今日。一日減って、一日増える。

日常とは意味もなく過ぎていく退屈なものだろうか。今日も明日も明後日も変わりない、同じような日々の繰り返し。しかしどうして、それなら、違う毎日に変えないのか。

朝目覚めて「何からはじめようか」と楽しみに溢れた一日にすることもできる、はずだ。それが自由だろう。けれども、そんな朝は、一般的に考えられる日常とは違う。

ぼくは新しい日常をつくっている。これはぼくが創作した日常についての記録。これは空想の日常ではなく、自分が現実に生きる日々を作るドキュメントだ。目の前の景色を変えること。これは誰もができる表現技法。すべての人が自分の人生をつくる自由を持っているはずだ。

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昨日は朝から森に入って木を伐る約束だった。いま炭焼きの師匠たちと休耕田を埋めた広場に休憩小屋を作っている。コールタールが塗られたむかしの電柱を柱にして、山に生えている木を伐採して梁にする計画だ。

師匠のひとり有賀さんは72歳なのにぼくよりも体力がある。この日も山に入って、手ごろな木を選んでチェンソーで倒して、5m、4mの長さに切った。それを担いで山から降ろす。距離は数十メートルだけど、担ぐと木の重さが全身に載ってくる。全部で6本。木を降ろして軽トラックに積んで、小屋の建設現場まで運んだ。単管でまだ柱だけしかない小屋の周りを囲んで足場を作った。そのあと伐採した木の皮を剥いた。これで午前中は終了。

この仕事を気に入っている。つまり限界集落の景観をつくるこの仕事は、集落支援員という肩書で行政から受託されている。冬は炭焼き、夏は草刈り、桜の面倒を見ること、ときにこの地域でイベントをやったりもする。古民家を改修したギャラリーとアトリエの管理人、ひとつひとつに依頼があるわけではなく、自発的に生まれた活動を継続することが集落支援になっている。

ぼくは芸術家になるまで、納得して仕事をしたことがなかった。いつも誰かに命令されて、その指令になぜ従う必要があるのか、納得できなかった。ただ漠然と働きお金を稼ぎ消費する。それが息をするように当たり前としてこの社会に蔓延している。

だからいつも別のところに自分の仕事があるような気がして、趣味と称してお金にもならないことを懸命にやっていた。いつか漠然とした社会の要求から脱出するために。

たぶん、はじまりは音楽だった。パンクロックが漠然と要求する社会への抵抗の仕方、そのコトバ、気持ちを教えてくれた。高校生になってバンドをはじめた。sex pistols, clash, ramonesの曲をベースを弾きながら歌った。次第に音楽を掘るようになった。聴いたことのないような音楽を求めて、20代の頃はノイズやハードコアのバンドをやった。

週末はライブハウスに遊びに行ったり、スタジオで練習していた。だから雇ってもらるバイトも少なかった。あるのはコンビニか日雇いの建築現場だった。10代の頃は建築現場のバイトをよくしていた。朝から夕方まで肉体労働だった。嫌ではなかったけれど、将来これしか仕事がないか思うと不安でいっぱいになった。

20代になるとライブハウスやクラブから音楽の場は野外へと移った。いま数あるフェスティバルの原型だった。レイヴとも呼ばれていた。森の中に聳えるスピーカー。その爆音に感動した。痙攣するように踊った。何もないところにスピーカーやサウンドシステムを運んでイベントをやるその行為自体に感動した。だから音を出している人たちに近づいた。P.A.やオーガナイザー。そこで出会った大人たちがアルバイトさせてくるようになった。スピーカーや機材を運んだ。運動会テントを設営した。駐車場の誘導をやった。どれも肉体労働だった。

10代のとき建築現場の仕事しかなくて絶望的な気持ちになったけれど、今思うと、体を使って汗をかいて働くの好きなんだ。けれども世間体とか、かっこ悪いとか、そんなことを気にして自分に合った仕事に出会っていたのに遠回りしたのかもしれない。もちろん遠回りしてよかった。漠然と要求される労働からは解放されている。今は。この先のことは分からない。

今日は曇り。そろそろ舟づくりに集中したい。朝から木工室で作業した。ぼくは舟をつくるために約9年、その環境を整えてきた。まるで脱獄するようにひとつひとつ条件を揃えてきた。木工の技術を手に入れるために、空き家を改修した。自分のライフスタイルをつくる目的もあったけれど、舟をつくる技術を手に入れるために。それから海のある街に引っ越した。北茨城市が芸術家の移住者を募集しているのを知って応募したのがきっかけだった。築150年の古民家に出会って、そこをアトリエ兼ギャラリーにした。おかげで農小屋を木工室にして、木材や道具が揃っている。時は満ちた。

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北茨城の海は、太平洋に面しているから波が荒い。数年前に作ったカヌーを持っているのだけれど、太平洋の荒波には適わなかった。波に飲まれて沈んでしまった。だからサーフィンをはじめてみた。3年目になる。おかげで海についての知識を手に入れた。

ぼくは何かを表現したい。つくりたい。それは絵だったり、彫刻だったり、陶芸だったり、家だったり、舟だったり。自分の閃きに素直に自分を動かしたい。漠然とした社会からの要求がなくなったら、進む先を決めるのは自分しかない。進む先がはっきり見えなくても、方向さえ見えれば、いつか景色は開ける。やりたいことがあるのに、誰かと比較して諦めるなんてことはしないで、チャンスを狙いつつ継続する。いまは舟をつくっている。

ぼくは人生をつくっている。生まれて与えられた24時間、その自由をやり繰りして。一日とは毎日が特別な一日だ。もう二度とこない。妻と過ごす時間も戻ってこない。この今も。

「一日減って一日増える」作家セリーヌの言葉。生きられる時間が一日減って、生きた時間が一日増えるという意味だ。

"Let it be"ってこういうことか。

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朝4時に起きて慌てて海へ向かった。日の出を採取するつもりだ。西の空は明るくなっていた。クルマを走らせること30分。目的の海に着いた。太陽は想定のはるか左側から昇っていて目当てのロケーションは、絵になる景観にはならなかった。

景色を選びはじめると際限がない。むしろ偶然に身を委ねた方がいい景色に遭遇できる。いい景色がみつかならいとき、それはそれでもうすでに出会っていると解釈することもできる。探しているものはもう既に持っているのだ。それなのに別の何かを探してしまう。それじゃあ、永遠にみつからない。

日の出採取のおかげで一日を早くスタートできた。次は家に帰って草刈り。まだ朝6時。集落全体の景観をつくるという桃源郷プロジェクト。プロジェクトを立ちあげて、そのプロジェクトに従事している。6月の末から2週間、7月末、8月末、たぶん年に4回全体の草刈りをすることになる。自作自演の演劇みたいだけどこれも仕事になっている。おかげて草刈り三昧の日々。

こんなに草刈りに向き合う人もいないかも。きっと。作業としてだけでなく、行為として魅力を感じてはじめている。草刈りが好きになっている。草刈りをしているとき視界は緑に覆われている。そんな緑に没頭している感覚を絵にできないだろうか。

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見ていること、聞いていること、日常していることから影響を受けて表現している。だとしたら表現者はその環境づくりを意識しなければならない。作品を理想的なものに仕上げるのと同じように、理想的な制作環境をつくることで作品も生活も理想に接近していく。フィードバックしてお互いを高めていく。その理想がやがて社会を彫刻する。それがぼくの考えている生活芸術というものだ。

草刈りも社会を彫刻する。太陽を浴びて、青空の下、草を刈りながら思考すること、それはこの環境という唯一無二の土壌を耕して収穫すると同時に目の前の景色をつくる。現実の社会を彫刻すると同時に作品を産出する。生産物として。コトバ、文章、詩、絵、オブジェ、コンセプト、活動、それらはこの環境から生まれる。ほとんどの作品は依頼もなく、生きるためにしている活動の中から生まれてくる。大地から草が生えてくるように作品をカタチにしている。

いまは舟を作っている。バルセロナで出会った芸術家マークレディンにその喜びを教えてもらった。絵を描くこと、舟に乗ること、それらが生活のなかで絡み合って表現を育む。マークは特に「それがアートだ」とは主張しないけれど、ぼくにはカルチャーショックと言えるほど目が覚めた。その出会いから9年目。やっとそれができる環境に暮らし制作をはじめている。

昨日も午前中は草刈りをして、午後は舟づくりという理想的なスケジュールで制作していた。ところが3時頃から巣を作っていた蜂がこっちへ飛んでくるようになった。巣作りしているのをみつけたのは数日前で、なんとなく共存していたのだけど、昼間に買い物に行ったついでに蜂駆除スプレーを買った。まさか野生とはそれほどに敏感なのだろうか。ありえる。

攻撃的になってきた蜂には申し訳ないが日が沈んで蜂の巣にスプレーをした。

いまコンラートローレンツの「ソロモンの指環」を読んでいて、そこにこう書いてあった。

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わたしはいつもアクアリウムというものは自分自身で平衡を保ってゆける生物共同体だと考えている。それ以外のものは単なる「檻」だ。人工的に掃除され、衛生的に完璧な容器にすぎない。

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文章をまとめることも無理に終わらせる必要もない。もしかしたら、蜂もそのままにしておけば、それはそれで共存できたのかもしれない。

 

 

生活芸術家の1日

午前中に草刈りをした。7時半くらいからはじめて気づいたら11時半だった。4時間やった。そんなに没頭できることも最近では少ない。いつもスマホが傍にあってSNSを見たり写真を撮ったり。だから草刈りのときはスマホを持たない。

草刈りは瞑想だ。ただ草を刈るだけ。他に気を遣うことがない。自走式の草刈りを操作するだけ。だからその間はずっと浮かんでは消えるまま考える時間にしている。

昨日、80歳のお年寄りと世間話をして、安倍元首相の暗殺から統一教会の話題になった。するとお年寄りは「ここでその話をしてもな、さあ帰るとするか」と立ち上がって去っていった。カッコいい立ち居振る舞いだと思った。そのことを妻に話すと「話に気をつけた方がいい」と注意された。どうしてそんなことを言われるのかとムッとしてしまった。妻は心配しているのだ。

けれどもぼくは、とくに今は政治と宗教はとても重要なトピックだと思う。どういう訳なのかぼくたちはむかしから政治と宗教の話を避けるように教えられてきた。

しかし今現在。それでいいとは思えない。政治はこれからどういう社会にしていくか、という未来の舵を取る仕組みだ。国民主権の民主主義である限り、ぼくたちのために議論されて社会を舵取りしていく。だったらなぜ避ける必要があるのか。対立を生むから? しかし対立を生む要素がそこにあるならもっと向き合うべきではないか。対立があるということは、その溝を埋めるコトバが足りないからだ。だったら思考を費やして新しい地平をコトバで切り拓くべきだ。

宗教団体の被害者が、その恨みを晴らすべく元首相を殺した。単なる狂人の兇行なのか。仮にそうだったとしても、その結果、政治と宗教の癒着が浮かび上がるのだとしたら、それを検証する必要がある。まるで質の悪いディストピア映画みたいじゃないか今の日本。日本はどうしてしまったのだろうか。

草を刈っていると、こうやって心に沈澱するいろんなことが浮かび上がってくる。これはそのひとつ。けれども逃れることも難しい。思わず、その考えに溺れていく。そんなときの対処法をぼくは知っている。かつて座禅をしたときにお坊さんが教えてくれた。「座っていると、いろいろな考えが浮かんできます。それをただ観るのです。ただ観るとは、駅のホームで電車が通り過ぎるのを眺めるようなこと。電車に乗らないように浮かんでくる想いに乗らないこと」

教えのおかげで浮かんでくる社会の問題を見送った。草を刈るうちにまた次の思いが湧いてくる。バントのライブの構成について。もっと曲や歌をよくする方法について。こういうことなら、そのアイディアをそのまま実行すればいい。そうやってバントは活動していく。

こうして4時間、草刈りを終えて、昼ごはんを食べて、午後は舟づくり。今の課題は木を曲げること。インターネットで調べたやり方で木を蒸す装置を作った。中に木材を入れて煮て蒸して約1時間ほど。ちょうど炭焼きの師匠が現れる。「何をしてるんだ?」「木を曲げようと思って煮ています」「どれどれ。それでは木のサイズと装置が合ってないな。ドラム缶で煮るくらいやらないと」

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失敗は失敗だったけれど、これぐらいのカーブなら板を切って作った方が確実ということになった。つまり失敗から次の展開が生まれた。いつもそうだ。ぼくは正解には向かっていない。とりあえず行動して、それがきっかけで起きたことへと転がっていく。それが創作だ。

続きは明日やることにして海へ向かった。ここ数日は頼まれた絵の景色を採取しに海へ行っている。海は毎日違う。ということはみんな毎日違う。確かイスラームのコトバに「1日とは砂漠の砂つぶひとつひとつで、今日も明日もそれぞれ独立している」という教えがあった。

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今日は曇りで、景色の採取はイマイチだったけれど、それはそれでいい絵なのかもしれない。

日が暮れて家に帰って風呂を沸かして妻が作ってくれた料理を食べて、風呂に入ってこれを書いている。そうだ、午前中に浮かんだバンドのアイディアをスケッチしておこう。

ここは世界の片隅なのか中心か。ぼくは何処にいるのか。

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曇り空で暑くなくて、少しだけ雨が降っている。2022年7月中旬もうすぐ夏。この天気はラッキーだ。草刈り日和。6時過ぎから草刈りをはじめた。いま10時30分。今日はこれで終わりにしよう。

昨日の夕方からSmall Axe Anthorogyというドラマ•シリーズを観た。イギリスのBBCで放送されたものでイギリスの黒人差別を扱った作品。ぼくはブラックミュージックと呼ばれるヒップホップやレゲエが好きで、その音楽がどうやって誕生したかについても興味を持って調べた。逆に言えば、ロックが好きになって掘っていくうちにそのルーツを知った。ロックンロールはブルースだった。それはヨーロッパによる植民地主義奴隷制度によるもので、酷く辛い人間の過ちをその起源に持つ。

最近とくに好きで読んでいる管啓次郎さんの本には、ヨーロッパやアメリカその周辺に位置する人々や文化について書いてある。中心があるとするなら、それ以外のほとんどが周辺になる。この日本もアフリカや南米やカリブ海と同じように植民地主義時代の侵略された側の傷を持っている。日本は逆に侵略した傷も持っている。だから、そんな日本人のひとりの管さんが、植民地主義から現代に積み重なった歴史の地層の断面を描き出してくれる、その文章に共感するのだと思う。

ぼくはその傷をロックに教えてもらった。ブルーハーツ忌野清志郎、ボブディラン、ジョンレノン、ボブマーリー。世界中の虐げられてきた人々とぼくも同じ地平に生きていることを知った。

それを題材にした作品はたくさんある。ロックに根を持つ音楽は皆そうだとも言える。パンク、ヒップホップ、レゲエ、ファンク、テクノ、ハウス、ジャズ。ここに並んだ音楽ジャンルのパンク以外はどれも、侵略され歴史に翻弄された人々の側から生み出された。もちろんパンクも色は違っても社会の歪みから鳴り響いていると言える。そういうものたちは、数分の曲にほんの僅かのコトバと音を駆使して、この社会のシステムへの抵抗を表現した。

ぼくがここで明らかにしたいのは、日本人のぼくがなぜ、ここまでロックにルーツを持つ音楽に共感できるのか。ぼくの肌は黒くないし、差別もされていない。でも何かこのままでは間違っている、もっとマシな社会やライフスタイルがあり得ると想像してしまう。それは単なるファッションとしての身振りなのか、それとも確かに僕自身が抵抗しなければならないほどの理不尽なシステムの犠牲者なのか、それをコトバにしてみたい。だから、もしこれを読む君もそう感じるのだとしたら、この社会は、この世界は、何かエラーを起している。だとしたら、ぼくは違う未来を描いてみたい。そのためにぼくは絵を描き、生活をつくり、音楽をやっている。それらを社会に地雷のように仕掛けて亀裂をつくりたい。そこから見える景色をつくりたい。

 

誰かのコトバじゃない、自分の目で見て感じたこと

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朝起きて今日は何をしようかと考えた。雨が降りそうだったけど草刈りをした。草は腰辺りの高さまで伸びていた。年に4回は同じ場所の草を刈る。ぼくが暮らしている場所は、限界集落で人の数よりも草や木の方が多い。朝起きて妻以外の人に会っていない。視界は緑に囲まれて、そのなか草を刈っていく。ひとりで黙々と。その時間ぼくは何かを考えている。思考している。ひとり生きるための作戦会議をしている。

週末は映画上映会のイベントを開催した。その準備から終わりまで、その仕事に10日間ぐらいは追われていたように思う。ついついそのせいか、夜はSNSを眺めていた。

2022年の夏。ぼくは信じられない世界に生きている。元総理大臣が、手製の銃で暗殺された。総理が宗教と癒着していたことが暗殺の原因だったと報道された。それについて、たくさんの憶測が噴出している。ロシアではウクライナと戦争をしている。景気は悪くなって、物価は高くなるけれど給料はあがらないと嘆きが聞こえてくる。インターネットを開いて覗くと、そこにこういう世界が広がっている。情報が世の中に行き渡るようになって、そのツールが増えるほどに情報は錯綜していく。新聞、テレビ、twitterfacebookinstagramyoutube、ブログ。ぼくたちはあらゆる場所から情報を引用して自分の世界を構築していく。一旦、構築されるとそれはイデオロギーになって、ひとそれぞれの考え方や意見を形成する。

草刈りをしているうちに、そんなことがバカバカしく思えてきた。自分の目の前にはそんなものは存在していない。政治も宗教もイデオロギーも戦争も。草が生えて、鳥が鳴いて、今は雨が降っている。もう少しで区切りがいいからと作業を続けた。これがいまぼくの目の前にある景色だ。それが仕事になって生きている。

「草を刈る」というおよそ、何の役にも立たないようなこの仕事が好きだ。何も生産していないし何も消費していない。それでも景観をつくるという事業のなかでこの仕事はわずかに社会貢献しているおかげでお金になっている。この仕事も元は誰にも頼まれてないアート活動の中から派生して、いまではぼくたち夫婦の生計を支えている。

頭のなかを巡っていたバカバカしい世界を切り離して、草を刈る手を止めて佇んでみた。雨の音、鳥の声が聞こえる。何もしないで佇む、という所作は動物に教えてもらった。田んぼにいる鷺が佇んでいる姿を見たことがあった。犬と散歩しているとふと止まって佇んで何かを見て聞く様子を知っている。一体何をしているんだろう、だからそれを真似てみた。

昨日、犬の散歩をしたとき、いつものコースを一周して戻ってもまだ歩きたそうにしていた。だから犬の好きなように歩かせてみた。犬に連れられて歩いた。犬に散歩してもらった。犬は川の方へ向かっていった。きっといつも水浴びする川が好きなんだ、それを覚えているんだ、と嬉しくなった。川に着くと立ち止まって匂いを嗅いでまた歩き出した。どんどん真っすぐに。犬に目的なんてなかった。ただ歩いていた。

ぼくはぼくの世界をつくっている。それは「生活芸術」という表現の仕方。生活をつくるということをすれば、人はもっと豊かに自由に暮らせる。そう信じている。ぼくはその方法を発見したと思っている。それは勘違いかもしれない。けれども勘違いこそがアートの源泉だ。その勘違いをここに記録している。忙しいときは、ここに何かを書く気持ちにならない。イベントをやっても、その成果や何かを記録したいとは思わない。むしろ何も予定もない、そのなかで日々の営みをしているとき、ぼくは何かを感じたり考えたりする。自分の内側から湧いてくる気持ちやコトバ。それを書き留めることでぼくは自分の世界をつくっている。誰かのコトバじゃない、自分の目で見て感じたこと、それはまるでほかの人とは違うはずだ。その違いの向こう側とここを繋ぐためのコトバを紡いでいる。

もうひとつの生きるための芸術。

朝起きて草刈り。今年は6月末から夏日の猛暑。温暖化のせいなのだろうか。温暖化のせいというよりもこれも人間の仕業なのか。タバコが吸いたい。

クーラーがないから5時に起きて太陽が全力を出す前に仕事をはじめている。クーラーがないのはエコというよりも痩せ我慢かもしれない。けれどもないなりに工夫する生活が面白い。暑くなるならその前に仕事をはじめればいい。おかげ様で朝8時には、草刈りはある程度片付いている。

地面から草は容赦なく生えてくる。しかしこの緑が生えなくなったらこの世の終わりのサイン。その緑を一つ一つ名前も確かめずに雑草とひとまとめにして刈り取る。まったく自然に反する行為。けれども草を刈るとスッキリする。快感がある。人間が自然を克服して生活領域を広げてきた記憶の名残なのだろうか。妻もぼくもその快楽に誘われて草刈りをしている。83歳の石職人が呟く「苦しみと喜びが同時にやってくる」がここにある。

昨日、隣町のいわき市にライブを見に行った。SNSで偶然「生きるための芸術。」というイベントを発見したのがきっかけだった。生きるための芸術とはぼくが2014年頃に自分のアート活動につけた名前だ。このコトバを口にすると、ほとんどの人は分かったような分からないような顔をする。どういう意味なの?と質問されることも多い。生きることと芸術。たったこれだけのコトバだけど、それを選んでタイトルにする仲間がいたようで嬉しかった。

会場にいくとSNSでそのイベントを投稿していたユウシくんに会って、さっそく主催の松本くんを紹介してくれた。松本くんは楢葉町の市の職員で、震災をきっかけにイベントを主催するようになって、それが生きるための芸術に発展していた。松本くんは「震災のときに、生きることとは関係ないようなアートとか音楽とかいんろな表現がとても大切に感じて。だから自分がよいと思った表現をみんなに感じてもらいたくてイベントをやっています。表現の場をなくしたくない。表現者が続けられる場所をつくりたい」そんな話をしてくれた。そしてイベントの最後には「生きていること自体が表現でみんながそれをしているのだと思うんです」と宣言した。メモしたわけじゃないから、ぼくの気持ちと同化しているけれど、実際そうだった。震災を経て、生きることと芸術がひとつになってしまった、そういう思いが出会った。

有名になるとか、成功するとか、どうすればそうなれるのか、とか。表現そのものが、そういう方向に開かれていて、何ものでもないないとか、一体何なのか意味が分からないとか、いまだそんなものは見たことも聴いたこともない、という方向には開かれていないように感じる。最近の感想。昨日イベントを思い返してそう考えている。世の中に流通しているコトバも思考も成功の法則のために費やされているように感じる。

昨日見た表現者たちは、どの人もきっと何かの途上で、現在進行形でステージに立っている。目の前の観客に向けてパフォーマンスしている。ぼくはそれを目撃した。そして心を動かされた。ここに掛け値なしのほんとうのことがあって、そういう体験、出会い、それが何なのか、ということにコトバを費やし、足りなければさらに書き続けて、勝ちでも負けでもない、要領の良さや、数字でもない、ぼくが伝えるべきフィールドを掘り当てたような気がした。もちろんニーズなんないだろうけれど。

前回ここに「社会」はなくてあるのは「人間交際」だけだ、と書いた。まさにぼくの目の前から社会という虚像が剥がれ落ちた。評価されている、話題の、そういうものではない、それが何か、コトバを与えるとしたらやっぱり「生きている芸術」なのだと思う。それは雑草のように名前もなくただそこにあるけれど、耳を澄ませば、目を凝らせば、未だみたことのない、感じたことのない気持ちをぼくに与えてくれる。

明治以前に「社会」というコトバはなかった。福沢諭吉はSocietyを「人間交際」と訳している。

ぼくは制作するために時間を作っている。表現者として生きていくと決めたときから。つまり仕事も予定もない空白の時間。他人からするとそれは「暇」というものらしく、よく頼まれごとをする。

「いま忙しいから手伝ってくれないか」
知り合いが困っているなら助けよう。料理屋、鉄工所、植木屋さんのお手伝いをした。初日はいい。人助け。役に立ってよかった。けれども数日続くと自分も相手も変わっていく。

ぼくは自分の時間が、つまり制作のために空白にしていた時間が愛おしくなり、何か制作しなければという焦りに似た気持ちになっていく。相手は忙しさが和らいで、落ち着き、できるならこのまま手を貸してほしいと思う。

ぼくは働くのが嫌いだった。なぜ働くのか。そうしなければならないのか。納得のいく説明を聞いたことがない。学生の頃は日雇いの建築現場とか引っ越しとかコンビニのアルバイトしかやれなかった。なぜならお金にはならないけどやりたくて仕方ないことがあったから。だからアルバイトしてもすぐクビになった。理由はボーっとしているから。ようするに気が利かない。そのはずで、ぼくは隙があればしたいことについて考えを巡らせていた。音楽のことだったり、作品の構想だったり、遊びのことだったり。

だからぼくは、自分がしたいことを仕事にすることにした。頼まれてもいない頭に浮かんでくる空想をカタチにすることを。

28歳からはじめて今、48歳になってやっと少しだけそれが仕事になるようになった。妻と描いている絵が売れるようになった。夢だった本も3冊出版した。目の前の現実をつくる、生活そのものをつくる、というコンセプチュアルなアート活動が移住した北茨城市に受け入れられて、仕事になって生活芸術とランドスケープアートに取り組んでいる。

何かをつくるということは、空白の時間から湧き出す水のようなものだ。

だから確かに他人からは透明で見えない。何もないのだと思う。それはボーっとしているようにも見える。だけど決して怠けているわけじゃない。ぼくは命懸けでこの空白をつくっている。頼まれることも、目の前のお金になる仕事も放りだして。だけどあまりにも透明で、自分が作り出した「透明の時間」を忘れてしまうことがある。そんなときに仕事の依頼をされる。だから仕事を頼んでくれる人に感謝したい。そのことをこうして思い出させてくれるのだから。

最近読んだ「翻訳語成立事情」という本に「社会」というコトバはSocietyという単語が輸入されてつくられた概念だと書いてあった。この本は明治以降に翻訳された日本語を解説してくれる。西欧化される前の日本人の感覚を言語化してくれる。

それはそれとして社会というコトバに到達するまでにいろんな試みがあって福沢諭吉はSocietyを「人間交際」と翻訳した。

ぼくは目に見えない巨大な欲望を追いかけて目の前の人間のことを忘れていたのかもしれない。社会に飲み込まれて。だから、ここからは社会というコトバを消して、人間交際、つまり生身の人間と出会い、語り、ときには助け合い、そうした交流のなかで自分のSocietyを再構築したい。