いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

ここは世界の片隅なのか中心か。ぼくは何処にいるのか。

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曇り空で暑くなくて、少しだけ雨が降っている。2022年7月中旬もうすぐ夏。この天気はラッキーだ。草刈り日和。6時過ぎから草刈りをはじめた。いま10時30分。今日はこれで終わりにしよう。

昨日の夕方からSmall Axe Anthorogyというドラマ•シリーズを観た。イギリスのBBCで放送されたものでイギリスの黒人差別を扱った作品。ぼくはブラックミュージックと呼ばれるヒップホップやレゲエが好きで、その音楽がどうやって誕生したかについても興味を持って調べた。逆に言えば、ロックが好きになって掘っていくうちにそのルーツを知った。ロックンロールはブルースだった。それはヨーロッパによる植民地主義奴隷制度によるもので、酷く辛い人間の過ちをその起源に持つ。

最近とくに好きで読んでいる管啓次郎さんの本には、ヨーロッパやアメリカその周辺に位置する人々や文化について書いてある。中心があるとするなら、それ以外のほとんどが周辺になる。この日本もアフリカや南米やカリブ海と同じように植民地主義時代の侵略された側の傷を持っている。日本は逆に侵略した傷も持っている。だから、そんな日本人のひとりの管さんが、植民地主義から現代に積み重なった歴史の地層の断面を描き出してくれる、その文章に共感するのだと思う。

ぼくはその傷をロックに教えてもらった。ブルーハーツ忌野清志郎、ボブディラン、ジョンレノン、ボブマーリー。世界中の虐げられてきた人々とぼくも同じ地平に生きていることを知った。

それを題材にした作品はたくさんある。ロックに根を持つ音楽は皆そうだとも言える。パンク、ヒップホップ、レゲエ、ファンク、テクノ、ハウス、ジャズ。ここに並んだ音楽ジャンルのパンク以外はどれも、侵略され歴史に翻弄された人々の側から生み出された。もちろんパンクも色は違っても社会の歪みから鳴り響いていると言える。そういうものたちは、数分の曲にほんの僅かのコトバと音を駆使して、この社会のシステムへの抵抗を表現した。

ぼくがここで明らかにしたいのは、日本人のぼくがなぜ、ここまでロックにルーツを持つ音楽に共感できるのか。ぼくの肌は黒くないし、差別もされていない。でも何かこのままでは間違っている、もっとマシな社会やライフスタイルがあり得ると想像してしまう。それは単なるファッションとしての身振りなのか、それとも確かに僕自身が抵抗しなければならないほどの理不尽なシステムの犠牲者なのか、それをコトバにしてみたい。だから、もしこれを読む君もそう感じるのだとしたら、この社会は、この世界は、何かエラーを起している。だとしたら、ぼくは違う未来を描いてみたい。そのためにぼくは絵を描き、生活をつくり、音楽をやっている。それらを社会に地雷のように仕掛けて亀裂をつくりたい。そこから見える景色をつくりたい。