いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

龍の神さまに呼ばれたプロジェクト

札幌の神社改修のため滞在制作が始まった。

と言っているが、実はこれはアート制作ではなく神社を改修する大工な仕事と考えた方が正解かもしれない。そもそも札幌に2週間も滞在して、行き当たりバッタリ現場の状況とセッションしながら神社と周辺環境を作り上げていく、これはまさに檻之汰鷲のアートのドキュメントになる、というわけでメモを書き始めた。

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正解に言うと妻と犬と 7月23日に大洗港からフェリーで出港し、翌日の13時30分に苫小牧港に着いた。

この神社は湧水が出る龍神を祀ったパワースポットだ。ここに至るきっかけは高校の同級生がバリ島に暮らしていて2019年に訪ねていったときに知り合ったサーファーの人がジンさんだった。日焼け止めを顔の真ん中に一文字に塗っていてインディアンみたいだった。そのときはお宅に招待してくれご馳走してくれた。

それから数年経って札幌に来てアーティストとして手伝ってくれないか、とジンさんが声を掛けてくれた。そのときはまだ龍神の土地は取得してなくて、するかもしれない、という話しだった。

それでも真冬に招待してくれ、マンションやレンタカーから旅まですべて手配してくれた。おまけにジンさんの知り合いが札幌でぼくらが描いた絵を15万円で購入してくれた。

その翌年もリサーチで滞在し、去年いよいよジンさんが龍神の土地を取得したとのことで滞在制作がスタートした。去年はこの神社の土地を俯瞰して、それが龍の姿をしてることに気がつき、その見立てを歴史と共に看板として製作した。秋には、いくつかの小さな社を修理したり、湧水が出ているエリアを守るための柵を作った。それらの材料は、倒壊した廃屋から利用した。

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ざっとこんな流れで、札幌で龍神の神社改修に4年ほど取り組んでいるわけだが、ほんとうに不思議で、企画計画しても、それがビシッとハマらないときがある。資料を作っても、やろうとしても流れてしまったり実現しなかったりする。だからこれは龍神の何かチカラが働いているんじゃないか、と妻と話してお互い納得している。つまりハマれば動く。

今回も幾つか案を練ったが、ついにまとまらないまま札幌に来た。プロジェクトのオーナーであるジンさんも、だからと言って困る様子もなく親戚のように寛大によく来た、と迎えてくれる。アートプロジェクトなのか、神社への奉仕なのか、仕事なのか、わけは分からないけれども、必然性があってここにいる。その非現実な状況がとてもいいと感じる。

昨日は拝殿を眺めながら妻とアイディアを練った。この拝殿が本丸で、ジンさんはここにアート的なインパクトを置きたいと考えている。しかしここでのアートとは何だろうか、とも考える。美術館やギャラリーではないから、担保がない。アレは何ですか?と尋ねられて、意味不明なモノだったら、それは一体何なのか。だから意味不明でも圧倒的な存在であるべきだ。圧倒的な何かと言えば、圧倒的な自然だ。そのチカラを小さな人間が引き摺り出した証明を展示するんだ。大自然のなかに。

つまりのところできることは限られている。というのも、ぼくらは「そこにあるもの」を使って作品をつくるからだ。

そこにあるものとは状況とか材料もそうだし、できるだけそこにあるものを使うということは、環境について検討することだ。その場所の由来について。つまり歴史を知ることだ。

札幌南区豊滝には、旧黒岩家住宅という郷土資料館がある。そこにはかつての暮らしが記録されていて、ここは明治の開拓以降の歴史

、だから、つまり入植者たちの姿が展示されている。その圧倒的な大自然を前に立ち向かう人間の姿。

雪のなか馬で材木を引く写真や道具が並んでいる。つまり林業が盛んだった。エゾ松が材木として利用されていた。館長さんに現在はエゾ松の林業はどうなったか話しを聞いてみると、もう既に一軒もないと教えてくれた。

そうなると俄然、木を倒してそれを材木として使う制作をしたくなる。

一昨年、滞在させてもらったときは、札幌南区の石山という地域に10日間暮らした。ここは軟石という北海道産の石を採掘していて、辺りには軟石の建物が残っている。だから、軟石も素材に使えないか、石屋を訪ねて話しを聞いた。残念ながら、軟石は耐震構造の理由から建築材として使えないのと、生産量が減って、希少価値が高くなってしまい、とても建材として利用できる状況ではなかった。

そういう理由で、とりあえず改修に使う壁材を探して札幌のホームセンターや材木屋を巡った。まずは価格的に使いやすい材木を見つけたけれど数量が足りなくて断念した。

この流れとは別のもっと前から北海道と呼ばれる前からこの地に暮らす人々がいた。アイヌだ。この豊滝の近くにもアイヌの資料館がある。歴史とはチカラの記録だ。そのなかでアイヌの民俗誌はとても重要で、その流れも汲みながら制作したい。

ジンさんは豊滝に着いたぼくらに言った。オレはさここを最期の仕事として全力で取り組んでいる。だからオレは君たちのアートをここに残したい。ノリオくんとチフミちゃんも、だからこれがやりたい、というのを提案してくれたら、予算とかあるけど、できるだけそれをカタチにしたい。

巡り巡って、これはアートプロジェクトになった。ぼくの頭のなかには途方もないカタチのイメージが浮かんでいて、知恵の輪みたいにそれをやる理由と実現できる根拠を捻り出そうとしている。

こんな経緯で、札幌で神社改修に取り組んでいる。どうなるか分からないので、こうして記録しておこうという、まさに日記なのです。