いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

器になること

札幌での滞在制作も予定の半分の日程が過ぎた。札幌市内のマンションairbに暮らして、招待してくれたジンさんが毎日案内してくれる。ぼくたちは、北海道の印象を絵にしようとしていて、ジンさんは今回の滞在が今後に繋がるように考えている。

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1月の北海道に滞在して、雪と暮らし人々の姿に感動した。屋根の雪下ろしや雪かきして道をつくる。今でこそ重機やトラック、そのほか道具があるけれど、むかしの苦労を想像すると人間が自然に向き合う姿に再び感動する。

明治のはじめ札幌ができたころは、かんじきを履いて雪を踏み固めていた。そのあとロシアから馬ソリが輸入され、それに三角形の板をつけて除雪するようになった。

家にも工夫がされている。家の屋根を見ると「へ」の字になっていて、屋根に積もった雪が自然に空き地に落ちるように設計されている。最近では、屋根の上で雪をとかせるようにした平らな屋根の家も増えている。家の外には、大きな灯油(とうゆ)タンクが置いてあり、長い冬に欠かせないストーブの燃料をたくわえている。玄関(げんかん)は2重、窓は3重。


ジンさんの話によると、ロードヒーティングという地面を暖めて雪を溶かす技術もあるという。けれども家庭では灯油を熱源にするのでお金もかなり掛かる。

 

生活と芸術について活動してきた自分としては、北海道のDIY事情に興味が出てきた。例えば家を改修してこの冬を越すのは、関東とは別物だろう。

ジンさんに今回の目的である豊滝のほか、小樽、支笏湖を案内してもらった。おまけにスキーも20年ぶりにやらせて貰った。滞在制作折り返し地点。してもらった分、それをアートでお返しする必要がある。けれどもジンさんから、それだけのエネルギーも貰った気がする。コトバは適切か分からないけれどもパトロンとはこういうことなのかもしれない。

北茨城市もぼくたちのパトロンだと言える。久しぶりに旅をして、日々の生活の外を見て次の展開が見えてきた。器になるということだ。

北茨城市で自分が取り組んできたことがあって、ここには次の世代に引き継げるバトンがあると気がついた。ぼくたち夫婦だけでやるよりも、このノウハウをシェアすることで、アート活動を続けていける基盤もシェアできる。それが北茨城市の望んでいることにも思える。